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限局性激痛 2013年10月23日

サウスポートの図書館で開かれる木曜日16.00からのカンバセーションクラブに初めて行って、彼に出会った。
2013年10月23日。私は1日前に23歳になったばかりだった。彼は16歳だった。
私はハロウィンの日にかわいい彼を海のほとりの家に初めて連れ込んだ日から1ヶ月の間、ほとんどの時間を彼と過ごした。
私と彼はまるで同じ種類の思考/嗜好を持っていて、天使にラブソングをの教会のシーン、留学先で同郷同士が群れている様子を嫌ったし、ひとりでは眠れない憂鬱な夜の時間帯、ただ一人ビーチを眺めたいと離れたくなる夕焼けも共有しあった。
彼は次の4月に地元の高校に進学したら遠く離れるけれど、私に毎日会いにくると言った。

私は彼が居なくなる日が怖くて、夢にまでも見るようになった。夢の中で私は彼の運転する車に乗って、坂道を登るのを心配した。「本当に大丈夫?」「大丈夫、大丈夫」彼は言うの。
若くて美しく、可愛い女の子に好かれる彼が、いつまでも遠く離れた姉年増に会いにくることなんて考えられなかった。特にクリスマスに家族のもとへ戻らない理由が私だったことが一番恐ろしかった。
私はあなたにクリスマスは日本に帰るように仕向けて、その間に黙ってシドニーへ消えようと思っていたの。

2013年11月27日。私と彼は図書館で最後の話をした。
彼は私の赤いパーカーを返しに来て、二人でソファに座って話をした。彼は私の服をよく無断で着ていた。
私は家から追い出したはずの彼に戻って欲しくていろんな話をしたけれど、彼の心は決まっていて、私の言葉の後に彼は言った。
「もう、おれたちは終わったよ」

最悪の日々が始まった。
私はご飯を食べるにもバスに乗るにもサーフィンをするにもあなたがいた日々を忘れられなかった。友達が気晴らしに連れて行ってくれたパブのトイレで煙草とアルコール片手に吐きながら泣いた。
噂で彼に次の相手ができたって知った私は、その相手である顔も知らない日本人のクソ女が憎らしくて、彼女が借りてるどこだかも知らない高層階のビルが大嫌いだった。
彼が戻らないとわかった私はとにかく荒れて、色んなパーティをぶっ壊して彼の友達と寝まくった。

彼と出会う前から、私にはハンガリーの良い仲の人がいて、別れた後に公園で二人で歩いているところで出くわしたの。
彼は女友達とバーベキューをしていて、私達を見た。
私はハンガリーの彼と公園の端の堤防へ行って、サーファーズの向こうを眺めた。私はハンガリーの彼にここで今キスしてと言おうとした。
彼は一人パーティを外れて、浜辺で私たちを見ていた。彼は私を見ていた。

あれから7年が経つけれど、
私は今も彼の素肌で寝る時の体温や、真夏の窓辺に臨む格子越しの扇風機の気配、クオン・ジヨンのピタカゲ、スミノフの赤いビンを思い出す。愛したはずの誰かが私の身体を割り裂く時、いつも意図しない内に涙が伝ってくる。

彼がコンビニからコンドームを盗んだ夜、私は自分が知る限りの人徳のある説教をしたけど、どうして私はあの陰鬱な美少年に経験したこともない悪意と闇を取り除こうとしたりできたの?

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ソフィ・カル 限局性激痛より パロディの失恋詩です
https://bijutsutecho.com/exhibitions/3138
人生最悪の日までの出来事を最愛の人への手紙と写真とで綴った第1部、そして、その不幸話を他人に語り、代わりに相手のもっとも辛い経験を聞くことで、自身の心の傷を癒していく第2部で構成され、鑑賞者に様々な問いを投げかける。 <上記記事より抜粋>

第2部で最も印象深かったのは真っ赤な写真と共に語られる盲目の人のお話。朝目を開けたら世界が真っ赤だった、という文章数の少ない経験の写真でした。
原美術館は閉館されるそうですが、この展示会ではたくさんのものを得ました。ありがとうございました。


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