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本を読むことが習慣になるまで

本日のnoteは、私が本を読むようになった経緯を振り返ってみます。

本好きのルーツ

親から聞いた所によれば、私は幼少時に本を読むのが好きだったようです。なのですが、私自身には、小学校、中学校、高校と積極的に本を読んでいたという記憶が全然ありません。

小学校時代は、近所や学校の友達と外で遊ぶのに忙しかったし、中学・高校は陸上競技部に入って、部活動中心の生活を送っていました。漢字や文法は得意でしたが、文章読解にはずっと苦手意識があり、国語の成績はぱっとしませんでした。論理的思考や、物語の主人公の心模様の琴線を感じ取るのは今も苦手です。

大学受験の共通一次試験では国語で大失敗をしてしまい、第一志望校に落ちる要因を作ってしまいました。生まれながらの文学的センスや素養には恵まれていないのだろうと思います。

スタートは大学時代

一念発起して本を読み始めたのは、大学生になってすぐの頃です。

本を読む男はカッコいいと信じ、小難しいことを一杯知っていて会話の端々に知識が滲むインテリっぽい振る舞いに憧れていました。尊敬する先輩が言っていた「本を読まない奴と音楽を聴かない奴は人生を二倍損している」という言葉に感化されたのも大きかったように思います。

そもそも、文字を読むということに慣れていないので、最初の一年くらいは極力薄い本を選んで、手当たりしだいに300冊くらい読みました。当時は読み易そうな小説、それもこれまで学校の国語の授業では扱わないような作家の作品を中心に、通学電車の中や自宅で必死に読み進めました。

村上春樹、村上龍、片岡義男、筒井康隆、山川健一、泉優二、西村京太郎、五木寛之、田中康夫といった作家の作品が、私の読書人生のスタート期に触れたものでした。ジャンルは無茶苦茶ですが、今振り返ると19歳の私のチョイスはなかなか悪くありません。

当時人気のあった、赤川次郎、新井素子、沢木耕太郎の作品は何故か殆ど読んでいません。遠ざけていた訳ではなく、単に縁がなかったのでしょう。作家や本との出会いも偶然が左右します。

当時の自分を褒めてあげたい

あの頃に意識的に本を読む努力を続けた結果、本を読むことが今でも習慣になっています。「本を読む」ことを強制的に習慣化するという決断は、これまでに自分が行った中で、最良の決断の一つだったと思っています。

あまり本を読んでいなかったと思っていた中学・高校時代にも、

● アラン・シリトー『長距離走者の孤独』
● リチャード・バック『かもめのジョナサン』
● 村上龍『限りなく透明に近いブルー』
● 三島由紀夫『潮騒』

は読んでいました。大した知識がない割には、本を選ぶセンスに関しては、昔から悪くないなあ、と自惚れている部分があります。

時には、本好きな人と思い出深い作品について、存分に語りたいと感じる時があります。これまで、あまりそういう経験がありません。あなたのお好きな作家やお好きな小説は何でしょうか?

本を読むのが好き≠読書家

「本を読む」ことが好き、とは自信を持って言えますが、私は優れた「読書家」ではありません。鑑賞センス、本に書かれた内容を読み取る能力は、世の読書家と言われる人たちに遠く及びません。本のあらすじや要約を捉えて、的確に伝えるのも苦手です。

本を読む目的が、内容を自分自身で血肉化・結晶化し、仕事や人間形成に役立てることなのであれば、私は完全に落第者です。私にとって、本を読むことは、娯楽の域を抜けていません。永遠のアマチュア、素人の本読みです。


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