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【自伝小説】第1話 幼少時代(1) |最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島  

空手フリムンとは?

フリムンという言葉は沖縄の方言で、バカ・愚か者という意味で使われる。この物語は、日本最南端の石垣島に生まれ、後に全日本空手道選手権大会を制する田福雄市氏の空手人生、そしてフリムンな半生(または反省)を描いたノンフィクション作品である。
(記:月刊まーる編集部)


序章

 巨木がひしめく森で視界を遮られ、天を仰いだその視線の先から僅かに覗く星空に思いを馳せる。そんな表現が適切かどうかは知らないが、その男はある建物内で同じような状況下に置かれていた。ただ、3年前に落胆の中で凝視していた病院の天井とは違い、ここのそれは眩い光に包まれ、男の胸を熱く震わせていた。

「横浜武道館」・・・男の立っていた場所の名称である。

「我ながら、よくぞここまで辿り着いたものだ」。信じられない気持ちと感慨深い気持ちとがぶつかり合い、まだ始まってもいないのに一筋の光が男の頬を滑り落ちた。男を取り囲んでいた巨木の正体は、この日の為に海外から集まってきた屈強な空手家たち。生まれて初めて体験するワールドチャンピオンシップのオープニングセレモニーで、男はこれまでの数奇な人生を回顧していた。

※2023年4月8日(土)第5回極真連合杯世界大会開会式(横浜武道館)

DNA

祖父の上腕二頭筋は、ヒトの肉体が作り上げた芸術品とは異なり、少年の目には地球外生命体のそれに近い「肉の塊」に見えた。本来ヒトの二頭筋は、古今東西問わず丸い塊が1個。それが常識である。

例え鍛え抜かれた人間であれ、左右に分断された2個の塊が限界だが、祖父のそれは「鏡餅」のような形状に変形し、尋常ではない過去があったことを物語っていた。

祖母の話しによると、ランバージャック(木こり)をしていた祖父の仕事量が半端なく、肉体を酷使し過ぎたせいで二頭筋が断裂し、不自然に突起したのだという。

完全なるオーバーワークである。

働き者にも程がある…そう少年は思ったが、そんな祖父の話しを少年は誇らしげに聞いていた。その血が自分の中にも流れている事を想像するだけで、全身の鳥肌が逆立つような感覚に襲われたという。

少年の負けず嫌いな性格と、肉体から溢れ出る有り余るエネルギーは、きっと祖父からの遺伝であろう事は想像に難くない。

ちなみに少年には両親が居らず、そのせいで祖父母から溺愛され過ぎてしまい、自然とひ弱な性格に育っていた。これは、そんなひ弱な少年が、「空手フリムン」と呼ばれるようになるまでの嘘のような本当の物語である。

※若かりし頃の祖父(もうハゲとるやないかい)     


HERO

祖父に厳しく育てられた少年の父もまた、祖父同様 根っからの働き者だった。最強のランバージャックだった祖父の右腕として、高校にも行かず、貧乏だった家族のために働き尽くめだった父。当時は家族10人(子ども8人)が食っていくだけでも大変な時代であった。

お陰で父は弟や妹たちのヒーローとなった。とにかく体が強く、運動神経も抜群だった父。当時の陸上競技大会(走り高跳び)では、いきなり八重山記録を叩き出し、その記録は十年近くも破られる事はなかったという。

家族思いで優しく、ルックスやスタイルも抜群で、もし市内の高校に通っていたら間違いなく人気者になっていただろう。そう家族全員が口を揃えて語っていた。

そんな父にも唯一の楽しみがあった。映画である。当時あの石原裕次郎と人気を二分していた赤木圭一郎の大ファンで、「映画の話しをしている時の生き生きした目が忘れられない」と、よく祖母から聞かされていた。

当時は極貧だったため、長男である父だけが映画を観に行く事を許されていたが、それに異論を挟む者は皆無であった。何故なら、父が映画の話しを語り出すと、実際に映画を観るより遥かに面白かったからだという。

当時の事を、弟のM叔父さんは懐かしそうにこう語った。

「もう兄貴の帰りが待ち遠しくて仕方がなかったよ。兄貴が息を切らして帰ってくると、家族全員が兄貴の前に陣取り、その一挙手一投足にもう釘付けさ。まるでそこにスクリーンがあるかのように、手を叩き、腹を抱えて笑い転げ、そして大粒の涙を流したよ。ホント、兄貴は何をさせても抜群だったなぁ。」

そんな家族の大黒柱であった父を、祖父も誇らしげであったという。ただ、躾に関しては容赦なかった祖父。成人を迎えても、父は祖父の前では一切口答えする事はなかったという。

叱られている時は常に直立不動か正座。目も合わせず、ジッと我慢を貫いていたという。ただ、それは恐怖によるそれではなく、祖父のことを心から尊敬し、正しいと感じていたからであった。これも後に、叔父のMから聞かされた話しである。

※生前の父。笑うと白い歯が特徴的だったという。

続きはこちら!第1話 幼少時代(2)

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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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