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ただの記録。

 今日はただ思ったことをタラタラ書いていく。なぜなら「書くこと」から少し離れてしまったせいで、「見せるために書くこと」がとても億劫でハードルが高いものになってしまったから。好きで書いてるくせに、書くことって結構気を遣うものなんですよ~なんて言ってみたりする。

 この状態を分かりやすく例えると、運動を毎日していたら筋肉痛にならないけれど、たまにやると筋肉痛になるのに似ている。まだ、運動したならいい方だけど、永遠にやらない、やるキッカケを掴めないまま時が流れてしまうことも多々ある。と、最近こんな感じだったわけで。

 だからと言って全く書いていないと言うわけでもなくて、お題のあるコンクールに応募するために書いたり、頼まれて書いたりしていた。お題があるのと完全オリジナルとは、どちらもアイデアや捻りとか、それこそオリジナリティも必要だけど、実は頭の使い方がちょっと違う。完全オリジナルは「書きたいもの」を書く。お題ものは「書かなければならないもの」を書く。って感じ、簡単に言うと。だから、運動不足状態の私にとって最大の敵は「書きたいもの」が見つからないことなのである。じゃあなんでお題があると書けるのか、それは「義務」だから(個人的に作った義務だけど)。だって、作文にしても論文にしても「読書感想文」とか「地球の環境問題について」とかの「お題」があるから書けるわけであって、何にもなく「好きに書いていいよ」と言われても、いや何書いたらいいんだよ!って思う人がほとんどだと思う。だからそれと一緒。創作をしていても、それは同じ。

 まぁそういう状態なわけなので、藁にもすがる思いで、本を読んだり、映画や舞台を見たりして、なにかの糸口を見出そうとしているのがここ1ヶ月ほどで。それももう諦めてきたら今度はスマホゲームとか昔ハマったロジックに手を出しちゃう始末で。どんどん書くことから(気持ちが)遠ざかって行く。そうこうしている間に、世界中にいるであろうライバルたちは新しいものを生み出し、コンクールで賞を取り、ドラマや映画の脚本を書き(こういう人たちは既にもうめちゃくちゃ遠くにいるのだけど)、私のいる場所からもう何千里先に行ってしまっているのではないかと言う不安に襲われ、身もだえている有り様。

 それでも何か書く方がいいのではないかと思って、こんな醜態をさらす記録を書いてみた。きっと仕事でも、勉強でも、趣味でも、こんな状態の人がたくさんいると思うし、それを打ち破るのは他でもない自分と言うのは、誰しもが痛いほど分かっているはず。だよね。

 今日は12月1日。映画の日。ボヘミアンラプソディを見て、フレディ・マーキュリーの孤独と才能と勇気を味わった今日から、平成をあと1ヶ月に残した今日から、「書くこと」を始めよう。それはきっと、良いものじゃなくてもいい、完成されてなくてもいいはず。自分のために書いたものでいい。誰か一人のためにでも、生きとし生けるもののためにでも。

ロックンロール。

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