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人々に愛され、神として祀られる「タヌキ」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第十八回)』

「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。

またの名を「使わしめ」ともいいます。

『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。

動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。


神使「タヌキ」

信楽のタヌキ

信楽焼のタヌキ

「タヌキ」といえば、ユーモラスで可愛らしい信楽焼の置物を思い出される方も多いかもしれません。

この信楽焼のタヌキが日本中に広まったのは、こんな逸話がキッカケです。

陶芸家の藤原銕造さん(明治9年〜昭和41年)が、昭和26年11月の昭和天皇による信楽行幸の際に、旗を持った陶製のタヌキを沿道に並べてお迎えしたところ、これを昭和天皇がご覧になって大変感動され、こんな句を読まれました。

をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば

これが当時の新聞などに大々的に報道され、信楽焼の陶製タヌキは大ブームになります。

信楽焼のタヌキには、八つの特徴がありますが、その全てに深い意味があります。

一:笠
思いがけない災難を避けることができるように。

二:笑顔
お互いに愛想を良くして、商売繁盛に繋がるように。

三:大きな目
周囲に気を配って、常に正しい判断ができるように。

四:大きなお腹
冷静さと、大胆さを合わせ持つことができるように。

五:徳利
人徳を得て、食べるに困ることがないように。

六:大福帳
信用第一。

七:金袋
金運に恵まれるように。

八:太い尻尾
終わり良ければ全てよし。

これを「八相縁起(はっそうえんぎ)」といいます。

また、語呂合わせが好きな日本人は、「タヌキ」に「他抜き(他を抜きん出る)」という意味を持たせて、商売繁盛、開運のシンボルとしました。店舗の軒先にタヌキの置物が置かれているのは、こういう理由があったのです。


霊力・妖力をもつタヌキ

月岡芳年 『和漢百物語 小野川喜三郎』より ろくろ首に化けた古狸/ Public domain

以前、『「猫」が人の心と体に与える影響と可能性を考える〜猫の不思議と神秘(後編)〜』という記事中の『年老いた動物は怪異な存在に変化する?』という章の中で、実際に起こったタヌキの怪異について触れました(興味のある方は是非、お読み下さい)。

昔から、「タヌキは人を化かす」生き物であるという言い伝えがありますが、山で暮らし、山で働く人々の間では、お伽話の世界ではなく、それは現実に起こる日常の出来事でした。

私の祖父の家系は、代々林業を営んでおり、山の中で実際に祖父が体験した不思議な話を、父を通してたくさん聞いてきました。

その中には、タヌキが登場する話がいくつかあります。その一つをご紹介しましょう。

父は幼い頃から、林業を営んでいた祖父の手伝いをさせられていたそうです。木の伐採や運搬などのために祖父とともに、朝早くから山に入ることがありました。

ある日、父は早朝から山に入るために、祖母にお昼に食べるおにぎりを作ってもらいました。祖母は父の分以外に、祖父や他の手伝ってくれる人たちの分のおにぎりも作って、それぞれに手渡しました。

山奥に分け入り、次々と木を伐採していきます。木を切るのはベテランの祖父です。伐採した木は、手際良く麓に下ろす準備が整えられていきます。父は慣れない手つきで手伝います。

そろそろお昼。

手拭で汗を拭きながら、祖父が「昼飯にしよう」と皆に声をかけます。重労働で疲れ果てた父は、腹ぺこです。

たった今、祖父が切った木の切り株に座り、祖母が持たせたおにぎりに手をかけようとした瞬間、真夜中のように真っ暗闇になったといいます。夜が更けるように少しずつ暗くなるのではなく、本当に一瞬にして暗くなったのです。

怯えた父は声も出せず、手探りで祖父を捜しました。

祖父は父の手を掴み、自分の方へ手繰り寄せ、耳元でこう言いました。

「おい、動くなよ、声も出すな!これは "おまおろ" だ、動いたり、声を出したりしない限りは安全だから、そのままでいろ!」

何だか訳が分からなかった父ですが、異様な事態が起こっていることはすぐに分かりました。父は震えながら、事態を見守ります。

暗くなって、どれくらい経ったでしょうか?

真っ暗闇だった山が、今度は一瞬にして元の明るさを取り戻しました。

やっと祖父の顔が見え、周囲の状況も分かり、父はホッとします。しかし他のみんなは、全く平然としています。

すると、その中の1人が落胆した声でこう言います。

「あ〜、、、今日もまた昼飯にありつけないのか」

その言葉で父は気付きました、何と祖母がみんなのために作ってくれたはずの、おにぎりが全て無くなっていたのです。

祖父は「"おまおろ"が持って行った」と言います。

山で働く者にとっては、日常茶飯事の出来事だったのでしょう。

皆、おにぎりが食べられなかったことの歯痒さは口に出しますが、恐怖に狼狽える顔ではありません。

ともかく山を一瞬にして暗闇に変える妖力を持ち、数人分のおにぎりを一瞬にして奪い去るほどの食いしん坊ぶり。

その日の夕刻、作業を終えて下山しようとすると、一匹の大きなタヌキが人にも気付かず眠り込んでいたそうです。それを見た祖父は、「あれだけの握り飯を食べれば、そりゃあ動けまい」と呆れたような口調で言ったそう。

あの白昼の山での出来事は、タヌキが起こした怪異だったのです。



神となったタヌキ

神使としてタヌキをご紹介していますが、厳密にいえばタヌキは神の使いではありません。神使としてではなく、神として祀られている場合がほとんどなのです。

私の父が体験したようなタヌキの起こした数々の怪異を目の当たりにしてきた人々が、タヌキを神格化し丁重に祀ることで、福や富をもたらしてもらおうと思うのは、非常に自然なことです。

タヌキの持ち得る「霊力」「妖力」を、自らの暮らしの繁栄に役立てたいと願ったのです。

狐狸妖怪(こりようかい)」という言い方をするように、怪異を成す動物としてタヌキと対のように語られるのがキツネです。

キツネは「山の神・田の神」信仰と結びつき、農耕の神である稲荷神(宇迦之御魂神)の使いとされ、霊的な力をもつ動物として畏怖され、崇められてきました。見るからに妖しさと怖さ、そして神聖さを兼ね備えているのがキツネなのです。

一方のタヌキは、天敵から襲われそうになるなど身の危険を感じると、死んだ振りをして隙を見て逃げ出す狡猾さがあり、物真似や擬音を出して人を驚かせたり、怖がらせたりすることもあります。そして何よりも外見の可愛さ、滑稽さを持ち合わせています。どう見繕っても、妖しさや神聖さとは無縁であり、キツネのように神のために下界を奔走する神使としては、役不足だったのかもしれません。

そんなタヌキが、いかにして神として崇められるようになったのでしょうか。

団三郎狸を祀る二ツ岩大明神(新潟県佐渡市)

新潟県の佐渡地方には、日本三名狸に数えられる佐渡のタヌキの頭領「団三郎狸」が住んでいました。

この団三郎狸、木の葉をお金に変えて買い物をしたり、人を化かしてからかったりもしていましたが、人に化けて金山で労働者として働き、そこで得た賃金をお金に困っている人たちに貸していました。

幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師、河鍋暁斎の描いた 『狂斎百図』には、商人に金を貸す団三郎狸が描かれています。

人情味溢れる逸話を数多く残す、団三郎狸は地域の人々に親しまれ、二ツ岩大明神として手厚く祀られています。

河鍋暁斎 『狂斎百図』より「佐渡国同三狸」/ Public domain

日本三名狸
・佐渡団三郎狸(新潟県佐渡島)
・淡路芝右衛門狸(兵庫県淡路島)
・屋島太三郎狸(香川県屋島)

日本三大狸話
・文福茶釜(群馬県館林市)
・証城寺の狸囃子(千葉県木更津市)
・松山騒動八百八狸物語(愛媛県松山市)

「日本三名狸」に数えられる淡路の「芝右衛門狸」もご紹介しましょう。

この芝右衛門狸は、淡路島にある三熊山の頂上に、妻のお増とともに住んでいました。山中で迷った人を道案内して山の麓まで送り届けるなどの親切な行いから、住処にはお礼の一升徳利が収められることもしばしば。

そんな芝右衛門狸は、芝居が大好き。ある日、浪速(大阪)の中座に巷で人気の芝居がやって来ると知り、人間に化け、妻のお増を連れ立って浪速へ渡ります。

初めて訪れた浪速の賑やかさにテンションが上がる芝右衛門狸夫婦は、化け比べをしようということに相成ります。最初はお増が大名行列に化けて、芝右衛門狸の前を通り過ぎます。お増の見事な化けっぷりに感嘆した芝右衛門狸。

そんな時に、お増の前を長い殿様行列が通ります。これを夫の芝右衛門狸が張り切って化けたものだと思ったお増は、手を叩いて褒めました。するとそこに、1人の武士が駆け寄り「無礼者!」と、お増を斬り殺したのです。そう、この殿様行列は本物だったのです。

淡路島・三熊山の洲本城にある芝右衛門大明神

芝右衛門狸は悲嘆に暮れますが、淡路に帰る前にせめて妻も楽しみにしていた芝居を観ようと、木の葉をお金に変えて、中座に通い詰めます。

中座では最近、木戸銭(見物料)に木の葉が混じっていることから、タヌキが人間に化けて潜り込んでいるに違いないと、犬に見張りをさせることにします。

芝右衛門狸は、犬が大の苦手です。しかし今日の芝居を最後に、淡路へ帰ろうと考えていた芝右衛門狸は、恐怖心を悟られないように緊張した面持ちで入り口を通過しようとします。なんとか小屋の中へ入ることができたと安堵した瞬間、犬が襲いかかってきました。

慌てた芝右衛門狸は、タヌキの姿に戻って逃げ出しますが、犬を連れた人々に追い回された挙句、頭を殴られて死んでしまうのです。

この出来事のあと、中座では急激に客の入りが悪くなったため、これは芝右衛門狸の祟りに違いないと、小屋に祠を建てて「芝居の神様」として祀ったところ、客足が戻ったといいます。

淡路島にも芝右衛門狸の訃報は伝わり、彼に親切にされた地域の人々が、その死を悼んだそうです。

中座に建てられていた祠ですが、中座の閉館とともに里帰りをし、現在では洲本八幡神社に芝右衛門大明神社として、新たに祀られています。

このようにタヌキは、妖しさと神聖さを身にまとった霊威をもつ動物であるキツネとは違い、人の暮らしの中に密接に関わり、善行を施したり、人情味、人間味溢れる多くのエピソードを残している動物です。

人を化かしもしますが、それ以上に人から愛され、親しまれています。そんな憎めないタヌキという存在を神として敬い、崇めることで、人々はその恩に報いようとしたのかもしれません。


寺社のタヌキ

日本三名狸「太三郎狸」を祀る屋島寺の蓑山大明神(香川県高松市)
柳森神社のタヌキ(東京都千代田区)
文福茶釜で有名な茂林寺参道の狸像(群馬県館林市)



タヌキに所縁ある神社仏閣

金長神社(徳島県小松島市)
柳森神社・福寿社(東京都千代田区)
二ツ岩大明神(新潟県佐渡市)
芝右衛門大明神社(兵庫県洲本市)
蓑山神社(香川県高松市)
本陣狸大明神社(札幌市中央区)
大気味神社(愛媛県西条市)

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『東京周辺 神社仏閣どうぶつ案内 神使・眷属・ゆかりのいきものを巡る』川野明正(著)メイツ出版

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