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短編小説「レンブラントの自画像」

私は三次元の男性が苦手だ。生身の男性を前にすると、どうも固く身構えてしまう。
なにが苦手なのか。
それは、下心を持って口説かれると気分が悪くなるからだ。
なぜ、男性は相手が女性となると下心を抱くのだろうか。そうじゃなく側に寄ってくる男性もいるけれど、たいていは私を恋愛対象として見てくる。
二十前後になる年頃には当たり前のことなのかもしれない。
でも、私は気持ちが悪い。
男性とお付き合いをしたことはある。しかし、みな、付き合って間もないのにキスをしようとしてきたり、スカートの中に手を入れようとしてきたりするので、私は抗う。
友達に相談したら、「あなたがおかしい」といわれた。
私は「どこが?」と尋ねた。
すると彼女は「付き合うということはキスをしたりセックスをしたりするものなのだ」と答えた。
「そんなのいつ誰が決めたの?」
「生物がこの世界に誕生したときから」彼女はいった。
腑に落ちなかったが、そうきっぱりといわれるといい返せなかった。

私は静かに音楽を聴き、本を読むのが好きだった。
ある日、世界の美術館を月刊で紹介する雑誌を買った。
その月はウフィツィ美術館の特集で、私はまだ見ぬイタリアの街に思いを馳せながら雑誌をめくった。
美の都フィレンツェにあるウフィツィ美術館にはイタリアルネサンス絵画が特に多く所蔵されている。
しかし、私の目を引いたのはオランダ絵画だった。
それもレンブラントの自画像。
レンブラントはたくさんの自画像を描き残したが、ウフィツィ美術館にあるものは、若き頃のレンブラントだった。
私は一目で恋に落ちた。
私にとって、二次元の男性に恋をすることは珍しいことではない。
煩わしさがなく、思いきり恋に酔えるのだ。
だから、私は若きレンブラントへの熱い想いを心行くまで味わうことにした。
絵画は私のスカートに手は入れない。
いつでも会いたくなれば雑誌をめくればいい。
ストレスがない。
友達にいえば、またばかにされるので、誰にも秘密の恋。
心が躍る。毎日が輝いて見える。食事が喉を通らない。ため息ばかりがついて出る。
実家暮らしだが、私の変化には誰も気づかない。
仕事に着ていく洋服を迷う。
口紅を引くときにうっとりとする。
恋は女性を美しくする。
私はどうやら美人らしい。自分でいうのも変だけれど、よく人からいわれるのだ。
でも、胸はぺったんこ。
バランスが悪い。
だけど、恋人は絵画だから気にすることはない。

私はその雑誌をいつも枕元に置いておく。
眠る前に彼と思う存分見つめ合う。
レンブラントの自画像も真正面を向いているので、見れば自ずと見つめ合う形になる。
鼓動が高鳴る。目がとろりとなる。
私は彼に小声で語りかける。
今日はね、カフェの常連さんにいわれたの。
「最近ますますきれいになったね」って。
セクハラですよ、って笑って答えたわ。
あなたのせいだ、なんていえるはずもないものね。
誰に理解されなくとも、私は平気よ。
あなたに恋をしていることは、私に自信をくれるの。強くなれるの。
キスも交わせないけど、私はしあわせよ。
とにかく、あなたのことで胸がいっぱいなの。
ああ、フィレンツェに飛んで行きたいわ。
いつかかならず、ウフィツィ美術館のあなたに会いに行くわね。

友達が一緒に旅行しないか、と誘ってきた。
ツアーでイタリアに行きたいのだが、一人だとつまらないから、と彼女はいった。
私は二つ返事で快諾した。

今回はブーツ型のイタリア半島の北側、ミラノからベネチア、フィレンツェを経由しローマ、バチカン市国までのルートをめぐる旅だ。
友達が夏休みに入った7月半ば、私と友達は飛行機に乗りヨーロッパの大地を踏んだ。
ツアーには、新婚のカップルや、親子連れ、さまざまな参加者がいた。
みな、身軽な装いで、ガイドを先頭に連なって歩いた。
ミラノでは、友達が蜂のようにハイブランドの店を回るのに付き合わされた。
でも、夕食のチーズリゾットがとても美味しかったので、疲れも吹き飛んだ。
ベネチアではゴンドラに乗り、狭い水路を進んでホテルへとたどり着いた。
ベネチアの夏は湿度が高く、ベッドに掛けてある布団が湿っていて気持ちが悪かった。
でも、イカ墨のパスタがとても美味しかったので、すべて良しとした。
いよいよ明日はフィレンツェに入る。
自由行動の時間は、ピサの斜塔を見に行く人もいるけれど、私たちはウフィツィ美術館へ行くことにした。
どうしても見たい絵があるの。
私がそういうと、友達は快くオーケーしてくれた。
フィレンツェに着いたが、夕食に何を食べたのか記憶に残らなかった。
ふわふわとして、夢見心地だった。
明日の美術館見学を想像すると喉が苦しくなった。
翌朝、ホテルで軽く朝食をとり、出掛ける準備をした。
持ってきたウフィツィ美術館の雑誌は、キャリーバッグにしっかりとしまいこんで鍵をかけた。
誰も盗まないとは思うけど、私にとっては貴重品より大事なものだ。

イタリアの陽光は威力があり、肌に刺さるような痛みが伴った。
でも、カラッとしているので、薄いカーディガンを羽織って日焼けを防いだ。
石畳の街並みを歩く。イタリア人の時間はゆっくりと流れているようで、誰もせかせかと歩いていない。
オレンジ色の屋根の巨大なドォーモを通りすぎ、ウフィツィ美術館に着くと、チケットを買った。
入り口に並べられたインフォメーションマップに日本語版はなく、英語で書かれたものを手に取った。
コの字型の第一回廊には、ジョットの部屋から三ヶ所回り、さっそく目玉のボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』『春』『受胎告知』が華々しく出迎えてくれる。
私はため息をもらした。雑誌で見た絵画たちがいま、目の前にあるのだ。絵画から呼吸が感じ取れる。
そこから次へ進むと、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』が見るものを圧倒させた。
第二回廊を曲がり、ミケランジェロやラファエロの絵画が存在感を示している。
第三回廊を進むと、奥には十七世紀のオランダ絵画の部屋がある。
いよいよだ。
いよいよ、私は恋い焦がれたレンブラントの自画像に会えるのだ。
オランダ絵画の部屋の前にたどり着くと、扉が閉められていた。
あれ? なぜ、閉まっているの?
扉の前に立て札があり、英語、スペイン語、中国語、各言語で説明がなされていた。
「海外に貸し出し中」と書いてある。
私の目の前は真っ暗になった。めまいをもよおし、その場にしゃがみこんだ。
「どうしたの?」友達が訊く。
「私の会いたかった絵画が、この部屋にあったの······」
「あらあ、それは残念ね」
残念などという言葉では済まなかった。
私は、あの絵画に会うために高い旅行代を払い、長時間飛行機に乗り、やってきたのだ。
うちひしがれた私を尻目に、友達はいった。
「ほら、仕方ないでしょ、立ち上がって」
閉めきられた部屋の前でしゃがんでいる東洋人を、不思議そうな目で見る観覧客。
私は友達に抱えられ立ち上がった。

ローマでは、映画で有名なスペイン広場に立ち寄り、ジェラートを食べたが、何味を注文したのか記憶にない。
バチカン市国では、サン・ピエトロ大聖堂内に飾られているミケランジェロ作の『ピエタ像』を見物したが、観光客が多く押し寄せ、人々の頭越しにライティングされた小さなそれを遠目にちらりと見るだけにとどまった。

帰国の飛行機に乗ってからも、私はぼんやりしていた。
まるで失恋したかのように憔悴していた。
機内食には手もつけられないでいた。
「また行けばいいじゃない」
友達の言葉は冷たく聞こえた。

家にたどり着き、キャリーバッグから荷物を取り出したが、あの雑誌を出すことはなかった。
恋人にこっぴどくふられた気分だった。
認めたくなかった。
会うこともかなわなかったイタリア旅行を境に、私はレンブラントへの恋心を胸の奥にしまいこんだ。

数ヶ月後、私はハンガリー人のピアニストに恋をしていた。
彼はハンサムで、とても美しいドビュッシーを奏でていた。

                 完










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