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みんな誰かの「先生」「生徒」であること:2021年10月5日(世界教師デー)

日本で勤めていた会社で「インストラクターになるための講習」を受けたことがある。
インストラクターは教育や訓練、研修の指導者なのだけど、ITでのインストラクター業務はもっぱらパソコンやExcel、Wordなどのソフトウェアの使い方を指導する。もちろん、予備知識がないと務まらない仕事だ。

研修資料の作り方から、当日までの準備、実際の研修の予行演習などの講習を一通り受け、「大人同士でも教えるって、準備から当日までやることが沢山あるし大変なんだなぁ」と思ったことを覚えている。


10月5日は世界教師デー。教師の地位向上に関する勧告」が調印された日であり、教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供たちに、充分な教育を施せるよう求めることを目的として制定された。

4月のnoteに、私の小学生の時の夢は「学校の先生」で、今その夢が叶っているという話を書いた。

今、私は以前のインストラクターの経験を生かして、新入社員への導入研修やシステム研修などの講師も務めている。

研修を聞いていた取引先の人から
「まりこさんは学校の先生みたいですね」と言われたことがあって、

「あ、私先生になってた」と気づいたのだ。


形は違えど、子どもの頃の私の夢は叶ったのだった。

大学も教育学部に進まなかったし、教員免許にも興味が無く、とうに子どもの頃の夢なんて忘れていたと思っていたのに不思議な気持ちだ。


私の母は教師だった。
そして、私自身も英語の成績が悪くて母から勉強を教わっていた時期もあったし、一時期不登校になったときには、母だけでなく沢山の学校の先生たちにお世話になっていた

そんな感謝や憧れに似た意識が私の心の中の奥にはずっとあって、今こうして私自身に体現されているのではないだろうか、と最近思っている。

今の私にとって「先生」の仕事は、教える楽しみもあったり、指導をした生徒(マレーシアの同僚)たちが、内容を理解して仕事に生かしてくれている様子をみたりできることが嬉しい。

もちろん、指導する側には大きな責任が伴う。生徒がきちんと理解ができないことは、理解できるまで分かりやすく説明をしたり、再度指導をしたりもしているのでなかなかに手間はかかる。
「ちゃんと教えられなかった」、と落ち込むことだってある。

でも、そんな手間や落ち込みでさえも、生徒たちの「できた!」や「おかげさまで」という言葉を聞けたり、仕事の中で教えたことをきちんとやっている姿を見ると心の底から涙が出るくらい嬉しくなるのだ。

もともとは一人では生きていけない私を「教師」「先生」たちが導いてくれて、今ここに私がある。

教師とは、学校などで、学業を教える人の他に、人間とくに子ども,青年を指導し,その発達を助け促す人、という意味もあるそうだ。

反面教師という言葉もあるけれど、そこから自身で学ぶことができたのなら悲観する必要もないのではないかとも思う。

そう考えると、私と関わってくれていた人たちはみんな「教師」だったのかもしれなくて、私自身も仕事で「先生」をしているけれど、日常生活の中でも誰かの「教師」になっている場面があるかもしれない。

人から学ぶこと、教わること、そして人に教える、意識せずとも人に教えているかもしれないこと。

みんな誰かの「先生」であり「生徒」だ。

そして、今ここに私があるのも、「先生」「生徒」のおかげさまで感謝しかない。

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