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天から地へ向かって文字を書く:2021年9月8日(国際識字デー)

最近、「鉛筆やペンで紙に文字を書く」ことをしたのはいつだっただろうか?という風にすぐには思い出せないくらい「自分で紙に文字を書く」機会が減った。

以前は会議の時などにも紙のメモ帳に大事なことをメモしていたのだけど、オンライン会議に変わってからはもっぱらパソコン上のメモ帳アプリを使っている。

今の私のデスクには筆記用具が無い。
筆記用具が必要な時は、戸棚にしまってあるペンケースからペンを取り出して使う。

そういえば、自分で紙に文字を書いたのは、約3週間前の2回目の接種で英語で書類を書いたときだった。

その日から今朝まで、私の家でペンと紙の出番は無くなっている。

9月8日は国際識字デー。日常生活で必要な文章を理解して読み書きできる能力のことを「識字」という。国際識字デーは識字の重要性を世界に訴えかける日として、1965年にユネスコが制定した国際デーだ。

文字を読むことは毎日パソコンに向かって文字を読むことをしているので、衰えを感じることは無いが、「書く」ことは別だ。

小学生のときには習字も習っていたから、時のキレイさには少し自信のあった私だったけど、最近では特に日本語で住所や名前を書くときにペンを持つ手が震えてしまってうまく書けない。

また、書こうとしても文字の形は分かっているのに、筆が進まないのだ。

そして、これは気づいたことなのだけど分からない漢字を「えーと、なんだっけ?」と思い出すときに、私の頭の中ではパソコンのローマ字入力の文字変換が思い浮かんでいるのだ。

以前手に取った書家の石川九楊さんの本の中に、こんな一説がある。

「書く」と「打つ」では脳の使い方に大きな違いがある。「打つ」のは分裂的、否定的に働き、「書く」のは統合的、肯定的に作用する。「秋」と書く場合は春や紅葉を思い浮かべながら書くが、akiとローマ字入力すると分裂し、「空き」がでると否定的に働く。

書家である石川九楊さん視点の縦書き,横書き,パソ書きの比較の話は興味深かった。

そういえば、もともと日本語は縦書きだったはずなのに、いつの間にか横書きが主流になっている。今書いているNoteのエディタも横書きだ。

ただ、書籍などの出版物、小説などは縦書きのものがほとんどで、横書きで印刷してある小説はなんとなく頭にすっと入ってこないような感じがする。

「縦に書け!」の中の石川九楊さんの主張は少し過激な部分もあったけれど、確かに「文字を書かない」ことで失っているものも多くあるかもしれない。

これからの社会はサインも指紋認証で済んだり、「何かを(紙などに)直接書く」という機会は少なくなっていくだろう。

パソコンは便利で、今の私もこうして何の苦もなくスラスラとNoteに文字を綴っているのだけど、石川九楊さんが本の中でも言われている通りに「打つ」ことが分裂的だとしたら、たまには「書く」ことも必要かもしれない。

試しに私も筆記用具を引っ張り出して、久しぶりに文字を書いてみた。
今日の日付を書くだけで時間がかかる。

パソコンなら一瞬なのにと考えながらも、天から地に向かって縦に書いていると、なんとなく背筋が伸びる思いがした。


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