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#3 「スノーボードに無縁の私が注目している、あるスノーボード選手の話」

「オリンピック、あまり好きじゃないな」

という言葉に衝撃を受けたのは、2018年の平昌オリンピックのときである。

スポーツ中継を見るのが人生の生きがいになっている私にとって、オリンピックは至福のイベントだ。
特に冬季オリンピックは普段見慣れない競技も多く、新しい競技の魅力や選手を知る良い機会である。ただ、オリンピック後も注目し続けるのはスケートやカーリングなど、世間的に注目度の高いスポーツに限られてしまっている。

そんな私だが、平昌オリンピックをきっかけにして、メジャーな競技とは別に、ある一人の選手を注目するようになった。スノーボードの鬼塚雅選手である。

荒れ模様の夢舞台

覚えている方もいらっしゃると思うが、平昌オリンピックは天候の条件が悪く、選手たちは過酷な状況で競うことを強いられた。メダル候補と期待されていた鬼塚選手も強風に苦しみ、思うように実力を発揮できなかった。

そんな彼女が試合後のインタビューで放った言葉が、冒頭の「オリンピック、あまり好きじゃないな」だった(あらかじめ断っておくが、この言葉にはオリンピックを批判する意図はない。また、この文言は記事から引っ張ってきたので正確ではないかもしれない)。

選手のせっかくの重みある言葉を言い直すのは気が引けるが、端的に言えば、平昌オリンピックに向けてひたすら積み重ねてきた努力と、夢の舞台だったはずのオリンピックに冷たくあしらわれてしまった悲痛さが、「好きじゃないな」に表れているように思う。
オリンピックへの熱い思い(だったもの?)を感じた私は、少なくとも次のオリンピックまでは鬼塚選手を応援し続けようと決意したのだった。

オリンピックが、オリンピックである理由

これと同時に、私はオリンピックがなぜ夢の舞台と言われるのかが理解できた気がした。
つまり、オリンピックは選手が必死にオリンピックを目指して初めて「オリンピック」になると考えたのだ。選手がオリンピックで勝つ、と胸に誓って必死に努力するからオリンピックは一番を決める大会になるし、見ている人も一番が決まる大会だと思って注目し、応援することができる。

言い方次第だが、そういう例は世の中にあふれている。お金は人々が大切に扱わなければただの紙切れだし、神社は人々が拝まなければただの空き家だ。鬼滅の刃が大ヒットしたのは人気が人気を呼んでいるからにすぎない。

最後に

平昌オリンピックから三年、スノーボードの鬼塚選手は実績を積みあげ続けてきた。……とは言っても、相変わらずスノーボード競技にちんぷんかんぷんの私にはどれくらいすごい選手なのか実はあまりよくわかっていない。
オリンピックで金メダルをとったら、ああすごい選手なんだなと確信するのであろう。

ところで、先日鬼塚選手が自身のYouTubeチャンネルを開設した。なかなか
"???" なキャラクターが垣間見えるチャンネルなので、良かったら訪れてみてほしい。


最後までお読みいただきありがとうございました。
スポーツへの興味は、どうしてもテレビ中継がなされる競技に偏ってしまいがちですよね。中継されないけど面白い競技をご存知の方、コメントで教えていただけると嬉しいです。

毎日投稿に挑戦しています。明日も読んでいただける記事を書けるよう頑張ります!
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P.S. 書くか迷いましたが、大切なことだと思うので。
華やかな舞台であるはずのオリンピックが、政治論議の餌にされてしまっている現状は見ていて辛いものがあります。
オリンピック大好き人間はこの議論の中で感情面でかなり偏った立場にいるので静観していますが、意見を主張する方々は、選手へのリスペクトを忘れていないかよくよく見つめ直したうえで発信してほしいと思います。
選手とその周りの人たちはオリンピックに人生を(直接的に)懸けています。オリンピックをあなたの自己満足の政治批判に妄用しないでください。

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