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プロローグ「病気と平気の線引きはどこ?」

このタイトルを見ただけで、「ほんっと、そう!」って思った。

「病理の結果、乳がんでした」

って言われたときから、いきなり病気。しかも、死んじゃうかもしれないって思っちゃう病気。どっこも痛くもないし、不快なところもないのに。さっきまでは、このあと何食べよう、明日は何しよう、長い休みが来たらどこ行こう、とか考えられていたのに。

がんが見つかったら、そういう当たり前の「これから」のことは全部いったん白紙。ちょっとひどくない?そんなのって。

がんこそは、「病気だけれど平気に見える」の最たる例だ。そして、がんは「病名のついた日から病人になってしまう」病気の代表格である。

『どこからが病気なの?』文庫本17ページ

その通り。
体の実感が伴わないまま、心だけで衝撃を受け止めるしかない。もちろん、実際にどこか不調を感じていたら、それはそれでしんどいけれど、体と心の同期ができていないのは、それはそれでしんどかった。

本人は、おとといも昨日も、痛くもかゆくもなかった。つまり平気だった。でも病院に来たらそこではじめて、病気であると診断された。昨日と同じように、まだ平気なのに、「今日から病気になった」。

文庫本18ページ

だから心が追いつかない。

そもそも「平気」とはなんだろう。
病院にかからなくてもいい、放っておいていい、何もしなくてもあとで後悔しない。
このあたりが、「平気」の意味するところだと思う。

文庫本22ページ

がんが見つかったら、「放っておいていい」のかどうかは、お医者さんの医学的判断、「何もしなくてもあとで後悔しない」かどうかは、患者本人の判断かな。

患者本人の判断とは言っても、実際には患者オンリーの考えや気持ちだけで決めるのは難しい。このあとの1章で「医療シアター」という言葉が出てくるように、後悔するかどうかは、患者自身の気持ちだけじゃなく、家族など周りの「シアター参加者」との関係性にも影響されると思う。

わたしがもし、家族と疎遠だったら、両親に愛されていなかったのなら、今まで実際に受けた治療すべてを、受けようと思ったかどうかは、正直言ってわからない。

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