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「汝の隣人を愛せよ」(大川隆法著「愛、無限」より)

いつも記事に目をとめてくださり、本当にありがとうございます。

私の記事では、大川隆法先生の累計3500回の法話3100冊以上の著書の中から、おすすめの作品を紹介しています。

今日は12月25日、クリスマスですね!

クリスマスと言えば……

というわけで、本日は、私からのクリスマスプレゼントとして、大川隆法先生の著書「愛、無限」の中から、一節をご紹介したいと思います♪

YouTubeに音声がアップされていましたので、今回はこちらから抜粋させていただきますね☆

余裕のある方はぜひ、音声にて味わってみてください。
(開始箇所を固定しています♪)

汝の隣人を愛せよ


「愛とは何であるか、よくよく心に問うてみるがよい。


愛とは、

「あなたがたが、いかほど与えられているか」ということを、

そして、「神からすべてが与えられ尽くしている」ということを、

発見し、自らのものとしたときに、

おのずから感謝として湧き出でてくるものなのだ。


「汝の隣人を愛せよ」とは、

「神の心を愛せよ」ということに等しい。

あなたがた一人びとりが、

神の光より分かれたるものであるがごとく、

あなたがたの隣人もまた、神の光によりてある存在である。

ゆえに、あなたがたの隣人を愛するは、

神を愛すると同じである。

神を愛する心が、

人を愛する姿となって現れてくるのだ。


愛するとは何か。

尽くせよ、人のために。

人の立場に立ち、「自分のこと」だと思いて、人のことを考えよ。

あなたがたが他の人からしてほしいように、

あなたがたの隣人になせ。

あなたがたが他の人々からしてほしくないことを、

他の人々に施してはならない。

あなたがたが他の人々に、

けっしてこのようにはしてほしくないと思うことを、

他の人々にしてはならない。

言ってはならない。

思ってはならない。

それが罪であり、それが地獄への道である。

そのことを知らねばならぬ。

あなたがたは、他の人々にしてほしいがごとく、

他の人々に施せ。

されど、その施しは、

決して、見返りを求めるものであってはなるまい。

与えよ、与えよ、与え尽くせ。

そして、私は告げる。

与え尽くしたとて、あなたがたは、

失うものは何一つないことに気がつくであろう。

与えて、与えて、与えて、与え尽くしたときに、

あなたがたは、最大の幸福のなかを生きていることに

気がつくことだろう。


大川隆法著「愛、無限」第三章(信仰と祈り)より

※本書籍では抜粋部分の「神」は「仏」と表現されております。
幸福の科学においては、「神」と「仏」は同じく地球神エル・カンターレをを指しており、ほぼ同義のものですが、一般的な神社の神々とは違う意味として、「仏」に統一されていることがあります。


<感想・気づき>

愛を知るには、自分が今までどれほど愛を与えられてきたかを発見することからはじまります。

両親、兄弟、先生、友人、恋人……すでに沢山の方々から、私たちは愛を与えられてきたはずです。

また、私たちの存在を創り、見守ってくださっている神仏も、私たちを限りなく愛してくださっています。

そのことを信じられ、腑に落ちた時に、自然と感謝が湧き出てくるものではないでしょうか。

隣人もまた、神仏が創られた大切な存在です。

隣人を愛するということは、隣人のなかにある神仏の光を愛するということ。

そのため、隣人愛が、神仏の愛を知る上での、一番分かりやすい形として存在しているのだと思います。

自分の大切な人。

愛する恋人、愛する妻、愛する子どもたち。

彼らの中にも、神仏から創られた尊い光(仏性)が宿っている。

そう考えるだけで、さらに相手のことを愛おしく思えませんか?


そして、

自分のしてほしい事を他の人にも施す。
自分のしてほしくない事は、他の人にもしない。

これは宗派を通り越して存在する、人生の黄金律だと言われています。

自分がこうしてもらったら嬉しいな、と思うことを相手にしてあげる。

一番簡単な、与える愛の形だと思います。


それから、本当の愛とは見返りを求める愛ではなく、与えきりの愛

見返りを求めた時に、愛は死ぬ」、といいます。

愛を与える代わりに、何かお返しが欲しい。
これではギブ&テイクになっており、御利益がなければ神様も、人間も愛さない、ということになってしまいます。

そうではなくて、神仏が願われているのは、与え切りの愛。

逆説的なことですが、見返りを求めずに愛を与えていくことで、その愛は循環し、巡り巡って自分の元にも返ってきます。

これは、例えば、私が純粋に相手の喜ぶ顔を願ってプレゼントを渡した時に、相手の喜ぶ顔を見るだけで幸せなのと似ています。

さらに、たとえ自分が望んでいなくても、「ありがとう」と言って下さることもあり、心がポッと温かくなる感覚と似ていると思います。

誰かから愛をもらうことを考えるのではなく、自分から人に愛を与えた時に、幸せな気持ちになれる。

そう考えたら、誰にも愛されない……と悩むのではなく、まずは自分から愛の実践をしていくのはいかがでしょうか?

人は、与え切りの愛の中に生きるとき、実は最大の幸福の中にいるのです。


<まとめ>

いかがでしたでしょうか。
今回のポイントをまとめておきますね!

・愛とは、自分がどれほど与えられ、神仏から愛されてきたかを発見し、腑に落ちた時に、おのずから感謝として湧き出てくるもの。
・隣人を愛するということは、神仏を愛するということ。
・隣人もまた、神仏の光からつくられた存在である。
・愛とは、自分が他の人からしてほしいように、他の人に尽くすこと。
・自分がしてほしくないことを、他の人にしてはならない。
・愛は与えるものであり、見返りを求めるものであってはならない。
・愛を与え尽くしたときに、最大の幸福のなかを生きている。


愛のテーマは奥深く、言葉で聞くのは簡単でも、実際に実践していくのは難しいところもあり、私も日々精進が必要だと思っています。

それでも、一人でも多く、与える愛に生きる人が増えることで、この世界は明るい光に満ちていくのではないかな、と信じています☆

皆さんも一緒に、与えきりの愛に生きてみませんか?

最後までお読み下さり、誠にありがとうございました!


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