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SHADOWの思想

本日は、発売されたばかりで現在読み進めている、佐々木実『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて 』(講談社現代新書2022)の終章のタイトルになっている『SHADOWの思想』ということばを受けて、現時点での私見をまとめておこうと思います。

経済学者・宇沢弘文

宇沢弘文(1928/7/21-2014/9/18)氏は、「二部門成長モデル」「宇沢コンディション」「社会的共通資本」等々数々の優れた研究で功績を残し、世界的な経済学者として知られる存在です。成長優先、市場機構重視の経済学に懐疑的で、早くから環境問題や社会問題に着目し、既存の経済学、資本主義を超越するような理論の体系化にも取り組んだとされます。一般向けに書かれた『自動車の社会的費用』(岩波新書1974)『社会的共通資本』(岩波新書2000)は、今なお影響力のある著作であり、環境破壊やSDGs、ESGなどが叫ばれるようになる中、宇沢経済学が再注目されています。

私自身、『社会的共通資本』の考え方には感銘を受ける部分が大きく、尻切れトンボになってしまったものの、昨年何回かにわけて記事を書きました。

資本主義を問い続けた経済学者

本書の著者、佐々木実氏は、日本経済新聞社で記者として活動後に独立し、フリーのジャーナリスト、ノンフィクション作家として活躍している方です。晩年の宇沢弘文氏に師事し、第6回城山三郎賞、第19回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞した『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界 』(講談社2019)の著作があります。本書は、全126頁の小著であり、前述の書の抜粋版のような位置付けと想像しています。(まだ読み進めている途上なので推測の域を出ませんが)

佐々木氏は、”はじめに~「資本主義」という問い” の中で、経済学者・宇沢弘文を以下のように記述しています。

宇沢は、半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための、新たな経済学づくりに挑んだ。すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため、「社会的共通資本の経済学」を構築した。

P7

前後の記述からは、主流の経済学派や理論からは一線を画したことから、業績に見合う正当な評価が受けられず、しばしば不遇な取り扱いを受けた悲運の人だったことも伺われます。

"Shadow"に真摯に向き合う

佐々木氏は、宇沢氏が、

「Shadow」には過剰なほど敏感だった

P124

と書いています。宇沢氏が英文で著したエッセイに「Born in the shadow of the Mountains」というタイトルを付けたことに思いを馳せ、その生涯、思想、経済学に「Shadow」というキーワードが色濃く反映しているのではないか、と考察しています。

確かに「Shadow(陰)」ということばには、ネガティブ、不運、暗い、注目されない、といったイメージが連想されます。自分自身が「Shadow」を背負った人間であることを自覚し、社会の中で「Shadow」に留め置かれる不遇な人々、「Shadow」のままで決して表面化しない理不尽な出来事に目を向け、経済学を通じて、きちんと対峙しようとしたのが宇沢氏の思想の源泉だったという推測が成り立ちます。

光の当たる部分があれば、必ず陰になる部分があります。社会も同様で、華やかで恵まれた環境を謳歌できる人がいれば、陰に留め置かれ、報われない状態で燻っている人も大勢います。多くの人にとって不都合な「Shadow」に対しては、意識的に目を背けたり、存在自体を否定したくなるのが現実です。

私が最近になって宇沢氏の「社会的共通資本」に心惹かれたのも、自分の境遇が影響していることは否定できません。これまでの人生が全てとは言わないものの、幾つかの場面で自分の意に沿わない「Shadow」の役割を押し付けられた、というあまり愉快ではない記憶があります。

宇沢氏が背負った「Shadow」とは比較にならないし、達観には程遠い状態ではあるものの、私も残りの人生では、「Shadow」を運命として引き受ける覚悟を決めます。「社会的共通資本」を、何度も学び直す必要がありそうです。


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