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来フィン2か月目(後編)

2015年10月22日

続き。
(友達・アイデンティティ)
・日本人の仲間ができた!いままでフィンランドに溶け込もうとして、そしてヨーロッパ人の友達を孤独にさせまいとして日本人との交流を頑なに絶ってきました。でも今はバランスが大事だと思っています。日本人と一緒にいても、ヨーロッパ人と一緒にいても、お互いを孤独にさせないように気を付けていればいいのだと気付きました。そして自分の中にある「日本人」「ヨーロッパ人」・・・みたいな垣根を取っ払うことができればなあと思っています。
・スペイン人の友人に中国に行ったことがあるか問われて、行きたいけどいろいろ心配な部分が多いので今は少し躊躇しているという話をしたら、「なんで?!!!!隣国じゃん!」ととても驚かれました。一応自分の知っている限りの日中の情勢について私のくそ英語で伝えてみました(正しい情報かどうかはわからないけれど・・・)。前編で書いた宗教教育の件でもそうですが、「日本人」としての自分をこういう時とても認識させられます。
・同居人のスペイン人が「spanish dinner」なるものを開催してくれて、スペイン料理をたらふく食べ、スペイン語の歌を歌って踊る素晴らしい時間を過ごしました。スペイン語の歌なんて何言ってるかさっぱりわからないけど、みんなで歌いながら踊っていたらスペイン語はわからないのになんだかとっても楽しかったのです。うまく言えないけれど、心の奥底でみんなと「楽しい!」という感情は共有できたと思うのです。心通じ合う仲間を作るのに「語学力」なんて絶対に関係ない、みんなで一緒に同じ時間を共有するだけでも腹の底で同じ感情を共有できることがある、コミュニケーションの原点はここにある、と私は声を大にして言いたいです。
・そんな素晴らしい仲間を置いてエストニアに一人旅してきました。爆笑 ですが一日目体調を崩し悪寒と吐き気がとまりませんでした。このとき「ヨエンスーの家に帰りたい、ヨエンスーの家に帰ってみんなにmarino are you ok? とか 飲みすぎなんじゃない?笑 とかからかわれたい」と本当にそう思いました。皮肉にも一人になって初めてヨエンスーの家が自分の「ホーム」になりつつあるのだと認識したのです。夜中うるさいこともあるし適当な同居人のみなさんだけど、そのぶん人の失敗に寛容でまじめなときはとことんまじめで、まっすぐすぎる性格のせいで困難に真正面からぶつかり、仲間思いで一人じゃ絶対にいられない・・・そんな同居人のみなさんがいとおしいです。 そしてもう一つの「ホーム」である日本の家族にもとても心配をかけました。時差の関係で日本は夜中なのにも関わらず私にラインやfbメッセンジャーでメッセージを送ってくれたり、私のメッセージに返事を返してくれて、ありがとうございました。今は元気です。
・「(こんなこと言ったらたぶん君は嫌がるかもしれないけど)君はやっぱり日本人らしくないね、よくしゃべるし、全然シャイじゃないから」ととあるスペイン人に言われる。確かにそういう側面から見ると日本人ぽくないかもしれない・・・けど、私やっぱり日本人なんだよなあ・・・少し複雑な気持ち。ゆらぐ私の「日本人」アイデンティティ・・・。私を”日本人らしくない”といったスペイン人は私の複雑な気持ちを察しているみたいで、ちょっと言いづらそうにしていました。「日本人」としての自分、すなわち日本社会で生きている私・日本社会で育ってきた私、についてものすごく考えさせられています。
・先ほどの「日本人」の話とも通じるのですが、日本にいたときの自分のことを客観視できるようになりました(というより、客観視せざるを得ません)。日本にいるときの私は「ああでなくちゃいけない」みたいな型にとらわれ、空虚な自分になるのを恐れて(あるいは空虚な自分に気付くのが怖くて)必死に予定を詰め込み、何かに追われるように生きてきたなと感じています。フィンランドにきて余裕をもって自分のことを考えられるようになったとき、今まで「自分の意思」だと信じ込んでいたものが、本当に「自分の意思」だったのか疑念を抱かざるを得なくなってしまいました。もっと素直に自分のやりたいことを大切にしてもいいんじゃないかと思えてきました。でも私の大切にしたいものって何なんだろう、第一自分の大切にしたいものや純粋に好きなものを追求するようなライフスタイルを、日本”社会”はよしとしているのかな・・・字面では「多様性」を認めていても、日本”社会”が本当に多様性を認めているとは言えないような気がする・・・だから、「わたし」が「わたしらしく」いようとしているだけで、日本”社会”から取り残されてしまうかもしれない、取り残されてもかまわないと思えるだけの勇気もない、私は今後日本でどう生きていくのかな・・・みたいなことを考えている「考える葦」です。笑 これもすべて、今まで悩むべき時に悩むのを避けていたツケですね。大いに悩みましょう。
・余暇など、のところで言い忘れていた。宅急便の再配達のお願いが英語でできるようになった。

こんな感じです。先月よりは成長していたらいいなあ。成長してても退化しててもいいか。いろいろ考えながら、基本的には楽しくやってます。長文にお付き合いいただきありがとうございました。ではでは。  

(追記:2019年1月5日)

”でも私の大切にしたいものって何なんだろう、第一自分の大切にしたいものや純粋に好きなものを追求するようなライフスタイルを、日本”社会”はよしとしているのかな・・・字面では「多様性」を認めていても、日本”社会”が本当に多様性を認めているとは言えないような気がする・・・だから、「わたし」が「わたしらしく」いようとしているだけで、日本”社会”から取り残されてしまうかもしれない、取り残されてもかまわないと思えるだけの勇気もない、私は今後日本でどう生きていくのかな・・・みたいなことを考えている「考える葦」です。笑” 

この時の葛藤をいまだに抱えています。もうこの時からすでに私は「字面だけの多様性を求める日本社会の本質」に気づいていたんですね…  

「今後日本でどう生きていくのかな」の答えらしい答えは見つかっていないし、この時の私が言っている「取り残されてもかまわないと思えるだけの勇気」は、今の私にもまだないと思う。修士課程に進学すると周囲に言ったときは結構強気で、虚勢をはっていたと思うけど、「王道の進路を外れるだけの価値が、海外進学にあるのか」ということは私の心の中でずっとぐるぐるしてました。 

でも一つ言えるのは、そんないわゆる「王道の進路」を外れたおかげで、本当に耳を傾けるべき声を聞き分けられるようになったということです。少なくとも前よりは。 

まだまだ日本「社会」特有の「世間の目」というノイズにちょっと翻弄されそうにもなる。だけど、今の私は3年前の私に比べれば、自分自身や自分にとって大切な人たちの真摯な声に基づいていろんな決断を下すことができる。 

「無駄をそぎ落とすのが20代」なんて言われたりもするけど(しない?)この時がちょうどその入り口だったのかもしれないね。 

あとはヨエンスーはいまだに私のホーム!ユバスキュラに住んでいても東フィンランドは心のふるさとだなあ。

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…