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「雅子さまは三代前が辿れぬ家系」という紀子さまスライドデマと「祖父はチッソ社長」という言い分は両立しないと理解しろ秋篠宮信者

よく秋篠宮信者がほざく「雅子さまは三代前が辿れない家系だ」というデマだがそれと並んで「祖父がチッソの社長ダー」というのがある。

何度言っても雅子さまの祖父である江頭豊さんは日本興業銀行銀行からの「出向」という意味が理解できないアキシンだよ。

「半沢直樹」によって出向というと落ちぶれた意味で考えてしまう方もいるらしいが、現実ではノウハウの交換という意味もあったり、また傾いた会社の助っ人としての意味合いでエースを送り出すことも多い。

銀行からの出向なら、財務、経理の上長として出向させる。銀行側が融資先の経営を立て直して融資をできるだけ回収したいと考えているからだ。

という話は置いておく。
ここで重要なのは雅子皇后陛下の祖父、江頭豊さんのお家柄だ。

1908年生まれの江頭豊さんが東京帝国大学を卒業したのは昭和8年。
当時としては当たり前だがその年に日本興業銀行へと就職している。

彼の日本興業銀行でのキャリアは次の通り

1933年(昭和8年)東京帝国大学法科を卒業。同年、日本興業銀行へ入行。
1946年(昭和21年)日本興業銀行資金部長。
1949年(昭和24年)日本興業銀行人事部長
1951年(昭和26年)日本興業銀行融資第三部長
1955年(昭和30年)中小企業金融公庫理事を歴任
1958年(昭和33年)日本興業銀行に戻り取締役
1961年(昭和36年)常務取締役(大阪支店長兼任)

銀行の常務取締役まで勤めた彼が、当時水俣病によって傾きかけていたチッソへと出向したのは1962年。

水俣病患者の公式認定第一号は1958年であるから、江頭氏がチッソに出向した時点で既に水俣病は社会問題となっている。

このへんは諸々の資料をもう少し読み込む必要があるが、今は「雅子さまは三代前が辿れない生まれ」の侮辱への反論だ。

江頭豊氏は雅子皇后陛下の祖父

「雅子は三代前が辿れない」というのがアキシンの言い分ならば、雅子さまの曾祖父母つまり江頭豊の父親が辿れなければおかしい。

だが

江頭豊の父親は海軍中尉、江頭安太郎。
母親は佐賀県士族、海軍少佐古賀喜三郎の娘だ。遡ると佐賀藩の武士の出。

秋篠宮信者どもの「チッソがー」という侮辱と「雅子皇后陛下は三代前が辿れない怪しいお家柄」という発言は両立しようがないのだ。

そもそも

今よりさらに身分制度が厳しいと思われる時代の日本興業銀行に就職し常務取締役まで勤めた男が「身元不明の怪しい奴」だろうか?

父方の小和田のお家に至っては雅子さまのお父様昭和天皇とエリザベス女王の乗る馬車にまで乗っている。そういうお家柄だ。

そういえばどちらかの祖父だって大正天皇から侍医が差し向けられたくらいだから、身分の上下という意味では小和田も江頭も日本の上流階級といえる。

紀子の父親、川嶋辰彦みたいな所詮厩係からの「粉飾忖度教授」などと訳が違う。粉飾までは見栄として見逃してもいいけど、小和田のお家へのスライドは許さないよわたしは

粉飾したわりにお育ちの違いが明確な雅子さまと紀子
昭和だって紀子さまの母や祖母様みたいなのはない


忖度粉飾教授だった証拠に、川嶋辰彦の葬式に出身大学であるはずの東京大学も学習院も弔意を示していない。疑惑のアメリカのペンシルバニア大学ですらだ。

この写真で川嶋辰彦が教授って信じろって方が無理だけどな。切り貼り粉飾がんばったね!画像加工はキャサリンみたいに世界中が注目しちゃうぞ!

へったくそな画像加工で教授だ留学だ日本人だって呆れるわ川嶋紀子


本件、長くなりそうなのでまたの機会に
悠仁さまの湿疹も気になるのよ


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