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【エッセイ】料亭Hが暖簾をおろした

 料亭Hの店じまいは、私を驚かせた。2023年上半期、一番の出来事だった。

  料亭Hは、とある商店街の中にある。3階建ての建物で、門構えは木の引き戸、なんともいえない趣があった。それは大正10年創業という重みからきていたのかもしれない。初めて訪れた人は、思わず立ち止まってしまうだろう。私もそうだった。

 私の住まいは、料亭Hの前を通って、商店街を5分ほど進んだマンションにある。ここに決めたのは、もちろんマンションが気に入ったからだが、料亭Hや商店街が醸し出すこの町の雰囲気に懐かしさを感じたから。引っ越してきたのは、今から23年前の夏だった。

  夏といえば、商店街のイベント「ジャンボ海苔巻き作り」が毎年開かれていた。商店街の真ん中に、会議室にあるような長いパイプ机を80個ほど隙間なく縦に並べ、その上で120メートルの海苔巻きを作る。地元の幼稚園児や小学生たち約400人が机の前に均等に立ち、スピーカーからの指示どおりに息を合わせて作っていく。
「まず海苔を置きましょう。その上にすし飯を載せます。すし飯は平らに置いてね。できたかな? じゃあ、キュウリを置くよ……」
 わが家のベランダの近くに、商店街のスピーカーがある。だからスポーツ中継を聞くように、見守っていた。
「やっとできましたね! ではみなさん、海苔巻きをそっと持ち上げましょう。120メートルの海苔巻きが完成しました!」
 大きな歓声と拍手が聞こえてくると、財布を持って秀へ向かう。長い行列に並ぶ。20センチに切り分けられた海苔巻きを買うために。この夜この町では、海苔巻きを食べる家庭が多かったことだろう。

 子どもが作ったとはいえ、プロデュースは料亭Hだから美味しかった。毎年用意される食材がすごい。すし飯は400キロ、桜でんぶ20キロ、かんぴょう5キロ、キュウリ192切れ、卵焼き20センチを72本、かまぼこ30センチを17切れ。これに甘辛煮のしいたけが加わる。

 この食材を準備したのも、作り手の子供たちに手取り足取り指導したのも、料亭Hの料理人たちだった。イベントの当日、店は休業して全面協力! このイベントは、23年続いた。
 料亭Hが全面協力した商店街のイベントは、他にもあって、「寄席」も楽しかった。3階には100人近く入る大広間があったので、数人の落語家を招き、年に2回開催。
 実家の両親をこの日に合わせて呼び寄せて、一緒に参加したりした。
 当日の夕方、入口には、高座名が入った赤い提灯が並び、お囃子が流れ、まさに寄席そのもの。木戸銭は本物の寄席よりも安く、料亭Hの弁当付きも嬉しかった。

  商店街の近くには、寺と神社がある。お宮参り、七五三の後に、料亭Hで祝いの膳を囲む家族も多かった。

 寒い冬の日、着物にショールを羽織っただけの仲居さんが、入り口に立つこともあった。お清めの塩を準備して、精進落としの客を待っていた。

 大晦日の朝、おせちを取りに行くと、静かになった店内に女将さんが座っていて、「よいお年を」と見送ってくれたものだった。

 夫の両親や地元の友人が泊まりにくると、1日目の晩は予約した。琴の生演奏が、私たちの会話を一層弾ませてくれた。

「こんなお店が近所にあるなんていいね」と喜んでくれたのに……。

 料亭Hは閉店した。

 閉店後、店内で「食器の即売会」が開かれた。1階と2階の個室には、たくさんの食器が種類ごとに置かれ、3階の落語を聞いた大広間には、絵画や壺などが並んだ。食器を選んでいたら、こんな会話が聞こえてきた。
「どうして閉店するの? 寂しいわね」
「すみません、コロナの行動制限の後、お客様が戻らなかったんです……」
 以前の活気が戻ったと思っていた。店内での営業と並行して、店頭販売も始めて頑張っていたから、コロナに勝ったと信じて疑わなかった。

 毎日、料亭Hで買った大皿や小鉢を使っている。私の料理でも、美味しそうに見える。

 正月まであと1ヵ月余り。わが家のおせちは、これからどこに頼めばいいのだろう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。