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安かろう悪かろうが生き残る時代

近所の美味しいパン屋が潰れた。

味の質は高く、値段も高めな店だった。
そのため頻繁に買いに行くわけにはいかず、けれどもたまに、どうしてもあそこのあのパンが食べたいなという時のとっておきで買うことにしていたパン屋だった。

ちょっと3個くらいの小さめなパンを買っただけで軽く千円札が飛んでいくようなそのパン屋は、そんな価格設定の割には、近所に高級住宅街と呼ばれるエリアがあるためか、夕方にはショーケースの中にはほとんどパンが残っていなかった。

だからまさか閉店するとは、予想もしていなかったのだ。

晴れた日の朝に、山を下り、今朝はあのパン屋のバゲットにしよう、もしカンパーニュがあったらそっちでもいいかな、などとワクワクしながら歩いていくと、パン屋のシャッターが閉まっていた。臨時休業かなと思い、いつまで休みなのか確認しようとシャッターに貼ってあった張り紙まで近寄った。
ひらっと風に揺れる真っ白な張り紙には、つい数日前の先月末で閉店した旨が書かれていた。何年の間ご愛顧いただき云々。場所や形態を変えてまたどこかでお店をやるかどうかなどの情報も一切なく、ただ、「閉店しました」という事実が書かれていた。

徒歩圏内にパン屋が実はもう一軒あるが我が家はそこのパンはリピートしていない。
コンビニのパンと同じ味がするのだ。わかりやすい味といえばそうなのだが、だったらスーパーの安いパンを買いたいなと思ってしまう。そのコンビニパン味のパン屋は、決して値段は安くはない。

コンビニパンが悪いと言っているわけではない。私も、どこか遠出をした時など、他にお店がなくコンビニだけがあるような状況だと、ありがたくコンビニパンを美味しくいただく。いつでもどこでも、安定の味を安く買うことができるコンビニパン。これは価格や技術、流通のどの点からしても、すごいことだと思う。

コンビニパン味のパン屋の価格設定が、コンビニパンに非常に近いところにあれば、ごくたまには買うこともあるのかもしれないが、いかんせん、値段と内容がマッチしていないと感じてしまうので、足が向かない。

しかし件の潰れてしまったハイクオリティなパン屋よりは、コンビニパン味のパン屋の方が安いのである。

しかも私たち家族の好みの味の問題と、コンビニパン味のパン屋の味にお金を払おうという気持ちがマッチしなかったと言うだけで、コンビニパン味のパン屋も売れていないわけではなくむしろ連日大繁盛の様子なのである。

さて、高級路線のパン屋が開業からたった数年で潰れたという事実は、どう受け止めたらいいのだろうか。

しばらくはどこでパンを買ったらいいのかしらと脳内地図を検索してみれば、鎌倉は鳩サブレーで有名な豊島屋のベーカリー店か、同じく鎌倉のドイツ系のベルグフェルドや、天然酵母を味わいたいなら鎌倉材木座のママネベーカリー、どっしりずっしりなハードパンを薄切りにしたいならKIBIYAベーカリー、日常的な食パンでサンドイッチを作りたいなら日進堂、とあれよあれよと近隣パン屋リストが出てくるので、特に困ることもなかろうとは思うのだが、それでも徒歩で行けるところにある質の高い小さな美味しいパン屋が消えてしまったということが、なんともいえない蟠りを胃の奥の方に落としたのだった。

物価高と日本円がすっかり弱くなってしまったことが、財布の紐を一層固くさせている。
徹底的に節約をしていこうという空気がそこかしこに漂う。
米だけはまだ値上げを感じづらい食材であり、つまりはパンを食べる頻度を減らさざるを得ない。ついには簡単なピタやナンのようなものは業務用の強力粉とイーストを買ってきて、家のフライパンで焼き始めるほどだ。十分美味しいし焼きたてだし添加物フリーである。しかもかかるコストが激安。

人々がお金を使わないと経済が回らない。
そんなことは百も承知なのだが、お金を使うと今度はこちらの財布が回らないのである。
経済が回ったところで、誰も我が家のことは助けてはくれない。
コロナ期間を通じて、世界と日本を比べ、日本政府は頼りにならないことをよく理解した人々は、自分で考えて自分の身は自分で守るしかないと、認識を改めたのではなかろうか。

値段が高くても真っ当な商売をしているものや、消えてほしくないもの、本当に良いものを購入したいと思っている。
けれどその購入頻度は確実に減っているのだ。
以前は月に2回から3回ほどお金を使っていた機会も、月に1度になり、次第に2ヶ月に1度となった。

そうこうしている間に、高くて美味しいお店が消えたのだ。

おそらく似たようなことが、これからも起こるのだろう。

1年後、周りで生き残っている店は、よほど母体に体力がある大きな会社のものか、安かろう悪かろうでも安く買えるからまあ良かろう、という店ばかりになっているかもしれない。

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