「あの世が見えない理由」(大川隆法著「死んでから困らない生き方」より)
いつも私の記事をご覧くださり、本当にありがとうございます。
大川隆法先生の法話・著書の中から、おすすめの作品を紹介しています。
今回は、「あの世が見えない理由」をご紹介したいと思います🌷
こちらは、大川隆法著『死んでから困らない生き方』所収のご法話「この世とあの世の真実を知る」からの抜粋になります。
公式YouTubeに音声がアップされていましたので、文章で抜粋させていただきますね☆
余裕のある方はぜひ、音声にて味わってみてください。
「あの世が見えない理由」
あの世がすっきり見えたり分かったりしない理由は、
この世の生活が支障が出るために、
そういう仕組みに一応なっていて、
宗教家や、あるいは霊能者なんかが出てきて、
いつの時代もちゃんと、仕組み自体は教えるようにはなっている。
ただ「それを信じるか信じないか」は、各人の実践に任されていて、
「目に見えない世界を信じる。あるいは、目に見ることができない善悪とかいうようなものの存在を、信じることができるかどうか」
ということで、
「魂的に向上しているか、堕落しているか」
そういうふうなことが、今世の修行としては測られることになるんだということですね。
こういうことを最低限知っておいたほうがいいし、
あの世は非常にある意味でフェアな世界です。
この世ではフェアでないこともあります。
この世で生きても、実直に生きたし、正しく生きたし、
一生懸命生きたのに、それほど報われなかったけど、
うまいことやって成功した奴もいるとか、
この世にはいろいろあると思いますけれども、
あの世の世界というのは、
かなりフェアに判定は出るので、
神様仏様の創った世界というのは、決して人間の生き方を裏切るようなことはありませんと。
この世で苦労したから「損した」と思ってるかもしれないけど、
その苦労は、それなりに正しいものであれば、(あの世で)報いられることになるし、
この世で楽して「うまくいった」と思っても、それが正当なものでない場合には、
必ず反省させられるようなことがあるんですよと。
これが真実の世界観であって、
宗派を問わず、宗教を問わず、幸福の科学と言わず、
だいたい洋の東西を問わず、認められている考えに近い考えですね。
この人生観を受け入れた人と、受け入れずに生きている人とは、
やっぱり人生に大きな差は出てきますよと。
一応この人生観を持って、知った上で、
毎日毎日の仕事の中に、あるいは生活の中に生かしている人は、
日々がやはり学びの場でありますけど、
「こんなもの信じるもんか」と思っている人にとっては、
すべてが偶然の連続だし、
「死後の世界なんて、そんなものは分からないことだから、
考えても無駄なことだ」
ということになるわけですけれども。
結局のところ、あとで、大きなつけが回ってきますよ、と。
これについては、三十年近い経験から見て、
「疑う余地がない」と
「全然疑う余地がありません」と。
これについて各人が同じ経験を、生きている間にすること自体はできませんので、
このために宗教には信仰というのが必要になってきて、
証明ができるんだったらですね、
何度でも証明ができるような科学実験みたいなものだったら、
信仰というのは、そもそも必要がないものなんです。
それは事実ですから。
何度でも再現して実験できるなら、
事実を受け入れるだけのことですので、
信仰ではないんです。
それは事実を確認しただけのことです。
信仰というのを宗教が要求する理由は、
何人もが同じ経験を生きているうちにはできないけど、
死んでからはもちろんするんですが、
生きているうちにはできないので、
そういう宗教指導者たちの言うことを、
受け入れるしかないということですね。
それが信仰の意味で、
宗教でどこも「信仰しなさい」と言ってるのは、
決して騙そうとして言っているわけではなくて、
信仰を通さずしてその世界に、跳躍して入ることができないからですね。
そういうことで「信仰のすすめ」をしているわけです。
〈感想・気づき〉
あの世があるなら、どうして見えないんだろう?
人は死んだら、どうなるのだろう?
誰もが一度は考えた事のある疑問ではないでしょうか。
その答えは大きく分けて2つありそうです。
一つ目は、あの世の世界や霊が見えてしまったら、日常生活に支障をきたすから。笑
確かに、亡くなった家族の霊がいつも自分を見守っていると思ったら、うれしいけれども、24時間見られていると思ったら落ち着きませんよね。
それこそ、霊の立場からはどんな所でも見ることができる、と言われると冷や汗が出る人もいるのではないでしょうか。
私なんかは、せめてお風呂やトイレなんか見ないでそっとしておいてほしいな……、と思います。
ただ、大川隆法先生のご法話を拝聴していると、「朝、トイレに入っている時に○○の霊がコンタクトをしにきた」などというエピソードが出てきたりして、
「えっ!さすがにトイレぐらいはゆっくりさせてあげたらいいのに……」
と、先生が少し気の毒になったのを覚えています。💦笑
このように、すべて霊やあの世の世界とツーツーの人生になっていると、それなりに生きづらく大変ですし、日常生活を送るのは相当の理性や胆力が必要となります。
だから、基本的には「見えない」に越したことはないのかな、というふうに思います。
二つ目は、「目に見えない世界を信じるられるか」を試されていて、「魂的に向上しているか、堕落しているか」が測られているから。
これは、この世が魂修行の場である、と考えたら、もっともな試験なのかもしれません。
神や仏など目に見えない存在を感じ取り、その存在への愛や感謝を深めていくというのは、実はとても高度な修行であり、科学文明が発達すればするほど、逆に難易度が高くなるのではないか、という気がしています。
また、たとえ霊やあの世などが関係なかったとしても、「人が見ていないところでも悪い事をしないでいられるか」などの道徳観にも繋がって来るのではないでしょうか。
基本的には、「いつ、だれに見られていても恥ずかしくない、正直な生き方」が求められてはいるのだと思います。
また、神仏やあの世、霊界が目に見えない、存在を証明できない世界だからこそ、「信仰」が必要となってくるのだそうです。
宗教が存在しているのも、信じるしかない世界について、教えを伝えているから。
「信じる」という姿勢を通して、見えてくる世界が沢山あるのですね。
一旦「信じる」という姿勢を固めると、どんな気持ちになるのでしょうか。
私の場合、世界のすべてが神様からの恵みのように感じられ、まわりの生きとし生けるものが全て愛しく感じられました。
また、日々生かされていることへの感謝も湧き出てくるので、周りの人々に優しくなることができたと思います。
「信仰」というと、現代人、特に日本人は身構えてしまいがちですが、実はそんなに難しい事ではないと思います。
「天を仰ぎみる。天に感謝する」から始まると考えれば、実はとてもシンプルで簡単な事だと思います。
というわけで、今日も、「あの世が見えない世界」にして、見守ってくださっている主に感謝しながら、生きてまいりたいと思います🥰🌷
〈まとめ〉
今回のポイントをまとめておきます☆彡
あの世が見えない理由は、この世の生活に支障が出るため
宗教家や霊能者がその仕組みを教えるようになっている
ただし、「あの世の世界」を信じるかどうかは、各人の自由。
「目に見えない世界、目に見えない善悪を信じられるか」で、「魂的に向上しているか 堕落しているか」が測られる。
あの世はかなりフェアな世界。
この世で報われなくとも、その苦労が正しいものであれば、あの世で報いられる。
この世で楽して「うまくいった」と思っても、それが正当なものでない場合には、必ずあの世で反省させられる。
「死後の世界」を信じるか否かで、人生に大きな差がでる。
「死後の世界」「あの世」を教えるために宗教は存在している。
科学実験のように証明のできるものであったら、そもそも「信仰」はいらない
「信仰」を宗教が要求する理由は、生きているうちには、全員が「あの世」について同じ経験をすることができないため、宗教指導者の言うことを受け入れるしかないから。
「信仰」を通さずして、あの世・霊界に跳躍して入ってくることはできない。
以上、少しでも人生の参考になる部分があれば幸いです。
最後までご覧くださり、誠にありがとうございました🌷
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