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「嫌なら辞めちゃえば」と言うアドバイス

俳句を捻っていると、時々「うーん」と考えこむことがある。
だいたい腕を組んで、顔はやや斜め上を向き、目は閉じていたり開いていたり、いずれにしても眉間には深い縦じわが2本よっている。
そんな僕を見て、妻は言う。
「そんなに嫌やったら、辞めたらええのに」
もちろん、辞めない。
俳句は好きだし、楽しいからだ。

だが世の中には、本当に嫌なことがある。
例えば、仕事、会社、勉強、受験、学校。
最近は、頑張れというアドバイスはあまり聞かない。
鬱の人に「頑張れ」と声をかけるのは、励ましているつもりでも、本人にとっては否定されているように感じるという。
本人はもう充分に頑張っているのに、まだ、足りないのかと。
恐らくそれが、鬱ではない人にも当てはめられるようになったのかもしれないが、いつの間にか「頑張れ」は「もっと頑張れ」のパワハラになってしまった。

逆に、最近は「嫌なら、我慢しないで辞めちゃえば」そんなアドバイスをよく聞く。
そうだと思うし、いじめで学校が嫌な子たちは我慢する必要なんかない。
ただ、そんな子は、周りが言うほどそんなに簡単に行動はできないから、周りのサポートが必要なのだが。

他のことでも、そうだ。
一度きりの人生、我慢して辛い毎日を送るよりも、楽しく暮らした方がいい。
だから、
「嫌なら辞めちゃえば」

我慢して、我慢して、耐えて、耐えて、挙げ句の果てに命を絶つようなことになるのなるば、さっさと辞めちゃった方がいい。

だが、世の中の成功法則は、我慢することの大切さを説いている。
あのエジソンだって、
「私は失敗したことがない。 ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ」
つまり、それほどの失敗を重ねて、もう嫌になっちゃうけれども、それでも、あきらめずに続けてきたから、そのたった一回の成功があると言うことだ。
「もう嫌だ、辞めたい、お母ちゃん」と思ったそのすぐ先に、成功の扉は待っているかもしれない。
もちろん、待っていないかもしれない。
多分、待っていないことの方が多いような気もする。

いろいろな技術、スキルを身につけるには、時には壁を乗り越えなければならないこともある。
誰でも一度はぶつかる壁、みたいなもの。
その壁をどうとらえるのか。
壁にぶつかる度に、辞めて違う道に行く。
そんな人もいるだろうし、それを間違いだとは言えない。
でも、見ていてもったいないなあと思うこともある。

こんな話がある。
「まんが日本昔ばなし」でもやったようなのでご存知の方も多いと思う。

ある大阪の商人の男。
番頭の使い込みで店がつぶれ、家族もばらばらになってしまった。
それでも、もう一度一旗あげようと旅をしていたが、途中で山賊に有り金をすっかり盗られてしまう。
目の前の道がふた手に分かれている。
よく見ると、草むらに立札があった。
「西つらし」「北くらし」
どちらに行ってもつらい、くらい。
俺はもうだめだ。
首を吊って死のうとしたところに、ひとりの僧侶が通りかかった。
事情を聞いた僧侶は、微笑むと、
「ほら、その草をよけてごらんなさい」
男が立札の下の草をよけると、
「西つらしま」「北くらしき」
後に成功した男は、道に迷う人のないように、立札を新しくした。

これなどは、諦める前に、もう少し何か工夫してみなさいという教えなのだろう。

「嫌なら辞めちゃえば」
もちろんそうだが、辞めどきが肝心だ。
いずれにしても、続けるのも、辞めるのも、決めるのは自分。

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