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好きって気持ちとかセクシャリティとか

先日、公開したスタエフに対してのこれは補足のようなnoteです。
ここ最近のスタエフでは、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」を友達と紐解いているのですが、今回のテーマが「セクシュアリティと性的行動」でした。

詳しい内容はスタエフのほうで聞いていただければいいのですが、
セクシュアリティというのは生涯を通して、発達するものであり、複雑なものと話しています。
ということはつまり、今自認してるセクシュアリティが将来変わる可能性もあるっていうこと。

実際私のまわりには、セクシュアリティが変わった友人が何人かいます。
homophobia(同性愛に嫌悪抱く人たち)だった同級生がゲイになったり、
異性と散々遊んでた子が同性のパートナーと落ち着いたり。
スタエフでも話していますが、私自身も中2だった時に同性の水泳の先生がかっこよくて、よく水泳チームでもないけど泳ぎにいったっけ。笑
女子校にいたから、先生に対して
「ほわ~~」とした感情を持ったのか、
よくわからないけど、当時は「恋愛として「好き」なのか、憧れなのか」って悩んでいたなぁっと思います。
逆に女の子から迫られて困惑したこともあり、「あの子はレズなのかなぁ」とか思ったりしたことも。
高校の時には好きな人がゲイってこともあったりで、10代のころから多様性の「好き」について考える機会がたくさんあった。
そんな経験を経たからこそなのか、私にとってセクシュアリティというものは、「味の好みって変わるよね~」ぐらいの認識。
軽すぎる認識なのかもしれないけど、
スタエフでも友達が「セクシュアリティを重く捉えてた」って言ってたけど最終的に、「セクシュアリティ」って「あみだくじ」みたいなものと言ってて、その時「好き」になった相手と自分次第で「恋愛」や「友情」に発展するんじゃないかと思ってる。
それが「結婚」になって、
実はセクシュアリティが違ったもしくは変化していったとなると、「結婚したのに!」って話だけど、もし同性婚が許される地域であったら、人間同士の相性で片付く問題なのかもとか思うのです。
だってしょせん、「恋愛」も「結婚」も人間関係の延長にあるのだから。
そしてなにより「どの性を好きになるか」を重要視するんでなくて、
「この人と一緒にいるとハッピー」っていうことがもっと重要視されたらいいなぁ~って。
なんていうか、そう思ったのは高校の時に仲良かった男友達の存在。
4年前、高校卒業ぶりにカナダにいって再会したとき、彼が彼氏を紹介してくれました。「高校の時は確かストレートだったはず・・・何があったんだろう」と思った私でしたが、友達が超絶ハッピーでいるのを目にして、「友達がハッピーでいるのだから、誰と一緒でも構わないよな」と感じ、「何があった」なんて聞くのは野暮だなっと。

ちなみに今日は、スタエフで友達がおすすめしていたネトフリにあった「Heartstopper」を見ました。
10代のセクシュアリティや好きの揺らぎが描かれていて、とっても甘酸っぱいドラマでした。なにより、音楽のセンスがいい~~
第2シーズンも決まったとかでこれからも楽しみなドラマです。
よかったらみなさんも見てみてください!


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