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母と大泣きして抱き合った話

母の泣く声が聞こえた。
泣きじゃくるような声は、母方の祖母が亡くなった時以来だった。こんなにも悲しませているのが、わたしだと思ったら、なんとも言えない苦しさが襲い、どっと涙が溢れた。


これは、母とわたしの21年間でもっとも酷で、地獄のような喧嘩をした日の出来事。
わたし自身への戒めのために、記録しておく。
もう2度と、お互いが、しんどい思いをせずに思い合って暮らしていけるように。

何度も書いては消して、思い出して苦しくなっては途中で書くのをやめて、を繰り返してやっと書けたノート。


わたしの家族はとても仲が良いことで、ご近所や友人たちの間で有名。その分、ケンカも多い。
ついこの間、長いながい冷戦状態が溶け、日常に戻ったと思われたある日。
再び言い合いになった。


そして、わたしはまた、やってしまった。
心に微塵もないと言えば嘘になるが、前々からたまに、ほんとうにたまに頭をよぎる言葉を決めつけのように、母に放った。


”そんなにわたしがいらない存在なら、ここまで大きく、生意気になる前に養子に出すなり、殺すなりしたらよかったじゃん!”

人の気持ちも聞かず決めつけて発言することがどんなに相手を傷つけるか、わたしが1番知っている。それをわかってて、やってしまった。



それに、母がわたしを大切に育ててきてくれたことなんて、この21年間で、身に染みて、そしていたいほどよくわかっている。
生まれたばかりの頃、母にとって第1子だったわたしは、体が弱く体調不良を繰り返していたそう。母も初めての育児で戸惑いが多く、不安な胸の内や、1日1日の出来事をノートに残してくれていた。
そのノートは今でもわたしが大切に持っている。
そのノートを見れば、わたしがどんだけ大切に大切に育てられてきたか一目瞭然だった。


そして、切り札に、わたしは家を出ていくと啖呵を切った。そんなの母をいちばん傷つけることなんてわかっている。でも、言った。


母が傷つく言葉なんてわかりきっている。
それをわかっててわざと言うわたし、ほんとうに最低だ。


部屋でひとしきり泣いた頃、母が再びわたしの元へ。銀行の封筒を差し出して、「今ままができることはこれくらいだから....」と泣き腫らした目で見つめてくる。
こんな顔にさせているのが自分だと考えたらとても心が痛かった。




しばらくして、頭が冷えてきた頃。

わたしはここ数年で、命の尊さを痛いほどに感じてきている。母もわたしも、いつどうなるか、誰も知らない。もしかすると、ほんの数分後かもしれないし、何年後かもしれないし、ずっとずっと先かもしれない。いつかは別れがくる。それならば、笑い合う日が続く方が良いとおもった。とても重い考えだと思うが、わたしはいっしょにいられる時間をなにより大切にしたい。
そして、母が泣きじゃくるほどのとても酷い言葉を放ったことを、いまさら、後悔した。


この考えに辿り着き、普段は自分から謝るほうではないが(大問題)、自分から謝りに行った。


“ごめんなさい”という言葉がこんなに重たい言葉だと、忘れていた。


わたしがごめんなさいを伝えると、母は、“ままもごめんね”と優しく抱き締めてくれた。

母に抱きしめられたのはほんとうに久しぶりで、なんだか心がじんわりとあたたかくなった。
抱きしめられながら、「自慢の娘に決まってるじゃん!」「出て行けとか思ってるわけない!この家からお嫁さんいってもらうんだからね!出て行かないで」と言われた。いよいよ、わたしの涙腺は崩壊した。幼い子どものようにわんわん泣きじゃくった。

頭ががんがんと締めつけた。



しばらく2人で抱き合って泣いた後、仲直りの記念に2人でご飯を食べに行った。
温泉はわたしの予定上行けなかったが、後日、何度か一緒に温泉にいけたので大満足。


その日食べた定食は、心に沁みるやさしい味だった。

fin.

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