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差別している自分を認める

まずはじめに、
わたしはこれまでに、
差別をしたことがあります。

意識的に差別しないように。

そんな考え方でいることで、
無意識下で誰かを差別した発言・行動をしてきてしまったと思います。

ここ数日の、
自分の中の心境と学びを、
このnoteに書いて、
自分としっかり向き合う時間にします。
長くなると思われます。


経緯

silentの脚本家の生方美久さんの
特番内で語られた内容が理由で
少し?騒がれていることを知りました。

今回に限らず、
こういった炎上のような現象が起こるたび、
わたしはそのニュースを観ない。
目を逸らし耳を塞ぐ。
そういうタイプの人間です。

今回その特番を観ていましたので、
何となく騒がれた理由は表題を見たくらいで理解しました。
けど詳しくは見ていません。
でもこの時のわたしの心境は、
生方さん寄りです。
彼女が創作したものは、

「日本語が理解できる人に伝わればいい」

そんな気持ちで創られている。
今回のドラマを見て感じました。
今回攻撃されてしまったのは、
「言葉」を大事にしているのに、
発言が個性的だったことが理由なのかな?
という印象はありました。
おそらくですが、
彼女は表舞台に出たくない人で、
言葉をじっくり探して選んで…ができない
こういった表舞台では、
色々言葉選びを間違ってしまったのかなと。
少なくともわたしはそうなので、
そう想像しました。

ちょっと気持ちがもやもやした出来事でした。

そしてもう一つ。

想の甥っ子の名前。
子供の名前の漢字が問題視されているのを、
他の方のnoteを読んで知りました。
それが当事者の気持ちを抉るような、
そういった負の過去があることも、
この機会に知りました。
ここでわたしは、
やはり創作者寄りの感想でした。
(まぁそれも想像でしかないんですけど)
その漢字の名前を起用することで、
人によって受け取り方が違うこと、
人によっては残酷な言葉になり得ること、
そして負の過去を知らない人に知らせる機会を作ろうとしたこと。
これも日本語が理解できる人にしか伝わらないので、
そういった創作者がこだわった結果だったのではと推察します。
そしてドラマ全般言われてきた事ですが、
このドラマは説明臭くなく、
余白を作ることで、
多くの視聴者が何通りもの受け取り方ができた。
それ故に、
今回の問題が起こってしまった。
言葉が足りない。
配慮が足りない。
上記のようなことが、
楽しみにしていた最終回目前に見てしまったので、
正直ドラマを楽しんで観てもいいのか、
とかそんなもやもやが発生しまして。


さて、
また新しい単語を覚えました。

「マイクロアグレッション」

この機会に少し調べてみました。


マイクロアグレッションとは


下記の伊藤芳浩さんのnoteを読んで、この言葉を知りました。
問題視される名前について言及されている中で紹介されていました。

マイクロアグレッションとは、
社会的に差別的な言動はダメだという認識になっている中、
無意識下で実は差別しているということ。
詳しくはこちらを読まれてみてください。

マイクロアグレッションには3種類あって、
★マイクロアサルト(意識的な攻撃)
★マイクロインサルト(無意識な侮辱)
★マイクロインバリデーション(無意識な無価値化)
に分けられる。

ひとつ目のマイクロアサルトは、
言葉を選ばず言うならば、
完全に悪、
ですよね。

マイクロインサルトとマイクロインバリデーションは無意識下なことが多いので、
悪とはみなされにくく、
だから厄介というか。
このページで特に取り上げられているのが、
3つ目のマイクロインバリデーション。
無意識な無価値化。
つまり、
差別なんてそもそもないことにされてしまう。
「考えすぎじゃない?」
「感じ方の問題でしょ」
「差別なんてないよ」
「あなたをそんな風に(障がい者として)見てないよ」
「みんな一緒だよ」
こうして受け取り手が感じた差別そのものをなかった事にされてしまう。
差別なんてないでしょという無言の圧力を受けて、
差別されたと感じた自分の感情を否定されて、
「気にする自分がおかしいのかも」
「気にしないほうがいいもかも」
と自分で自分の感情を抑え込む。
自己処理してしまう。

こんな気持ちを無視してしまっていることに、
わたしは気づかず、
おそらく、
無意識に誰かを否定してしまっていたのだと知りました。


まずは認めることから


加害側になった時、
「そんなつもりはなかった」と言うと思います。
だって無自覚ですからね。

でもここで逃げず、
自分は差別していたのだと、
まず気付くことが大事だと。

マジョリティは、マイノリティのリアリティを経験できない と自覚する

マイクロアグレッションとは何か?様々な立場の人が「日々」積み重なるように体験している【解説】


以前わたしは、
多様性をすべて受け入れることは現実的じゃない
と言ったことがあります。
その考えは変わらないですが、
自分が差別をしている可能性があるのだと、
常に意識する必要はあるのかなと。
怖くて何もできなくなりそうですよね。
公の目に触れる場で言葉を残すことが怖い。
でも、
失敗しないと成長はなく。
誰かを傷付ける失敗なんかしたくないけど、
失敗はするもので。
大事なのは、
その後どうするか。

成長したい?
失敗したくないから成長もしなくていい?

いやいや…

今日もバレーボールの練習で、
子どもたちに言っちゃいましたよ。
「何かを変えたいなら思いっきりやってみな。
 やったうえでの失敗はしていいよ。
 何もしないは、何も変わらない。
 いっぱい失敗して、その都度修正しな」
あ、自分に言ってたのか。
はずかし。
でも、
口に出しちゃったから、
わたしも有言実行しないと、…ね。


感謝


silentが最終回を迎えまして、
silentロスになってる訳ですが、
このドラマに出会えたことに感謝しています。

ドラマについて喋りたくて、
そしてnoteに出会い、
同じくドラマについて書かれた記事を拝見する中で、
色んな問題を知り、
考え巡らすことができています。
自分の無知さを恥ずかしく思うと同時に、
このタイミングで気付けたことに感謝しています。

ドラマは終わりましたが、
わたしは今後思考を止めず、
たくさん自分自身と向き合っていこうと思います。

(ドラマについては、また別の記事で改めて)


最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

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