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【俳句】阪神忌〜碧 萃生

明け方のマイナス一度阪神忌

能登半島地震の現地に出向いた政治家が、炊き出しのカレーライスを食べたことで叩かれていた。
それは、被災者の食べるものだと。

僕も、阪神淡路大震災震のボランティアで、炊き出しの豚汁をいただいたことがある。
何度も断ったが、おばちゃんのしつこさに断りきれずにいただいた。
その時には、悲しいわけでも、特別に嬉しいわけでもないのに、涙がとまらなかった。

あの震災から29年。
今では、知らない人も増えている。
そして、その人たちが子供がいてもおかしくない歳になっている。
僕が社会人になって少ししてから、大阪万博を知らない新入社員に驚いたことがあった。
「お前、万博も知らんのか。何でやねん」
「何でやねん」と言われても「何でやねん」だ。
万博のことは、おじさんの思い出話でいいが、震災のことは忘れてはならない。

能登半島地震で被害に遭われた方に、今はこんなことを言う時ではないだろう。
でも、29年前、瓦礫の山、倒壊したビル、横倒しになった阪神高速、そして一面の焼け野原、あの光景を見て、僕は、この街が元通りになることなんてあるのだろうかと思った。
もちろん、悲しみの癒えることなんかない。
その時被害に遭われた方には、僕たちにはわかるべくもない悲しみが残っているだろう。
それでも、街は僕たちが思っているよりも早く、ずっと早く立ち上がってきた。

今朝はバタバタしていて話す暇もなかったけれども、妻が仕事から帰ってきたら、今年もきっとこう言われる。
「あの時、あんたは車の中や、私と娘は家でどんだけ揺れて、怖い思いしたか」
「何言うてんねん。車でも、ハンドル取られて結構怖かったんやで」
でも、妻はわかってくれない。
それでいい。

※タイトル画像はLINEニュースから

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