フィンランド教育は素晴らしいという「幻想」

2018年9月20日 

朝起きられない。
それでも授業には間に合っているけれど、起床から家を出るまでの最短時間記録を日々更新しているような気がする。

日本にいる時からそうだったけれど、朝本当に起きられない。
常に眠い。
休みの日はずっと寝ていたい・・・と思うほど。
それはここに来ても変わらない。それどころか眠さが日々増している。

常に眠くてだるい。だから常に省エネモードで過ごすことを心掛けている。
そして眠ることが大好きでもある。

昨日友人とテキストしていて「趣味は何?」と聞かれたとき
答えるのに戸惑ってしまった。「わかんない・・・寝ることかな」と返信したら
今度は友人のほうが困ってしまった。

そういえば趣味がない。
期日があったり自分の生死にかかわることなど「やらなければならない」と思わないと、できない。
あるいは誰かへの恩返しみたいな「他人に(も)利益がある」と思わないと続かない。
「(別にやらなくても生きていけるけど)楽しくってしょうがないからどうしてもやっちゃう」
みたいなのが、いわゆる「趣味」なんだろうけど、
それにあたるものが私にはない。一生見つからないような気がする。
しいて言えば眠ることなんだと思う。
これを書きながらつくづく「つまんない人間だな」と思う。

「楽しい」って思うことも確かに最近あったはずなのに。
なんだか興奮しない。エキサイトできない。
なんでこんな私暗いんだろう。
私だけセロトニンやドーパミンが大幅に欠如しているような、そんな気分。
しかもこの低空飛行状態が3年近く続いている。
(その間に一時的にわくわくすることもなかったわけではないけど、基本的になんか暗い。そのせいなのかこの3年くらいあまり長生きしたいと思わない。)

趣味を持つとお金もかかるし、定期的に外に出ていかなきゃいけなくなるし、暑かったり寒かったりしたら出ていくのめんどくさいし、レッスン等だったら時間も守らなくちゃいけないだろうし。
趣味を持つ前から「趣味を持つことでかかるコスト」が先に頭をよぎる。
趣味は「趣味」なんだから、そんなきっちりきっちりやらなくていいはずなんだけど。

ああ。私はどうやったら「趣味」を「心置きなく」楽しめるようになるんだろう。

***

前置きが長くなってしまった。

午前中は必修の授業があった。フィンランド教育の実態について。
今日はフィンランドの教育制度の概要に関する講義。

フィンランド教育は素晴らしいという「幻想」を抱きがちな原因の一つは、フィンランド文科省等が対外向けに作る資料が少々マーケティングに寄っているからでもある、ということに気づく。
交換留学生時代に英語で書かれた日本の教育制度等に関する政府などが発行した資料を探していたことがあったけど
日本の教育に関する英語で書かれた資料だって、日本にとって都合の悪いことはそう書いてない。みつからない。(3年前のことなので今はどうだか知りません)

フィンランドがPISAランキングで1位だったのは本当のことだけど、それはもう過去の話だ。

幼稚園の先生の低賃金問題やそれにかかわって生じたデモ行進等、日本の保育士低賃金問題に似た問題をフィンランドも抱えている。

ただ幸い、この講義を担当する先生(フィンランド人)が、フィンランド教育の様々な実態を批判的に紹介してくれるので、
盲目的に「フィンランド教育すばらしい!Amazing!」ってならずに済んでいる。
そういう「幻想」をぶっ壊すこと自体が学びであるとも思う。「幻想」から解き放たれる瞬間は、一瞬ショックだけれど、すがすがしい。

午後。「Issues in Education」という、自分の専攻にかかわる授業の講義。
この講義はオムニバス形式で、いくつかあるvisitor resercher などの講義を最低10個は聞いて、それぞれの講義に対するリフレクションペーパーと最終エッセイを提出すれば単位が得られるという仕組みである。
しかもこのセメスター中の最終エッセイ提出が難しければ来セメスター中に提出すれば構わない(成績にも影響しない)ということである。
こういう、柔軟なスケジュール編成や授業の在り方をよしとするフィンランドの大学制度はとてもいいなと思う。

今日はPhD Defence を聞きに行った。
博士課程の論文に関する、教授と執筆者とのディスカッションのことをそのように呼ぶらしい。
Mental Depressionの治療方法に関する研究だった。
事前に論文を読んでいかなかったので何言ってるかさっぱりだった。

その後、Each One Teach One のパートナーとの簡単な打ち合わせをする。
初めに自分のStudy Planを作る。自分の学びたい言語のレベルがどれくらいで、どういうふうなスキルをどのような方法で向上させたいか、みたいなことを書くのである。
それを提出した後、EOTOを担当する先生と今度は簡単な打ち合わせをするらしい。
ユバスキュラ大学にきて思うのは、学生自身が「何を学びたいのか」「将来どうなっていきたいのか」を常に問われるということだ。
私はとってもものぐさなので、自分で目標を設定するという行為自体が、正直ちょっとつらい。

帰宅。明日の研修旅行に備えてお菓子や果物等を買いに行く。
3年前の交換留学時には見つけられなかった(私がよく見つけなかった)洗顔フォームを見つける。購入。

家に帰る。明日のお昼と朝食を兼ねてオーブンで冷凍ポテトと切ったニンジンを焼いた。
油を少しかけてオーブンに入れておく間に夕食のパスタも作る。
焼けた冷凍ポテトとニンジンには塩コショウとミックスハーブをかける。
味見した。ちょっとしょっぱいけどおいしい。

洗濯をする。
私の家ある建物の地下に洗濯機と乾燥機が置いてある部屋があり、使う時間を予約して使用する仕組み。
それぞれの予約はアプリやウェブ上でできる。

午後の講義の博士論文を1/4ほど読み進める。
その後、同じ修士課程の友人が紹介してくれたYle selkouutiset というウェブサイトを見る。
Yleは確かフィンランドの公共放送である。Yleが毎日提供している、フィンランド国内外のニュースを簡単なフィンランド語で紹介してくれるチャンネル。
簡単と言っても私にとっては難しいけれど、辞書を引いたり文脈等で大体何を言ってるかわかる。
フィンランドの今年の技術系と福祉系の高等教育の入学者が、定員を下回ったらしいことを知る。

フィンランド人は英語ができる。
これは本当にそう思う。今日のPhD Defenceだってフィンランド人同士が英語でやっていたし。
だけど、午前中の講義の資料しかり、英語だけでフィンランド国内の実態を知ろうと思ったらやっぱり限界がある。
それに、お店などに行って自分のほしいものやサービスを的確に得ようとしたら、やっぱりフィンランド語はできたほうがいい。

そういえば3年まえの交換留学時に、フィンランド語ができなくてさみしい思いをしたことがあった。
当時付き合っていたフィンランド人に誘われて、彼の友人が主催するホームパーティに行った。
着いたらほかの参加者(10人ほど)のほとんどがフィンランド人だった。フィンランド語を話せないのは私ともう一人の留学生だけ。
そして、フィンランド語話者だけがかたまってフィンランド語だけで話し始めた。
仕方ない。私が日本にいて日本人だらけのパーティに行ったら私もそうしたかもしれない。
でも私はとってもさみしかった。何を話しているのかもわからないし、どのように会話に割っていったらいいかわからなかった。
だから部屋の隅でひたすら食器を片付けていた。どうしたらいいかわからなかった。
そして、どうしたらいいかわからなくてついにお酒に逃げた。いつも以上にお酒を飲んで、必死に明るく振舞った。
ほかのフィンランド人たちもお酒を飲むとだんだん英語でも饒舌になってきた。お酒で酔いつぶれないとそこにいるフィンランド人たちと英語で話せなかった。

当時の彼がそんな私を見かねて、その日は早めに引き上げた。
酔いがさめた次の日、私は少し泣いた。
(この日から私は元彼と、酔いつぶれないために『お酒を飲むときの約束』を作ったのだった。彼の前ではビールなら缶ひとつ、ワインならグラス1~2杯。それ以上飲むときはその場の状況によって彼と相談して飲むかどうか決める、というもの。)

フィンランドでは至る所で英語表記を見つけられるし、英語ができる人が多いので住みやすいなとは思う。
と同時に私はフィンランドでは「外国人」なのである。もっと深くいろんな側面からフィンランドを知りたいと思ったら、英語だけでは無理だ。

そんなわけで(ほかにも理由はあるけれど)フィンランド語を学んでいる。
フィンランドに対するあらゆる幻想を壊すために。あるいはそれらが本当なのかどうかを確かめるために。

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…