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20220210 お花を飾る習慣

 ここ2年ほどでの変化といえば、お花を買うようになったことだ。わたしにとっては、ものすごく大きな変化。

 どこかで書いたことがあるけれど、花を買うという行為に気後れしていた。花の名前もろくに知らない、そんな状態でお花屋さんに行ってもいいの? お花って高そうだから、1本だけくださいなんて言ったら変に思われない? そもそも花びんらしい花びんを持ってないし、花ばさみなんてあるわけがない。わたしなんかよりもっとおしゃれな人が行くところなんじゃないの?……
 自意識過剰にもほどがある、と今なら思える。

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 きっかけは、たしか2年前の3月、「謝恩会や送別会がなくなってお花屋さんが困ってるから買ったお花、みんな持って帰って」とヨガスタジオで持たされたお花だった。今考えてみれば、たぶんあれはアルストロメリアなのかな。
 わあきれい、と持ち帰ってはみたものの、前述のとおり花びんなんて持っていないわたし。結局母に託し、その花は玄関先にきれいに飾られた。

 いつもだったら、たぶんそこで「ああよかった」と思うだけで終わっていた。それが、どうしてなのだろう、「お花いいなあ、わたしも飾りたいな」と思ったのだった。

 じゃあお花屋さんに行ってみる? 花びんはないけど、使ってないグラスでもいいよね、はさみがなくてもそのまま活けられるミニブーケだったらいいかな…と、おそるおそるお花屋さんに行ってみた。
 店頭にたくさん置かれている500円のミニブーケ。色とりどりで、たまらなくときめいた。ほかのお花を見ることもなく、おおいそぎでそれだけを買って帰って、持っていたけれど使っていなかったWECKの持ち手つきのジャーにそのままポンと入れてみた。

 なんだこれ。ワンコインなのに、なんでこんなにかわいいんだ。そして、なんでこんなに気持ちが和むんだ?
 それまでにあまり感じたことのない気持ちだった。植物のかわいさとはまた別のそれだったことが、おどろきだった。

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 それからはわりと定期的にお花屋さんに行くようになった。最初のうちはやっぱり500円のミニブーケを、すこし経ってからは店内を見渡して気になったお花を数本ずつ買うようになった。市内のお花屋さんにいくつか行ってみて、いまは通う店はひとつに絞られた。夏はどうしてもお花のもちが悪いから足が遠のきがちだけれど、この時期はお店の中が春のお花であふれていて、ほんとうに心浮き立つ。
 枝ものを活けられる大きな花びんを買い、妹や母はちいさな花びんや一輪挿しをプレゼントしてくれた。花はさみも、大好きなECサイトで購入した。それまでの人生に1回として登場することのなかったものが急にあらわれて、わたしはそれをうれしく思いながら見ている。

 先月、誕生日を迎えた。わたしのために、自分でチューリップの花束を買った。花弁が開いてきてしまったものもあるけれど、まだ元気に咲いてくれている。

 お花を愛でる気持ちがあれば、ほんのすこしだけ、日常にも余裕ができる。どこかピンと張りつめていた気持ちが、お花を見るとそれだけでやわらぐ。まるで魔法にかけられたみたいに。

 こんなに素敵な魔法だったら、ずっとかかっていたい。

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