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第1章「病気ってどうやって決めるの?」

プロローグに引き続き、「病気」っていったいなんなんだ?を考える章。
構成は以下の5つに分かれている。


著者は「医療シアター」という言葉をたびたび使う。それをこう説明している。

医療や病気にはいろんな立場の人が関わっていて、複数の目線が交錯しているイメージを持ってもらえればよい。私はこの舞台の上で、医者として何かをみるのと同時に、患者としても何かをみる。患者の周りにいる家族としても何かを演じたりもする。それぞれの立場ごとに、きっと、病気という悪役は違って見える。

文庫本32ページ

そう、わたしの病気は「わたしだけのできごと」ではなくて、舞台上にいる人みんなに関わるできごと。でも、登場人物ごとに、病気の受け止め方や、その病気がその人にどんな影響を与えるかは変わる。

筆者はこのあと、「あなたも、この舞台のどこかにいることは間違いない」と続けている。

患者という主役級じゃないかもしれないけれど、「人の中で生きて」いる以上、その周辺の登場人物になっているはず、と。

そうだよ、だから結構な数の人がいくつもの医療シアターを抱えていると思う。わたしは乳がん経験者・HBOCとしては主役だけど、年老いて体に不調を抱える親の医療シアター内では、重要な役どころだけど主役じゃない。同じ病気になって話が聞きたいという知り合いの舞台では、脇役でいることを意識している。そして、その役どころに応じて、それぞれの目線はもちろん違う。

各医療シアターでは「複数の目線が交錯」するのだけれど、ある程度の年齢になれば、じつは個人個人も複数のシアターを抱えていて、その立場に応じて複数の目線を持つことになると思う。

わたしの場合は、最初の乳がんがわかる数年前に、父が肺がん罹患。そのときに「患者の家族」目線は習得したし、父を通して「患者」目線も、治療にあたる「医療者」目線を感じることができたから、いざ自分が主役になってしまったときに、それぞれの目線の向きの違いに、それほど戸惑わずにすんだ気がする。

それにしても、この「医療シアター」「目線」という例えは、ほんっとにすばらしいな。明らかにシアター内の舞台上にいるはずの人なのに、ずっと観客目線な人とか、その逆で、観客なのに、なんかおっきな声を出す人とか出てきちゃったりね。患者は主役をはるだけでも大変なのに、座長としてそういう人たちへの対応もしないといけないのよね。

(このおっきな声は、わたしの中では、いわゆる医療のとんでもインチキ情報を患者に伝えようとする人たちのイメージ。ちなみにこの本の著者は、そうしたまゆつば情報に「プンプン怒っている。」そうした情報とそれに巻き込まれてしまう人たちについて対峙している、がん研究者の大須賀覚先生との往復書簡は読み応えがある。)

「医療シアター」に戻ろう。

そして同じ演目でも、違う座長のもと、違う劇場で上演すれば、当然違う芝居、仕上がりになる。仮に同世代、同じがん、同じステージ、同じ治療という、一見同じ条件でも、経過も結果も全部同じになるとは限らない。それは当たり前のことなのに、つい、隣の舞台のほうが明るく見えることもある。

なんて思ったりして。

さて、ここまでまだ章の出だしをさわっただけだから、以下中身については別立てにしようっと。(アップしたそれぞれにリンクを貼ります)

1 病気だと決める人は誰?

2 すぐわかる病気

3 なかなかわからない病気

4 病気には原因がある?

5 結局病気ってなんなの?

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