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【読書感想】SNS上で見られる不思議な論調について思うこと

はじめに(陸上観戦という趣味)

陸上競技(とりわけ、駅伝や長距離種目)についてのライトなファンを自称している。

ファンを自称するからには、記録会や大会での順位やタイムは当然頭に叩き込むし、その大会が各チーム・選手にとってどんな位置づけなのかというのも理解しようと努める。

そうした記録会や大会のエントリーやリザルトを把握するときに、大いに役立つのがSNSでの情報収集となる。

近頃も、残り1カ月近くとなった箱根駅伝に向けて、各アカウントがいろいろな情報を発信する。

陸上部や監督のアカウントは、練習の様子や選手の素顔を。
情報まとめる系のアカウントは、直近の記録会・大会のリザルトを。
ファンは、箱根本番に向けて推しを応援したり心配したりと、感情渦巻くツイートを。

中でも、この時期に頻繁に見かけるツイートは、箱根駅伝の順位予想や区間配置予想といった類だろう。

ただ、たまにTLに火種が投下されることがある。

例えば。
区間配置予想ツイートに対して、「何も知らない一般人が区間配置予想をして、予想されなかった選手のことを考えたことがあるのか!」といったツイートが降臨したり。
(あくまで区間配置”予想”なのに、と個人的には思う)

例えば。
期待からかけ離れたような走りをした選手を「ブレーキ」と揶揄することに対して、「ブレーキと呼ばれる選手のことがかわいそうだ!」という意見が散見されたり。
(知らんがなと思う)

例えば。
箱根駅伝を観るのが好きなファンに対して、「駅伝ファンなら関東以外の駅伝も見ないと!」というツイートが流れてきたり
(全部好きになる義務ってないよね、と思う)

と、例を挙げればいろいろと出てくる。

なんとなく不思議に感じるのが、こうした意見が、私のアカウント(陸上専用のアカウント)のTL上で、一定の理解が得られていることだと思う。

こうした陸上Twitter界隈の空気は、ほかのTwitter界隈から見たら、ちょっと異質なような気もしている。

今やっているワールドカップだって、優勝国予想なんてザラに行われているし、一番人気の馬が負けたときの競馬場は罵詈雑言の嵐だ。
なので、こんな些細なことが暗黙知になっている状況って不思議だと思う。

『群衆心理』(ル・ボン)を読んで

最近読んだ本に、『群衆心理』(ル・ボン)という本がある。
この中で、上述した現象が少し理解できそうな気がしたので、自分を納得させるためにも整理してみた。

  1. 影響力ある人が与える影響や、目に入る情報の反覆性

  2. 「群衆」の特性

1.影響力ある人が与える影響や、目に入る情報の反復性

陸上長距離界はここ数年、メディア露出の機会が増えてきている。
青山学院大の原晋監督はメディアへの出演を精力的に行っているし、人気番組「オールスター感謝祭」や「炎の体育会TV」にも陸上選手が定期的に登場する。

そして、近年では、陸上長距離に特化したニュースメディアも登場しており、それらメディアはSNSを通じてコメント発信を精力的に行っている。
こうした情報は一ファンである私たちにとって、とても有益な情報をもたらしてくれる。

ただ、メディアの発信内容を見ると、コメントの受け手側をミスリードしてしまうような内容も散見される。
(該当メディアを批判しているわけではないので悪しからず)

そうしたコメントはフォロワーが多いこともあり、自然と目に入りうるものであることに加え、影響力を持つメディアや人々がコメントを繰り返し発することによって、メディアのメッセージは受け手側に無意識のうちに定着していく

本著でも以下のように触れられている。

断言された事柄は、反覆によって、人々の頭の中に固定して、遂にはあたかも論証ずみの真理のように、承認されるにいたるのである
本著160頁

気づかないうちにSNSにあふれる意見を、無意識のうちに自分のものとして認識してしまう、ということだろう。

2.「群衆」の特性

本著において、「群衆」とは、「意識的な個性が消えうせて、あらゆる個人の感情や観念が同一の方向に向けられる」ものと定義されている。

人間は、大勢の中にいるという事実だけで、大勢の意見に抗うことなく、合理的な判断を下すことができなくなるほどに理性が低下しうるものだ、と。

上述したそれぞれの違和感ある意見について、おそらく、それぞれが出始めた当初はもっとライトなツイートが多かったと認識している。

「区間予想をしても走れない選手もいるんだよな~」とか「関東の大学しか出られない箱根駅伝以外にも、関西の大学の頂点を決める丹後大学駅伝という大会もありますよ~」という柔らかなフレーズだった気がしている。

その言葉が独り歩きをして、ちょっと違和感ある意見が形成されていったのではなかろうか。

本著の中でも、群衆に思想やイデオロギーが普及していく様子について以下のように書かれている。

思想は極めて単純な形式をおびたのちでなければ、群衆に受けいれられないのであるから、思想が一般に流布するようになるには、しばしば最も徹底的な変貌を受けねばならないのである。
本著77頁

おそらく、一介の感想・ぼやきツイートや単なる情報提供だったものが、目に触れやすい状況に置かれることによって、人々の頭の中に固定されていくのだろう。

そして、固定化された情報が「あたりまえ」になっていき、「みんなこうあるべきだ」論へと変貌を遂げて、一意見として形成されるに至っているのではないだろうか。

おわりに

最近、Netflixでみたドキュメンタリー映画『/監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』や書籍『閉じこもるインターネット』(イーライ・パリサー著)などから、SNSによって自分の触れうる情報や興味関心が無意識に固定化されていく、というような内容よく触れるようになった。
(もともと管理社会を描いた作品は超大好物なので)

SNSに触れて得た情報はどうしても閉ざされたコミュニティから得たものだし、そこにある情報が絶対普遍的なものだと思うと、他の社会や環境に触れたときにどうしても違和感に気づかされる。

そうした意味で本著も、無意識のうちに大多数の意見に隷従したりしてしまう状況の危険性を説いており、読んでいて身につまされる思いだった。

冒頭部と結末部で大分論調が変わってしまったが、興味ある方は参考にあげた作品をぜひ読んでみることをお勧めしたい。

また、私も個人への戒めとして、SNSで流れてくる情報について、ただ単にいいねやリツイートが多いからといった理由で盲信してしまうことがある。
ここについては注意深くありたいと思う。

また、群衆の暴走を止める手立てとして、本著では「経験」と「道理」が必要と指摘している。
心に留めておきたい。

経験は、群衆の精神に真実を確立し、あまりにも危険になりすぎた幻想を打破するために、有効な、ほとんど唯一の方法となる。しかし、それには、経験が、非常に大規模に実現され、かつしばしばくりかえされなければならない。
本著141頁

参考作品

①『群衆心理』(ル・ボン)

②監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影

③『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』(イーライ・パリサー)

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