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20220215 「好きなことを仕事にすることが最高」なんてくそくらえだ

 あらあら、ひどい言葉遣いですこと。おほほほほ。
 でも、これが掛け値なしの本音だ。

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 わたしは、その分野ではわりと有名な自己啓発セミナー関係の人の会社に在籍していた時期がある。途中から、セミナーを開催するというよりは個人コンサルみたいなことが多くなっていったし、たぶんいまはもっと違っているんだと思う。わたしはそこを離れてから極力情報を入れないようにしているので、いま現在、その会社がどういう事業で成り立っているのかはわからない。

 自己啓発と聞くと構えてしまう人も多いだろうけれど、わたし自身はそれほど嫌悪感もなく、聞いていると「まあそうよねー」と思うことも多かったし、何よりその会社での立場上、首までどっぷりそういう世界に浸かることになった。そして何が変わったかというと、「好きなことを仕事にするのが幸せ」という概念を持つようになったこと。毎日そういう考えに触れるということは、ある意味洗脳されるようなものだ。

 当時のわたしは、その会社で好きで得意な仕事ができていた。そこで働くわたしのまわりにも、好きで得意なことをしている人がたくさんいた。そして、自分もそうなりたいと願い、会社を辞めてフリーランスとして働きはじめる人や起業する人もたくさんいた。でも、プライベートのわたしのまわりには、そういう人は多くなかった。
 この違いは何? そしてなんでそれに疑問を感じないの?
 そしてさらに過激なことに、わたしは「好きじゃないことを仕事にしているなんて不幸だ」と思い込むようになった。

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 あとから考えれば、そう考えるようになったわたし自身が不幸だった。どんな理由でどんな仕事をしようと、それはその人自身の選択。でも、そのときのわたしは、「好きでもない仕事をお金のために我慢してやっている人はかわいそうだ」と思ったのだ。
 なんてひどい、人を見下した考えだったんだろう。

 そして、その私の偏った考えの標的になったのは、いちばん近くにいる夫だった。「やりたいことないの?」、「好きなことをやればいいのに」、とわたしの思いばかりをぶつけ、「仕事は生活のためにやっている」と言う夫を情けないとまで思った。とても申し訳ないことをしたと思っている。

 別に、仕事が好きじゃなくたっていいじゃないか。お金を得るために仕事をして、好きなことはプライベートで楽しむという考え方の人もいる。たまたまわたしは仕事が好きで働くことが好きで、おまけにわたし自身がワーカホリックな体質で、承認欲求を仕事の評価だけで満たしがちだからという理由もあって仕事ばかり優先してきたけれど、そうじゃない人を糾弾する資格なんて、わたしにはこれっぽっちもなかったのだ。

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 そして、その考え方は、ブーメランと化してわたし自身にも戻ってきた。その会社から独立することを求められ、わたしの意には反するけれどそこでの関係を続けていくためにはそうするしかない、というしごく消極的な理由でわたしはフリーランスになり、やがてその関係はいろいろな理由があって解消され、何年か粘ったのちに、わたしはフリーランスで働くことそのものをやめた。

 わたしの幸せな働き方は、一定のお給料が保証されていて、わりと自由にさせてもらえるベンチャーくらいの企業規模で、改善案を提案できるような柔軟さがあるところで、ある程度の裁量権を与えられつつ自分の特性を活かせることなのだ。根っからの会社員体質なのかもしれないけれど、それが事実。
 そうでない環境で働くと、好きなことを仕事にしたはずなのに、その好きなこともだんだん好きではなくなるということをいやと言うほど思い知った。好きなことを仕事にしたけれど仕事が好きじゃないわたしは、皮肉なことに、わたしが思っていた「かわいそうな人」になった。

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 どうしてあんなふうにこじらせて考えていたのか、いまはもうよくわからない。そして、そこからどう抜け出したのかも、いまひとつわからない。
 でも、どんな理由で仕事をしようと、それはその人の自由。たとえその理由をわたしが理解しようとできなかろうと、そんなのはどうでもいい。

 「好きなことを仕事にすれば、情熱を持ってできるよ」
 したければすればいい。

 「1日の3分の1を費やすのに、それを好きじゃないことのために使うの?」
 その人の自由。わたしがどうこう言うことじゃない。

 「いまに好きなことを仕事にする人たちのほうが多くなるし、そのほうが自然だと思う」
 そういう人ばっかりじゃないし、そうじゃない人を排除したくない。何が自然かはその人による。

 「好きなことを仕事にすることが最高」
 そんなの、くそくらえだ。
 

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