見出し画像

不適切、だけど恩師

幼稚園から大学まで19年間、
たくさんの『先生』にお世話になってきた。
受験を後押ししてくれた先生、
部活の試合で勝った時一緒に喜んでくれた先生、素晴らしい先生に出会ってきた。

しかし、今回#忘れられない先生という題を見て思い浮かんだのは、先述した彼らのような素晴らしい人物ではなかった。

小学校3年生で学校の合唱団に入った。
仲の良い友達、優しい先生が顧問とのことで、
お遊び感覚で歌を歌っていた。
小学校4年生の時に顧問が代わり、
優しい先生の代わりにやってきたのが彼だった。

ヨレヨレのシャツ、タバコの匂いを身にまとい、音楽室に入ってきた時の絶望感をいまだに思い出す。
「全国大会を目指す」
その言葉が彼から出た時に何故か着いていこうと思った。

それからというもの、放課後と土曜日に合唱に励み、夏休みは毎日練習を重ねた。
練習に参加してすぐに音楽の才能は素晴らしいのだと気づいたが、
昼休みになると車のダッシュボードに足を上げてマックを頬張り、口の横に昼のマックのマヨネーズをつけて指揮をする、
そのだらしないその生活態度がどうしても好きになれなかった。
練習場所の体育館を休憩中に走り回ってたら、
正座させられ、デコピンを食らったの、今考えると体罰だと懐かしく思う。

彼に出会って3年目、小学校6年生にして学校として初めての全国大会出場を果たした。
全国大会の結果は散々だったけれど、
友達と一生懸命続けた合唱。今でも自信になっている。

先生。
結局出世せずに万年音楽教師だったと聞きました。腕が良くても生活態度が悪ければ周囲から煙たがれるということをあなたから学びました。


でもね、
あれからたくさんの先生に出会ってきたけれど、
1番の恩師はあなただと胸を張って言えます。
ご退職おめでとうございます。



#忘れられない先生
#エッセイ

この記事が参加している募集

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?