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映画「アンネ・フランクと旅する日記」感想

機会に恵まれたので、「アンネ・フランクと旅する日記」の先行オンライン試写会に参加した。

アンネ・フランク。誰もが名前は知っているはずだ。もしかしたら、世界で一番有名な「一般人」かもしれない。生前に作家となることはなく、死後、彼女の遺した日記が出版されることで「作家」になった少女。
日記には、「キティ」という想像上の友人が登場する。キティが、今回の「アンネ・フランクと旅する日記」の主人公だ。

キティは、ずっとアンネに寄り添っていたけれど、キティが目を覚ますと、アンネはどこにもいない。アンネを探す旅が始まる。
アンネ・フランクの最期は、きっと誰しも多少は知っているだろう。もしかしたら、その残酷な末路故にこのアニメ映画を見ないでおこう、と思う人もいるかもしれない。私も、躊躇った。
しかし、この映画では、残酷な描写をとことん排除している。人間の恐怖や嫌悪を描写していても、アニメーションの力で、シリアスとコミカルを切り分ける。キティとアンネが過ごした過去と、現在を往還しながら、物語は進む。

「キティという、アンネの半身ともいえる存在が、片割れを探す」という幻想には、優しい嘘がある。キティ自体がアンネが自分についた優しい嘘であり、そしてこのアニメ映画はもっと優しい嘘をつく。アンネがなしえなかった夢を、キティが叶えていくのだ。

この作品の印象的なシーンがある。アムステルダムの街全体が、「アンネ・フランク」に覆われていることを、キティが知るところだ。橋や学校、劇場など、「アンネ・フランク」と名付けられた建物や設備を目の当たりにする。アンネは、「女の子の友達」ではなく、「英雄」になってしまったのだ。キティは、果たして、この事実をどう思うのだろうか?


「人間は二度死ぬ」という言葉がある。
一度目は医学的な死。二度目は記憶から忘れさられた時。
それでは果たして、アンネ・フランクは「生きている」のだろうか?
二次創作的に増殖する「アンネ・フランク」は、果たして「生きている」のだろうか?
アンネ・フランクの言葉は、私たちに届いているのだろうか?
改めて、『アンネ・フランクの日記』を読もうと思う。


「アンネ・フランクと旅する日記」は3月11日より公開予定。

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