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リアルな自由を追究する実験場 ニート株式会社

もはやコテンラジオからの紹介が常態化しているが、気付きや学びが多いのでシェアしたい。

若新雄純さん。今回はテレビなどで知っている方もいらっしゃるのではないだろうか。実業家、プロデューサー、慶応義塾大学特任准教授、そして最近浄土真宗の僧侶になられた若新雄純さんの始められたニート株式会社を紹介する話だった。
このニート株式会社、結構有名らしいがテレビを普段見ない私は全く知らなかった。良かったらまずコテンラジオを聞いて頂きたい。若新さんが軽やかに熱く語ってくれている。
https://open.spotify.com/episode/7CetnYyo8gWGGHBEWSa0mE?si=belnGY8XTd62ro-ZddVEXw&utm_source=native-share-menu
NEET(ニート)とは、not in education,employmentor training(学校に通わず、働きもせず、職業訓練も受けない)の頭文字を取ったもの。社会的に分かりやすく、どの属性でもないその他の人たちという言葉。
そのような雇用されない人たちでかつ、全員が取締役で構成されているのがニート株式会社なのだ。

若新さんいわく、このニート株式会社は歴史を検証する実験場であり、ひとつの歴史を自分自身で作って歴史を検証したかったとのこと。
その8年あまりの歴史から見えてきたものがスゴい。
個性豊かなニートが集まるこの会社、誰一人雇用されていないため、やることは自由だ。基本仕事は遊びが多いのだが、レンタルニートという1時間1000円で一緒に遊んであげるビジネスを立ち上げた者もいる。

設立当初は全員株主で、一人一票を持つ議決権があり、完全な合議制で会社を運営した。そして若新さんだけ議決権を持たない代表取締役になる。 
元々はみ出した者たちの集まり。会議の場では自己主張が強い者たちの話し合いはまとまらない。そして疲弊する。多数決にしようとしたらそれも合意を得られない。さらに疲弊する。話しても決まらないので、出来る限りの話し合いをし、結局お互い妥協して既存の案で決める。
ここでの学びは、リーダーに必要なのは妥当な決定をすることではなく、みんなが納得したという話し合いを最後までやることだった。
若新さんの社会学の先生である師はそれが民主主義だと。時間は有限である、しかし許す限りやることが民主的に決めることだと。

一人一票が甘くないことをがメンバー間で合意されていき、人に権限を委任する代議制を取り入れた。しかしその途端権力者に風当たりが強くなる。メンバー間のトラブルは収まらない。
トラブルを抱えたメンバーは若新さんに問題解決を求めた。そこで若新さんが考えたのが喧嘩両成敗というルール。どちらが正しい悪いではない。そもそもお互いの正義同士のぶつかり合いだから喧嘩したどちらも悪い。だがどちらも排除しない。そうすることで排除されない仕組みを作り、負けても存在できる場所にした。

新しく入ったメンバーはなぜこのようなシステムなのか納得がいかない。だから古参メンバーが成り立ちの歴史を語る。
合理的システムもうまくいくとは限らない。保守的に続いてきたやり方も合理性はないが、諦めという意味で納得性が高い。新しい不完全よりは昔から続いている不完全の方が納得いきやすい。
元々リベラリストであった若新さんであったが、今までの歴史と文脈を大事にしている保守的思想もこの実験を通して理解した。

代議制で最低限のルールが作られていたが、代議制で選ばれたリーダーも思い通りに行かないだとか、何人かいるリーダー間で対立や分裂が起きた。そして派閥争いが起き、ある派閥から若新さんと別会社を立ち上げる意向の相談がきた。
しかし若新さんは考えて断る。これでは永遠に分裂は避けらないし、その度に代表になっては体が持たないからだ。とはいえ面白いとも感じた。こんな企業価値などない会社でも自分という人間つまり本家本元を主張できる存在を必要としていることを。

結局一人一票は機能しない。代議制もダメ。若新さんにだけ決定権を持つのがまだマシな方法というところに落ち着いた。究極の決定権は若新さんにあるが、その意志、政治的介入は最低限にしか反映されない形にした。
今、ニート株式会社は代表取締役は一人になり、若新雄純氏は代取を任命するだけの議決権を持つ会長になっている。

そこで若新さんは永遠にこの役職を辞められないことに気付いた。なぜなら最終決定権である議決権を誰に譲るかという話になってしまうから。
辞められないのは彼が最初に作った発起人であり、彼以上にそれを持つ正統性が誰にもないからなのだ。ニート株式会社がこのような形に落ち着いたことで、若新さんは国家元首と首相の関係を体感で知ることになる。まさに天皇を体感することになったのだ。

天皇家。血を血で継ぐ形で継承されている。
竹田恒泰さんは言う。何故男系で女系ではダメなのか?女性は天皇に相応しくないのかの質問に対して。
「相応しい、相応しくないかの問題ではありません。今まで絶対にこれしか認めないといったことの認める幅を拡げることは、天皇とは何かという解釈がぶれる可能性があります。」
今では実感をもってわかる。

血で血を継ぐ、長男だからという、諦めざるを得ない日本人的、古い、皆があまり合理的だとは思わないけれども納得せざるを得ない理由は、合理性で納得しない方がいるからだ。しかし、この天皇制があるからこそ、日本は分裂なく、日本国としてまとまっていられる。その反対例として激しく分裂した極真空手を挙げた。その結果、真の意味での極真世界王者を決めることは出来なくなってしまったのは悲しいと若新さんは嘆いた。

まだ歴史を刻み続けるニート株式会社。その歴史からお金でははかれない価値を生み出している。それは歴史を学ぶ教養の素晴らしさを教えてくれているから。

コテンの代表である深井さんはしきりに「合理をとることのコストがいかに高いか、適当な解よりも合意を得ることの方が難しい」ということがわかる話でもあると仰っていた。

ここからは私の意見。多様性ある人々の集まり、考え方も様々。まとまるのはまず無い。そのまとまらないものをまとめる象徴的存在として必要となったのが、先ほど学んだように日本においては天皇であられる。
その存在により私たちは問題は起こるとも分裂なく他国と比べれば平和を維持できている。
比較的平和であるからその分自由も与えられ、私たちは自由に生きることが許されている。が、しかし天皇はどうであろうか?自由はあられるのか?
少なくとも生き方の選択肢の自由はないであろう。人々の幸せの礎としての存在としてあられることに感謝の念と、今ある私たちの自由も限定的だと感じた。
誰一人漏れず自由にならなければ真に自由の世界とは言えないだろう。

コテンラジオの最新話である#240のマルクス資本主義のテーマからマルクスが多大に影響を受けたドイツの哲学者ヘーゲルの話。
ヘーゲルは意識をどんどん解放して自由にしていくと、色々な対立がなくなるのではないか?意識を変えれば世界もかわるのではないか?と話している。
究極に自由になる精神、世界精神というのは最終的には神らしきものなのではないか?という考えがあったらしい。

スゴい。19世紀始めにはこのような哲学者がいたとは。まさに私が望む世界。愛と平和と調和と自由がそこにはあると思う。
ニート株式会社が未来そこに行きつくかは分からないが、そうなった時は若新さんはニート株式会社から解放され、自由になるのだろう。

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