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目標は公言した方が良いのか?

私の周りの市民アスリート界隈で「目標公言ブーム」が起きた時期がありました。ブームというよりかは、種目は違えど自身のスポーツの目標をSNSで公言するのを、立て続けに目にした時期がありました。

そんなわけで今日のお題は、目標は公言した方が良いのか、について。結論から言うと、目標は公言した方がいいけどしない方がいい場合もある、と考えています。どっちやねん、と自分で突っ込んでしまうくらい曖昧な結論なのでnote記事として成り立たなさそうですが、滅気ずに書き続けていきます。


まずはブームに乗ってみた

考えを書く前に、私も目標公言ブームに乗っかってみたことがありました。◯◯マラソンをこのタイムで走る、とか、◯◯のレースで何位をとる、とか、SNSで発信しました。

結果的にそのシーズンは故障で全く走れず、勝負に出ることすらできなかったわけですが、ちゃんと練習ができていたときに目標公言の効果を感じたかというと、まぁボチボチ…いや正直そんなに感じませんでした。

目標公言の効果

目標公言するとそれを達成しやすい、というのはスポーツだけではなくていろんな分野で言われていることで、確かにその通りだと頭では理解しています。自分に適度なプレッシャーがかかったり、周りのサポートを受けやすくなるから。

一方で、万人に効く薬がないように、効果をあまり発揮しない場合(人)ももちろんあると考えています。

効果がないとき

①努力を努力だと思っていないとき


1つ目は、プレッシャーをかけなくても努力できる場合。例えば私は、兎にも角にも走ることが大好きです。マラソンで◯◯分を出したいとか、トライアスロンで◯◯位をとりたいとか、確かにそういう目標はあります。が、周りに夢や目標を公言して自分にプレッシャーをかけて練習するというよりは、好きで走っているので、どちらかと言えば努力だと思っていないタイプです(…これは自分で言うことじゃないかもしれないですがw)。

例えば初めてマラソンで3時間を切ったとき、たしかに3時間を切るためのメニューをこなしていたのですが、自分の中では「絶対にサブ3がしたい」と思っていたかといえばそうでもなく、練習していたら切れていた、という表現がしっくりきます。なので達成したときは嬉しさがこみ上げるということはなく、「今の実力がこれか〜」という気持ちに良くも悪くも収まってしまいました(笑)

「好き」という気持ちが強いなら、プレッシャーをかけて練習するよりも、楽しむ方が効果が高い気がしています。

②自分で思っているより高みにいけるとき

これは自分の体験ではありませんし公言どうこうの前の問題ですが、自分で設定した目標よりも高みにいけるポテンシャルを持っているなら、あえて目標(=リミット)を決めない方が良いかもしれないですよね。

1つ目にも繋がってきますが、「好きで練習していたらこんなところまできていた」みたいな結果になる場合もあると思っていて、スポーツでもそうでなくても、個人的にこの流れはかなり理想です。

まとめ

目標公言の大切さや効果は理解しつつも、絶対にそうしなければならないということはなく、好きを貫くことでも結果的に高みにいけるのでは、と思っています。

何かを好きで居続けるというのもきっと一つの才能で、私も今好きなことを好きでい続けたいな〜と感じる日々です。



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