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第5話 歴史を学ぶ意義

いつも読んでくださる皆様、ありがとうございます。

営業マンのまろまろです。

突然ですが、8月6日は何の日かご存知でしょうか。
そう、ヒロシマ原爆投下の日でございます。


何時何分かご存知でしょうか。
そう、8時15分でございます。


と、地元の私からすると何の躊躇もなく答えられる。

これは子供の頃からの原爆の教育のたまものかと思われます。


おばあちゃんから聞く、親から聞く、先生から聞く。

小学校の登校日は必ず全校生徒で原爆関連の映画やアニメを見ておりました。


そんなヒロシマの人に、経営者に、

8月6日?

なんだっけ。


あー・・・・

そういえばそうだよね、

昔の人は大変だったよね




なんて言おうものなら大きな反感をかうでしょう。


例えば、


営業マン「8月6日の朝お時間いただけませんか!!!!!!????
た、例えばではございますが8時からでも私は参ります!!!!!!!!」


どうでしょうね。



自分自身が原爆の被害にあったわけではありませんが、

その小さな小さな、県外の人では感じ得ない

思いを持っているからです。



私の祖父は特攻隊のパイロットでしたが

原爆投下の数日後に出発予定でした。

原爆が落ちていなければ私の命はありません。

とても感慨深い出来事ですし、

さまざまな歴史、戦争ものの本や映画も見ました。



でもそれを誰かに話したところで共感は得られるはずもないと

思うからいわないのです。

8月6日の朝はせめてやめようよ

とは社長もおっしゃりません。

(もちろん、そう考える人ばかりでもありませんが)



例えば
仙台にいるときにも、似たようなことがありました。

鮮魚卸業の企業に営業に伺ったときに

社長から、

「マグロの内臓を飲食店に売りたい。

営業組織が今までなかったからなんとか営業組織構築支援ができる人を紹介してくれないか」


という相談を受けて、私が2枚目に出した方のレポートは

とある飲料メーカーの出身の方だった。


専務の顔色が変わる。


沈黙の後

専務「私はこの会社は嫌い。東北の経営者はみんな嫌いだと思うよ」


そこからは商談にならず、なかば追い返されてしまいました。




帰社後、調べてみると

かつてこの会社の社長が

東北地方を馬鹿にする発言をしたことが

あったとのこと。


1980年代。私が6歳の頃の話だ。

私は驚いた。

そんな昔の話・・・



しかし、50年前の原爆のことを思う私がいるもの事実であり

東北の人にとってのこの会社は

20年前だろうが30年前だろうがそれだけ大きな

インパクトだったことがわかる。



もし私がこのことを知っていたら

この会社の出身の方のレポートを出すことはなかったかもしれない。

あるいは枕詞をつけて話ができたかもしれない。


まず歴史を知ることはその土地の人の大切にしている価値観を知ること。


歴史を知り、その小さな自負が、小さな傷が、

自分だと何なんだろうと考えたときに

相手の気持ちや思いを推察することができ、



それは費用対効果やスピード感を凌駕した存在になるケースもあり

そんなときに通常通りのトークで

何も考えずにつっぱしろうものなら反感をかうかもしれません。

私は専務を不快な思いにさせたに違いありません。




ヒロシマでは8時15分に黙祷をささげます。


電車、バスがすべて止まり、

運転手も黙祷をささげます。



おそらく20年以上生きていてもヒロシマの人がそこまでしていると

知っている人はあまりいないのではないでしょうか。

そのような社会に生きている人の気持ちを察しきることは難しいので

やはり歴史を学ぶしかないでしょう。

特に地方はそうかもしれませんよね!


歴史を知る意義とは

日本史のテストで100点を取る勉強ではなく、

今に生きる人たちの考え方のルーツを知ることに他なりません。

そして相手の立場に立つためにも必要だ

とワタクシは思いました。

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