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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第6話 帰省編(2)

HAPPY WEDDING

島に帰省してから約1年後、いよいよカミさんをフリムン家に迎え入れる日がやってきた。今から31年前(フリムン26歳)の夏である。

そしてそのオメデタイ日は、何とフリムンの誕生日でもあった。

わざわざ記念日をその日にしたのは、余りにも記憶力に乏しいフリムンの苦肉の策であった。

そう、毎年“結婚記念日”を忘れ、カミさんに叱られるのを回避するための作戦だったのだ(笑)

披露宴当日の新婦…まるで天使のようであったという♡

身を固めるだけでなく、更に“ご懐妊”のオマケまで付いたこの日は、親不孝ばかりしてきた彼が、初めて親孝行した“特別な日”となった。

1992年7月9日…全国から親せきや友人知人が島に集まり、二人の門出を盛大に祝ってくれた。

その光景を見ながら、笑いの絶えない誰もが羨む幸せなファミリーにして見せると心に誓ったフリムン。

その思いは、時を経て少なからず“現実”のものとなる。   

同級生や恩師のトンボ先生も駆けつけてくださった披露宴
(人生初の胴上げ)いつか空手の世界でも絶対に実現させてやると心に誓った

 そんな披露宴も終盤に差し掛かった頃、誰もが予測し得なかったある「奇跡」が起きた。

フリムンが東京にいる間、二度目の脳梗塞で下半身不随となり、車イス生活を余儀なくされていた祖父が、新婦の花束を受け取ろうといきなり立ち上がったのだ。

これには会場がどよめいた。

医学的には絶対に立てるはずのない祖父の肉体。その突然の奇跡に、集まった親族たちは涙した。

最強のランバージャックは、二人の門出を心から祝福しながら、フリムンの父親としての最後の意地を見せたのだった。

花束を受け取る直前に立ち上がり、手を叩いて喜びを表す祖父

「約束のネバーランド」

こうして披露宴も無事に終わり、遂に新婚生活が始まったが、フリムンは何処かモヤモヤしていた。

そう、生まれ来る我が子に、自信を持って見せられるだけの「背中」をまだ持ち合わせていなかったからである。

1年前、諦めかけていた夢を再び掴み取ると誓ったものの、ただ自主トレをするのみで何の打開策も見つけられずにいたフリムン。

しかし、もう時間がない。

早くしないとパパになってしまう。

フリムンは思い切ってカミさんにこう切り出した。

「我が子に自慢できる背中を作りたい」
「だから本格的に空手に打ち込ませてくれ」

身重のカミさんにダメ元でそう懇願したが、彼女が出した答えは?

「なら子どもの健康を第一に考えてタバコは止めてね」
「それが出来ないなら空手は諦めて」

こうしてフリムンは、三度の飯よりも大好きだったタバコを止める事となった。

ただ、タバコというものは依存性が高く、ヘビースモーカーの禁煙は禁止薬物を断つよりも遥かに困難だという専門家もいる程だ。

それに情けない話しだが、当時の彼は自分に厳しい生き方にまだ慣れていなかった為、カミさんとの約束からそう時を待たず、次第に隠れて喫煙するようになっていった。

そんな事が暫く続いたある日の出来事である。

いつものように食堂で昼食を済ませ、帰宅前に一服かまそうと隠し持っていたマイルドセブンを取り出し、同じく隠し持っていたライターで火を着けたフリムン。

服に匂いが付かないよう、“証拠隠滅”のために窓を開け、外に向かって気持ち良さそうに煙を吐いたその刹那であった。

目の前に一台のバスがドンピシャのタイミングで停車。

そのボディには、見覚えのあるロゴが書かれてあった。

「保育園こどもの家」

それは、あの“オッパイじゃない方”の叔母が園長を務め、当時カミさんが働いていた保育園の送迎バスであった。

更に運の悪いことに、バスの運転席に座っていたのは、事もあろうかタバコを止める約束を交わしていたカミさんであった。 

このロゴを見ると、今でもこの事件を思い出すという

そんな事ってあるだろうか?

妻が送迎バスで食堂の前を通り、一時停止したその時間ピッタリに、隠れてタバコを吸っていた旦那様が突然窓を開け、口を尖らせて煙を吐くその確率。

これはもう天文学的数字と言っても過言ではないだろう。

フリムンはカミさんの目を見つめながら、数秒間だけ天に召された。

究極の謝罪法

カミさんと目を合わせてからどれ程の時間が経過したであろうか。きっと数秒程度だと思われるが、当の本人には何時間にも感じられた。

咄嗟に口から煙が出るのを防ごうと、瞬時に口を真一文字に閉じたフリムン。

その顔は、まるでマイナスドライバー専用のネジ(写真参照)であった。

それだけでも非常事態なのに、更に逃げ場を失ったタバコの煙が“ボフッ”と鼻の穴から吹き出し、もう色んな意味でしっちゃかめっちゃか。

オワタ…(T_T)/~~~

これまで何度この言葉を発したか分からないが、今回はシャレにならないレベルの“オワタ”であった。

カミさんとの約束を破ったからには、約束通り空手を止めなければならない。

もうどうしてよいのか訳が分からなくなったフリムンは、ソッとカミさんから視線を外し、壊れかけの自動ドアよりも低速度で窓を閉め、静かにタバコをもみ消した。

それから帰宅するまでの数時間、あの呆れかえったカミさんの顔が脳裏から離れず、放心状態に陥っていたフリムン。

言い訳を考えようにも、鼻孔から煙がダダ洩れする瞬間を超至近距離で目撃されたのである。

もう完全に「ジ・エンド」であった。

「俺の空手人生はこんな形で幕を閉じるのか?」
「俺はなんてバカなんだ」
「空手バカってそういう事じゃねぇ~だろ」

何度も何度も己のバカさ加減を悔み、遂には腹さえ立ってきたフリムン。

そして迎えたカミさんとの半日振りのご対面。

過去にこれほど緊張した事はなかった。例え全日本や世界大会の試合直前と比べてもだ(キッパリ)

そんなフリムンが、カミさんに対して取った苦肉の策とは?

究極の土下座、“土下寝”であった。

これ以上の発想は浮かばなかった。そして土下寝をしながら彼はひたすら謝り続けた。

「ゴ…ゴメンなさい…もう止めるから…」
「こ…今度こそ本当に止めるから許して…」

そうやって必死に首を垂れるバカな旦那様に、彼女は笑いながら呆れ顔でこう告げた。

「ハイハイ分かりましたよw」
「今度こそお願いしますねw」

まるで4歳児を諭すかのようなその言葉に、「海よりも深い愛を感じた」とは後に彼が語った言葉である。

そんなカミさんの無償の愛が無ければ、彼の空手人生はそこで頓挫していただろう。

ちなみに土下寝とは、土下座の上を行くベスト・オブ・ベストな謝罪法だが、下の写真は更にそれの上をいく“土下反り”である。

世界広しと言えど、 土下反りを使える空手家は彼だけであろう(知らんけど)

次号予告

ついに対面、その名はアンディ!?
ひた走るフリムンと、"報い"…
乞うご期待!!

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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