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専用車両は居場所がない。②両目

 僕はいまだにどの車両に乗っていいのか分からない。

 僕と同じ年に生まれた人間は「アイデンティティ無保持世代」と言われている。アイデンティティとは「自分を他の誰でもない自分であるという意識」という意味で「自己認識」などとも言い換えられるが、それがない。つまり無個性。人と同じであることを好み、与えられた環境の中で背伸びせず、淡々と人生をこなす。そういう世代だ。
 世間は何故か「○○型」とか「○○世代」とか言って、なにかとネーミングを付け、括りたがる。少し前の話だが、ある年の新入社員のタイプを「発光ダイオード型」と名付けたと言う。ちゃんと電流を通す(指導する)とキレイに光る(いい仕事をする)と言う意味らしい。皮肉もいいとこだ。僕たちだったらなんと言われただろう。「浄化水」と言ったところだろうか。とにかく無味無臭で害がない。飲んでも味がしない。どこにでもある、しかし無くなると困る。そう思うと悪くないネーミングだ。
 僕は、自分らしさなんていらない。出世したい、金持ちになりたい、有名になりたい、そんな欲なんて1ミクロンだって持ったことはない。

 ただ、そんな僕が持っていた唯一の個性は、病気だったのかもしれない。カゼや盲腸などよくある病気ではなく、当時の医学ではまだ治せない病気だった。そう、当時の、医学では。

 私の両親は強烈個性世代だった。自分の子供が不治の病に侵されている、
そんなオリジナリティに酔っていたように感じていた。そして、その息子をどんな手を使ってでも助けるという使命を持っていた。テレビや雑誌で募金を呼び掛けたり、講演会を開いたり、医師のもとへ頻繫に通ったり・・・当の本人は蚊帳の外で。
 その活動が評価されたからか、僕には当時では最先端の方法が試されることになった。無個性の私には意思なんてない。色んな検査を受け、お涙頂戴のテレビに出て、誰とも知らない人に励まされ、親からは同情と期待をかけられ、私は冷凍保存されることになった。近い未来、新しい手術方法や薬が見つかったら、また生き返って治療されるというものだ。もちろん、生き返れるかの保証はない。生き返ったとしても完治できるかも分からない。その方法が正しいか間違っているのか、やるかやらないか、そんなことは関係のないことだった。両親にとって必要であること、これが全てだった。
 言われるがままに、私は目を閉じた。私の人生の第一章はそこで終わった。

 そしてこの時代に生き返り、病を治すことができた。

 僕の両親も、友達も、いないこの世界で。浦島太郎とはこのことだ。愕然とした。気付けば僕はいつの間にか、自分が一番望んでいなかった個性のある人間になってしまっていた。
「不治の病を克服した人間」「冷凍保存から生き返った人間」
 どこからともなく噂は広まり、メディアに露出し、特異な目で見られることが増えた。人の噂も七十五日というが、僕の場合は2ヶ月で嵐は収まった。そして今も生きている、自由に生きることが出来ている。

 そうは言ってもまだまだ僕の前には問題が山積みだ。たった今ホームに滑り込んできた電車のドアの前で立ち尽くし、どの車両に乗るのが正しいのか全く分からない。どの車両にも乗れそうな気がするし、乗りたくない気もする。冷凍人間車両があれば、それが間違いなく僕の車両。ただ、そんなものはない。

 噂で聞いた、奇跡の車両があると。それは一体どんなものなんだろう。

 境界線があいまいになっていく世の中でなぜカテゴリー分けをしようとするのだろう。同じ人間で、誰しも善悪を持っていて、呼吸をしながら生きる血の流れた生命体なのに。

 電車が発車のベルを鳴らす。僕はとりあえず一番後ろの車両に滑り込んだ。

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