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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第5話 上京編(3)

東京ラブストーリー

それから数ヶ月後、そろそろ労災が切れるとの事でフリムンは東京に引き返す事にした。

もちろん、時間差で彼女も後を追い掛ける約束をしてくれた。

帰省時と違い、東京に戻る時のフリムンはまるで別人だった。

これから始まる「東京ラブストーリー」を想像しながら機上の人となったフリムン。

東京に着くまで、ずっとニタジー(ニヤケ顔)が止まらなくなっていた(笑)

それから更に数ヶ月後、彼女も遅れて上京。

二人の「東京ラブストーリー」は、石垣島に戻るまで4年間続いた。

東京で愛を育んでいた頃の二人♡

マッチョブーム到来

空手を諦め、彼女との東京生活を楽しんでいたフリムンであったが、どんなに幸せな日々を送ろうとも、心の中にポッカリと空いた穴を埋める事はできなかった。

そう、キッパリと諦めたはずの空手を忘れきれなかったのである。

そんなモヤモヤ小僧のまま生きていた80年代後半。世は空前のマッチョブームとなった。

その火付け役となったのが、世界中で知らない人は居ないであろう、あの「シルベスタ·スタローン」と「アーノルド·シュワルツェネッガー」である。

当時二人の肉体は、今見ても惚れ惚れする程のインパクトとセクシーさを兼ね備えていた。

特に「ロッキー4」と「ランボー2」辺りからのスタローンは、フリムンに再び強者への憧れを蘇らせるのに十分な説得力を醸し出していた。

この肉体こそ、フリムンの目指していた最高傑作である。
最強の敵役(ドラゴ)が極真空手家であった事も原動力となった。

まだガリガリの部類に入っていたフリムンは、肉体労働の他にも、自宅で蹴りの練習や補強に打ち込むようになっていった。

ただ、それでも所詮は自主トレの範疇。あの屈強な男たちの足元にさえ到底及ぶものではなかった。

フリムンは、悔しさの余り歯軋りを繰り返した。

(この足さえ…)と。

70代になってもご覧の肉体をキープする二人。尊敬に値する。

神様との出会い

フリムンには、強者への憧れ以外にもう一つ夢があった。

同じ強者でもベシャリ(トーク)の強者。そう、笑いの達人である

口八丁手八丁で人を笑わせ、幸せな気分にさせる芸人たちを心から尊敬していたフリムン。

高校時代にコントグループ「P-サイズ」を立ち上げた事でも分かるように、笑いの達人も武の達人同様、強者の部類に入るとフリムンは思っていた。

マイク1本を武器に賞賛を浴びる漫才師。

卓越した演技力で笑いを興すコント師。

そんな芸人たちを上手く回しながら、更に笑いを倍増させるMC。

いずれもプロフェッショナルの極みである。

当時、そんなお笑い界を牛耳っていたBIG3(タモリ·たけし·さんま)の後に続いたのが、若手のホープ「とんねるず」と「ウッチャン·ナンチャン」であった。

この二組の織り成す笑いの波状攻撃に、毎日のようにテレビの前で釘付けとなっていたフリムン。

そんなある日の事である。

とある深夜番組を何気に見ていると、画面の中で縦横無尽に暴れまわるとんでもない二人が突然現れた。

大阪では既に天下を取っていたダウンタウンである。

そしてこの伝説の番組こそ、今でも語り継がれるコント番組、「夢で逢えたら」であった。

この神様との出会いが男の人生を一変させた。

出演者は、人気絶頂期の「ウッチャン·ナンチャン」の他に、新進気鋭の「野沢直子」と「清水ミチコ」という豪華メンバー。

それでも、他を完全に圧倒していたのがダウンタウンであった。

中でも、松本人志の笑いのレベルは群を抜いていた。

この男の出現で芸人の地位は大向上。お笑い芸人はIQが高いという印象を人々に植え付けた。

それからというもの、フリムンの「強者の定義」は格闘家や武道家だけに留まらず、お笑い芸人や他の分野のエリート達にも及んでいった。

更にその中でも、彼にとっての松本人志は、「神」として崇め続けられる存在となった。

笑いの神様に憧れ、松本人志を真似ていた当時の著者。

こうして肉体だけに留まらず、お笑いIQを鍛えることも信条としていったフリムン。

これまで読書以外に殆ど勉強してこなかった彼だが、更に読書の量やレパートリーを増やし、小さい脳味噌の筋トレにも力を入れていった。

東京にも慣れ、まだまだ想像の中だけの夢を追っていた20代前半の事である。

グッバイ東京

それから時は過ぎ、諸事情により島に帰る事となった二人。

フリムンが25歳、彼女が24歳、東京生活も6年目を終えようとしていた春の事である。

しかし、フリムンは喜びよりも故郷への帰省を「この世の終わり」のように感じていた。

30年以上前の石垣島は、まだ今のように洗練されておらず、コンビニはないし、オシャレな店や楽しい遊び場もそれほどない時代だった。

「きっと…俺はこのまま島で朽ち果てていくんだ…」

最初はネガティブなことしか考えられなかったが、祖父母もかなりの歳になっていたため、最後は覚悟を決めた。

そして、予定通りその日はやってきた。

荷物をまとめ、住み慣れたアパートを出る瞬間、もう二度とこの「花の都」には戻ってこれないのかと思うと急に切なくなってきて、東京での6年間の出来事が走馬灯のように蘇ってきた。

それから電車を乗り継ぎ、羽田空港へ到着した二人。

慣れ親しんだ東京の夜景を無言で見つめながら、生まれ育った故郷へと飛び立って行った。

朽ち果てるどころか、これまでに経験したことのない激動の空手フリムン人生が待ち受けているとも知らずに。   

左:愛車プレリュードと仲良く帰省。
右:完成したばかりの新都庁で最後の記念撮影。

上京編、完。

次号予告

この世の終わり?
激動のはじまり!
「帰省編」に突入!乞うご期待!

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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