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『正義の政治経済学』を読む❶~歴史から問い直す

本日は、水野和夫・古川元久『正義の政治経済学』(朝日新書2021)の読書感想文、その第一回です。

さらば成長教…

水野和夫氏は、著名な経済評論家(法政大学教授)で、古川元久氏は、愛知二区選出の現役衆議院議員(国民民主党)です。私の最近の関心事 ー脱成長ー に関連している本だったので、本屋で見かけて購入しました。

本書は、水野氏と古川氏の対談形式で、

第一章 歴史から問い直す(P19-71)
第二章 資本主義を問い直す(P72-162)
第三章 民主主義を問い直す(P163-223)

の三章構成になっています。読書ノートも三回にわけて、それぞれの章の内容からの学びと感想を残しておこうと思います。「はじめに」は古川氏が、「おわりに」は水野氏が担当されています。

二人は、名古屋県立旭丘高校の先輩・後輩の間柄です。過去にも『新・資本主義宣言 (7つの未来設計図)』(毎日新聞社2013)という本を共同編集されています。

水野氏は、同行の卒業生と仕事をされる機会が多いようで、『株式会社の終焉』(ディスカバー・トゥェンティワン2016)は、同級生の川村容子氏や干場由美子氏(ディスカバー・トゥェンティワン元社長)と制作されています。同校は日本の一線で活躍される俊才を多く輩出している名門校です。

歴史から問い直す 読書ノート【私見】

実は、この章の内容には同意できない部分が多いです。紋切り型というかワイドショー的な味付けがされている感が残りました。

両氏が想定する「富裕層」「中間層」「貧困層」が、やけに杓子定規的なのが気になりました。とりわけ水野氏の提言風意見が平凡で、ざっくりしていて、一昔前の前提で話しているようなのが気になりました。

私は、水野氏の真骨頂は、豊富な知識で多面的に問題を俯瞰し、病根をわかりやすく説明してくれる所にあると思います。その反面、そこで指摘した問題の治療方法を現実的な施策に落とし込んで提示することにはあまり興味がない、という印象を持っています。マクロで大きな流れを抑えることこそ重要で、細かいミクロはまあいいじゃないか、という思考に映ります。

それを割り引いても、正社員/派遣社員へのイメージが画一的で、正社員=勝ち組、恵まれた人、派遣社員=負け組、支援が必要な人、という前提が強過ぎる意見のように感じました。

正社員の中には、仕事と責任が辛くて本音では辞めたいのに、諸事情で働き続けて苦しんでいる人も少なくありません。派遣社員も、本当に弱い立場の人と生活をエンジョイしている人とでは、明確に区別が必要でしょう。

議論内容を簡素化したい、構成・編集上の都合があったのでしょうか?

【1】【2】歴史の記憶は失われる

【1】人間は自分たちの愚行をどんなによく覚えておこうと思っていても、30年ぐらい経つと社会としての記憶は失われてしまう。(P22-古川)
【2】経営学者の田坂広志さんは、「歴史はらせん階段のようだ」と述べています。(P23-古川)《略》ただし精神面では、人間は、そのらせん階段を下っているようにしか見えません。(P24-水野)

このあたりの認識には共感します。歴史は繰り返す、は真実だと思うし、らせん階段上に回転しながら巡っているという喩えもしっくりきます。書物で学んだ第一次世界大戦前の状況と現代の様相が似ている感覚はあります。

【3】技術進歩教vs人間至上主義

【3】カール・シュミットは神に代わって「技術進歩教」が登場したと指摘しています。《略》貧弱なモラルを抱えたまま、テクノロジーだけが進歩している現状は、総合的に俯瞰すると<退化>に向かっているのではないかと思うんです。(P28-水野)

私も、テクノロジーが生み出すイノベーションが、好意的に評価され過ぎているきらいは感じます。進歩・発展が善で、停滞・維持は悪、という価値観は、個人的に馴染めません。

とはいえ、”生きづらさや不快感は、人によって生み出される”と思います。私には、自分が好意も尊敬も持てない人間から、勝手にレッテルを貼られ、恣意的に裁かれるくらいなら、人知を超えたテクノロジーによって判断される方がマシかも、という思いもあります。行き過ぎた人間至上主義(ヒューマニズム)も、また問題の元凶になる気がします。

【4】【5】資本主義への批判

【4】本来は人を豊かにするはずの<資本>が、時に貧富の差を生み、暴走してしまう。(P33-水野)
【5】現代の富の不均衡をもたらしたのは、<新自由主義>と<自由貿易論>、そして<グローバリゼーション>の台頭(P25-古川 ”水野氏の主張”)

水野氏の思想の根幹のような部分です。自由を重視する資本主義には、搾取のシステムによって貧富の格差を増長する方向に働く機能が内蔵されていることは、マルクスはじめ多くの偉人が証明しています。

経済的格差が急激に拡大しつつあるのは深刻な問題だ、という認識も共有できます。資本の増殖過程での、著しい不平等や人類共通財産の独占的使用や不公正な競争者排除などは是正されるべきです。

ただし、資本を利用して多大な恩恵を得ている富裕層の属する人間全てが邪悪で狭量な存在かというとそんなことはない、弱い立場とされる人にもかなり問題が…… という思いもあります。

日本が資本主義の価値観が支配する世界である以上、準備不足はあまりにも危険な生き方です。あらゆることに無知、市場の原理原則に無頓着、自分の頭で考えない、リスクに無防備…… こういった態度の人の生き辛さは正当化されにくいし、同情もされにくいのではないでしょうか。

【6】セイフティ・ネットの整備

【6】競争に敗れ、しかも国の公的支援を受けられない人も増え、社会の脆弱性も浮き彫りになりました。《略》行き過ぎた競争社会では、「自分はこれだけ頑張っているのだから、他人も同様に努力してもらわなくては割に合わない」という同調圧力が強まります。(P36-古川)

必ずしも公的支援であるべき必要はないと思いますが、競争に敗れ、不遇な人が再起する為のセイフティ・ネットが社会に必要という意見に賛成です。その制度設計は非常に難しいと感じます。太字部は、行き過ぎた競争社会でなくても、沸き起こる感情です。

【7】新自由主義批判

【7】グローバリゼーションについては、イギリスの学者デヴィッド・ハーヴェイの説明が、一番説得力に満ちています。彼は、「新自由主義は、資本蓄積のための条件を再構築し経済エリートの権力を回復するための政治プロジェクト」(『新自由主義』渡辺治監訳/作品社)だと看破しています。(P40-水野)

同意です。新自由主義によって引き起こされた現実に問題があります。恩恵を受けた人とそうでない人とで評価は異なるでしょう。以前の私は《新自由主義》《自由貿易》《グローバリゼーション》の肯定派で、つい最近「脱成長」へ意見転向してきた新人です。新自由主義的発想を全否定したい訳ではないものの、そこから生じた結果には問題視すべきことがある、という立場です。

【8】【9】人=ヒト=労働コスト の批判に対して

【8】<人>を<モノ>・<カネ>と横並びの<ヒト>として、扱うようになってしまいました。(P49-古川)
《略》
「労働力=人」です。企業は人がいて、初めて発展することができます。(P50-古川)
【9】だから問題なのは、<派遣>という働き方そのものよりも、会社が簡単に辞めさせる権利を一方的に握っているということ(P52-水野)

私が一番意見を異にするのがP47~54あたりの議論です。

私は、会社が、ヒト=労働コストと認識するのは当然。その結果、能力などによって、不可欠な人材=経営幹部層、有用な人材=専門職、代替可能な人材=その他、と峻別され、扱われるのは仕方がない、という意見です。

もっとも、仕事や会社の評価がその人間の評価とイコールではない。仕事なんて人間の価値の一部に過ぎません。会社から使い捨てされてもいいけど、逆に魅力を感じない会社や仕事なんて自分からどんどん切ったらいい。

両氏の議論は、会社>個人という前提が強過ぎる印象を受けます。創業から30年続かない会社が殆どです。会社の寿命の方が人間よりも短く、個人よりも遥かに脆弱な存在です。そんな頼りない相手に寄りかかって滅私奉公し、一緒に死ぬ価値はないと思うのです。会社から求められて働き、楽しめたらラッキーくらいの感覚で丁度いいと今は思っています。

むしろ人を傷つけているのは、
● 正社員で働いていない人を下に見るような社会的偏見、
● 人材を社内で飼い殺し同然で雇用している企業、
● 非人間的で創造性を必要としない業務しか与えられない事業形態、
● 定年まで会社で働かないと損をする社会システム、
といった問題の方だと私は思っています。

理想は、仕事を自分自身で設計し、それで食べていけることと思います。

【10】文化・芸術の保護

【10】本来なら、政府は文化・芸術に関わる人たちを「激甚災害」に認定して支援する必要があると思います。人々の五感を鍛えるのが文化・芸術ですが、政府は科学・技術一辺倒です。(P54-水野)

文化・芸術が大切なのはその通りと思います。ですが、文化・芸術の価値を政府(権力)が評価するのってどうなんでしょう。どうやるんでしょう?

日本政府が「政府が推奨するのはこういう人」「政府が御墨付けを与える文化・芸術はこういうもの」って打ち出すのは面白いかもしれません。それに反しても、不利益取り扱いを受けず、個人的人権を保護してくれるのならば歓迎します。

【11】フロンティアの消滅 さてどうする?

【11】20世紀に入り、もはや地球上から<フロンティア>は消滅しました。《略》今後の私たちは、すでにある地球の資源を、みなで分け合い、助け合いながらやりくりしていくしか、生きていく術はないのです。(P57-水野)

前段は理解・同意ですが、後段の言い切りにはやや疑念があります。

昨今、宇宙開発が急速に進んでいるのは、富裕層が地球に見切りをつけたからじゃないかと疑っています。あくまでオプションの一つでしょうが。

テクノロジーの発展の恩恵を最大限受けられる人は、地球に拘っていない。厄介な問題が山積するなら、地球を見捨てて宇宙に行けばいい、未開のフロンティアがあるんだから、と考えている気がするのです。

【12】中心と周縁の問題

【12】社会システムは、このように中心点のグラつきと、下からの突き上げがない限り、変化しないんです。どちらか一方では社会は変わりません。(P58-水野)

同意です。中心の属する集団が、問題意識と切迫感と利用価値を感じない限り、底辺の雑魚の意見は無視されるのが世の理です(実感)。

ただ、これ以降の両氏で議論されている内容は、突き詰めると『中心は危機意識を持て、エリートの責任感を発揮しろ』みたいな精神論でしかない気がします。中心の集団は聞く耳を持たないでしょう。

【13】資本家の擁護的意見

【13】これからは、<成長>よりも<サステナビリティ=持続可能性>を重視する時代なのです。(P64-水野)

その通りだと思います。

その上で、以降の議論を読み進めると、富裕な資本家像が画一的な気がしましたので私見を…

本気で社会貢献する為に身を削っている良心的な資本家もいます。何をもって良心的かの議論はありますが、十分に自己犠牲的な活動をしている資本家もいます。なのに、マンガやドラマの悪徳大富豪のイメージで、批判と叱咤激励ばかり浴びていては、資本家は面白くないでしょう。 

個人の保有資産が何千億円、何百億円といっても、大半は自社株であり、私的使用しているお金はその数千分、数万分の一でしょう。稼いだお金は自社の営利事業に投資し、慈善活動にも資金も出しています。お金の使い方を知らない人に大金を持たせるより、自分が扱った方がよっぽど社会全体に有益な貢献ができると考えている、と思うのです。

「ちょっとくらいありがとうと感謝の気持ちくらいしてくれても……」
「もっと社会還元したくなるようにルール作りをしてくれたら……」
「そんなに攻撃するなら、もう知らないよ……」

って思っている気もするのです。

資本家に激しい北風を浴びせても逆効果。太陽の熱の力で大衆の味方に引き寄せて欲しいですね。

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