あなたのヒーローのお値段は
少し前に、ある就活サイトが、「底辺の仕事ランキング」なるものを掲載したと話題になった。
そこでは、12の職業を底辺の仕事として紹介し、その特徴として、
・肉体労働である。
・誰でもできる仕事である。
・同じことの繰り返しである。
さらには、
・平均年収が低い。
・結婚の時に苦労する。
・体力を消耗する。
ということも挙げられているらしい。
そして、その底辺職につかない方法などを紹介しているとか。
一方で、底辺職と呼ばれている職業は、社会を下から支えている仕事であり、そこで働く人がいるから今の自分がある、このことも忘れないようにとフォローもしているとのこと。
ここで紹介されている職業は、ほとんどがエッセンシャルワーカーと呼ばれている職業だ。
社会に必要不可欠な仕事として、これまでのホワイトカラー、ブルーカラーに変わる新しい呼称として、感染症禍の中で注目を浴びてきた。
さて、底辺の仕事として紹介された12の仕事が含まれることからも分かるように、エッセンシャルワーカーの収入は低い。
中には高いものもあるが、その仕事量には見合っていない場合が多い。
何故なのだろうか。
社会に必要不可欠な仕事であれば、本来は誰よりも高い収入を得てもいいはずだ。
にもかかわらず、その収入は平均して低い。
さらには、そのことがあまりにも問題にならないのは何故なのだろうか。
彼らは、安全と命を守り、インフラを整備し、街を清潔にして、僕たちの社会生活を支えてくれる人たち。
つまりは、ヒーローそのものだ。
僕たちの知っているヒーロー、正義の味方は、いつも無料で働いてくれる。
時代劇でも、越後屋は金をもらうが、遠山の金さんや銭形平次は決まった給金以外に請求することはない。
桜吹雪を一回見せるのに何両とか、投げ銭の金額によって威力が変わるなどと、そんな話は聞いたことがない。
ウルトラマンだって、誰が呼んだわけでもない。
呼ばれもしないのに、いつの間にか地球に住み着いて怪獣と戦ってくれている。
悪を動かすには金がかかるが、正義は無料で働いてくれる。
ヒーローは、いわばボランティアだ。
そして、そうであるべきだと誰もが思っている。
ヴィランが、俺に頼みたかったら金を持って来いと言っても、みんな素直に用意する。
殺し屋には、こちらからすすんで金額交渉をする。
しかし、ヒーローには僕たちは一切支払おうとはしない。
ウルトラマンが去っていく時には、誰も引き止めない。
「請求書、送っておいてくださいね。支払いは、壊した建物と相殺でいいですよね」
そんなことは誰も言わない。
お礼の品ひとつ、持たせることもない。
つまり、ヒーローたるものは、というわけだ。
ここにも、「たるものは」思想が働いている。
男子たるものは、女子たるものは。
高校球児たるものは。
教師たるものは。
いつの間にか出来上がった固定観念を押し付け、そこからはみ出す者を許さない。
だから、金を積まないと決して動こうとしない必殺仕事人は、正当なヒーローではない。
義賊に近い。
そんなことを考えている時に、こんな本に出会った。
この本の詳細には、触れないが、感染症後の社会を考える上でも、ぜひ読んでほしい内容だ。
この中で著者は、「エッセンシャルワークの逆説」について述べている。
つまり、その仕事の社会的価値が高ければ高いほど、その報酬は低くなるという現象だ。
そして、労働観の変遷を述べた上で、その社会的背景をこのようにまとめている。
つまり、ヒーローは、その仕事のやりがいそのものが報酬であり、それ以上のものを要求するとは何たることか、というわけだ。
エッセンシャルワーカーの君たちは、収入が引くても、それ以上にやりがいという名の報酬を受け取っているんだから、何の不満があるんだ。
まわりは、みんなやりがいの無い仕事で、日々あくせく働いているんだぞ。
少しくらい、こちらが収入が多いからって文句を言うな。
果たして、このままでいいのか。
逆説を逆説のまま放置することは正しいのか。
逆説を逆説でなくす、いや、それ以上に、その働きと社会的価値に見合った報酬を得られる世の中にしていかなくてはならない。
それは、一時的な支援や補助ではなく、もちろんスタンディングオベーションでもない。
そのことを真剣に考えなくてはならないと思う。
世の中には底辺があり、底辺の仕事は、底辺の仕事しかできない底辺の人間がやるべきだ、底辺からは抜け出すべきであり、抜け出せないのは抜け出せない人間の自己責任だと言うのなら、僕たちは、「自己責任」という言葉に魅了されすぎたのかも知れない。
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