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安易に病院に行かない幸福生活

日本は健康保険制度があるので、医療費が安い。
そのため小さい頃から、ちょっとした体調不良でもすぐに病院に連れて行かれる。
「早期発見早期治療」の合言葉を声高に叫ばれ、ほんの少しの違和感で病院に行き、
大きな病気のきっかけが見つかり、治療が開始。「早く見つかったからこの程度で済んでよかったね」となるストーリーが、全国津々浦々浸透している。

もちろん、そんなケースも多々あるだろう。
私の父は、早めに病院に行っていたにもかかわらず、複数の病院で誤診された結果、悪性腫瘍、いわゆる癌の腫瘍がこれ以上ないくらい大きく成長してしまっていたという、なんとも運の悪い結果になった人だった。
それにしても病院に行っていなかったら、4年くらいは寿命が短くなっていたのだろうし、結局は癌とは関係のありそうでなさそうな急性心不全で亡くなっているので、病院と癌と治療が彼の人生にどんな影響を与えたのかは、謎のままであるし、それを解明したいとも思わない。

生まれつき喘息持ちで体が弱かった私を、母は病院に頻繁に連れて行った。
幼い私は喘息の治療のために毎週病院で吸入治療をし、毎日朝昼晩3回の飲み薬が欠かせなかった。

格別病院に対して良いイメージも悪いイメージもない。親戚にはかなり高度な専門レベルでの医療関係者も複数人いるし、彼らに対して何か固定の印象を持っているわけでもない。

日本の病院は、概ね人々が親切だし、院内は清潔で、さまざまなことがスムーズに運ぶ場合も多い。便利である。

しかし、大人になった私は、安易に病院に駆け込むのはどうなのだろうかと疑問を抱くようになった。

安い、と言えども費用はかかる。
そして病院へ往復するための時間と労力もかかる。

色々な検査をした結果、痛み止めと湿布をもらって終わる。

(検査の結果)「悪い病気じゃなくて安心したね」などという話で終わるのだが、
いやいや、このエネルギーの損失をどう埋めたらいいのだ、と心の底からの憤りが後からじわじわとやってくる。

さらに私自身も、癌では無いものの父のように、誤診に誤診を重ねられ、やっぱりおかしい、なんか変だぞと思い、本当にひどい状態になって3件目の病院でやっと適切な治療をしてもらえたという経験も複数回ある。

そんな経験を重ねるとどうなるか。

結果、私は病院に安易に行かないことにした。
なんだか、「早期発見早期治療」の言葉に、まんまと踊らされているのではなかろうか、
と思えてきたのだ。

ここ数年、胸が苦しい時期がある。
最初は小さな違和感から始まった苦しさが、そのうち体のから「ピコン・ピコン・プチ・プチ」と小さな泡が表面で弾けるときのような音が聞こえてき始めた。
便利な世なのでサクッとネット検索をすると、どうやら気胸の症状らしい。
ふーん、と思いながらその治療法を読む。
軽度の気胸の場合は安静。
重度の場合は手術。

なるほど。数年前にレントゲンは撮っているし、その時に仮にすでに気胸だったとしても、お医者様が「なんとも無いですねー」と言っちゃっておられた様子から推測すると、彼が誤診したと言ってしまうのは酷な気もするし、ここは一つ、簡易的なレントゲンでは見つけられないようなレベルのものだったのだろうと仮定する。

さらに気胸について検索をする。
ふむ。重度の気胸の場合はどうやら、ぶっ倒れて結果病院へというレベルのようだ。
つまり、素人の仮定に過ぎないのだが、今、万が一、気胸が得意な医療機関で気胸ですねーと言われたところで、1週間くらい安静にしてくださいねーと言われて終わる可能性が高い。

それは非常に無駄である。エネルギーの浪費でしかない。

そんなわけで、私は幸い、現在は「あれ、なんか今日は結構苦しいぞ」と思ったら、横になる時間くらいは確保できる環境にあるため、日も高いうちから遠慮なく横になって休ませてもらっている。

コストゼロ。

いや、その横になった数時間の生産性が落ちているのでマイナスか。
しかし病院に行ったら生産性のマイナスに加えて費用がかかっているので大赤字なのであるが。さらには具合が悪いんだから今日くらいは美味しいスイーツを買って帰ってもいいだろうと余計な買い物までするだろうからもう目も当てられない。

過去の経験からまとめるとこういうことになる。

1度目の受診で誤診。

2度目の受診でまた誤診。

3度目の受診時にもう倒れる寸前になっており、ようやく正しい診断と適切な治療。

つまり、1度目と2度目が無駄なのだ。

3度目の倒れる寸前の時に救急に行く状態だけであればよかったということになってしまう。
結果「早期発見」なんて無理なんじゃないか、と思ってしまうのである。

1度目と2度目のような軽度な状態での安易な受診が多数存在するから、お金が動いて病院が経営できるという話も否定できない。コロナ禍で人々が医療機関に安易に行かないようになったら経営破綻してしまう病院が出てきたりするところを見ると、そういうカラクリだったのかと納得せざるを得ないのだ。

医療は本当に命を助けてもらうこともあるから、否定したいわけではない。
しかし、今一度、無駄な出費をしていないか見直すべき点でもあると思っている。

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