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嫉妬心と劣等感

お正月ということで、離れて暮らしている
兄夫婦が久しぶりに遊びに来てくれました。

兄夫婦をひとことで表すとしたら…まさに「安定」
経済的にも精神的にもゆとりがあって
本当に、安定そのもので。

(実際には当事者にしかわからないことも
 あるかと思いますが、私から見て…という
 勝手な印象です)

私は、記憶にある限りでは
(記憶にない頃はもちろんわからないけど)
安定した生活って、多分送ったことがなくて。

今までのnoteにも記してきましたが
わりと気苦労が絶えない人生でした。

もちろんこんな私でも、兄夫婦からすれば
何か無いものを持っているのかもしれませんが
私は兄夫婦が来るたびに、いつも羨ましくなります。

今回のこの話は、あくまでも私の場合の一例ですが
こういう、自分が持っていないものを
持っている人を目の前にしたときって
どんな感情が湧き起こりますか?

羨ましいですよね、当然。
羨ましい…そのあとは??

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私は若い頃は、何か辛いことがあったときに
【外罰的】にしか考えることが出来ず
全ては周りの環境のせいだと思う傾向がありました。

わかりやすく例えるなら
私がこんなに苦労してるのは◯◯が悪いんだ
◯◯のせいで私は不幸だ
…みたいな感じですね笑

ま、しょーもない話ですよね。
でも、若い頃はこれが紛れもなく本音だった。
周りが羨ましくて仕方がなくて。
典型的な【嫉妬心】ですよね。

でも、嫉妬心を抱いてしまうことは
辛くてしんどくて情けなくなってしまうけど
こういう感情の処理の仕方って
実はすごく楽なんですよね。

周りの環境のせい…人のせい…物のせい…
楽なんですよね、こう考えていられるうちは。

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本当の意味で辛くなってくるのは
【自罰的】な考え方しか出来なくなってきたとき。

全ての原因は自分にある、と。
そう思い詰め始めてしまったとき。

自分の情けなさや、不甲斐なさで自己を責める
これらは【劣等感】と呼べると思います。

「すべては自分が選んできた結果である」
といった、自己責任論ともいわれる
なかなか辛辣な考え方がありますが…

理屈としては間違っていないのかもしれませんが
この考え方に嵌ってしまうと、本当に辛いです。

【嫉妬心】は外に発散することで
ある程度解決することも出来ますが
【劣等感】は、内部にどんどん溜め込んでしまうので
この二つの定義は
まさに相反するものだと思います。

特に劣等感は、人に知られることが恥ずかしかったり
抵抗を感じたりすることが多いと思うので
出来れば自分の中で留めておきたい…
外ではそれを感じさせないように
意識して振る舞う必要があります。

顔で笑って心で泣いて…という言葉がありますが
まさにそんな心境ですよね。

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若い頃はエネルギーもあったし
外に不平不満をぶち撒けることで
憂さ晴らしが出来ていた一面もありました。

でも今は、どうしても劣等感の方が強いです。

比べてはいけないけど、同年代の友達を見てると
なんで私は今、こんな状況にいるのだろう…
なんでもっと上手くやれないんだろう…
って、思ってしまいます。

後悔も多いです。
あのときああしていれば…こう言っておけば…
あっちを選んでおけば…って。

キリがないんですけどね。

まぁ、沈むところまで沈んだら、あとは上がるだけ
頑張るしかないんですけどね〜

※本文の【外罰的】と【自罰的】の部分は
 補足が見られるのでクリックしてみてください。



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