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家族が癌になりました

こんばんは。吉田です。
先週、仕事を辞める記事を書いたすぐ後に伯母が緊急搬送されました。
父親の姉なので私は姪という関係になりますが私にとってはそれ以上の関係だった。伯母はずっと実家に住んでいたので、私が生まれて独り立ちするまで一緒に暮らしていました。親が無関心だった子供時代、伯母だけがいつもいろんな場所へ連れて行ってくれました。

重松清さんの小説「エイジ」を貸してくれて私に本を読む面白さを教えてくれたのも伯母でした。映画「ターミナル」を見に連れて行ってくれて映画を見る楽しさを教えてくれたのも。初めて大阪旅行に連れてってくれたのも、初めてスーツを作ってくれたのも、伯母でした。
実家にいたときはどこに行くにも一緒で、何をするのも一緒だった。
伯母であり姉であり親友だった。
私が精神を病んでからもそばにいてくれた。一緒に泣いてくれた。一緒に会社を休んでくれた。ほんとうに、誰よりも私のことを心配してくれていたんだ。
手術の時は何時間も待ってくれた。会社でつらいときは何時間でも話を聞いてくれた。おこるととっても怖いけれど、いつも優しい伯母だった。

そんな伯母が先週仕事中にふらついて倒れたと連絡があった。
念のために検査をするから入院する、と父から電話がきた。お見舞いに行きたかったけどこのご時世のために面会禁止。検査が終わったら連絡するから、というので私は待つことにした。何事もないといい。その時はそう願うしかなかった。

その後、5日間待った。私は待ちきれず「退院はいつ?結果はどう?仕事休めるので迎えにいきます」と連絡した。父からすぐに返信があった。
「面会がOKになったから行ってきてくれるか?」

その日、仕事を定時で終わらせてすぐに病院に行った。
20時で面会時間が終わってしまうので私はあらとあらゆる階段を走った。走って走って10分前に着いた。父から送られてきたのは西棟の9階だよ、とだけ。守衛さんに面会カードをもらってエレベーターに飛び乗った。

9階の表示の下には緩和ケア病棟と書いてあった。

嘘だと思った。なんでこの場所に伯母がいるんだろうって思った。なんで、ここに入院なんだろうと思った。嘘だ。きっとお父さんが病棟間違えたんだって。

でも会ってすべての不安がすとんとはまってしまった。

虚ろな目、呂律の回らないしゃべり方。腕には大きな内出血の跡。窪んで黒ずむ目の下。痛そうな腕を見た瞬間涙が出て止まらなかった。面会時間を言い訳にして外に出て父親にすぐ電話をかけた。

伯母は癌だった。

……なんだかこれだと他人みたいなのでいつもの呼び方で言っていいかな。

のんちゃんは癌だった。

泣きながら問い詰めたらすべて話してくれた。乳がんから肝臓に転移していてもう治療の施しようがないくらい末期だった。余命は一か月。血栓がいつ詰まってもおかしくない状態だと。薬も手術も間に合わない。治すことよりももう、できるだけ最期まで痛い思いをしないように全力を尽くすことしかできない。
先週まで普通に会社に行っていたのに。先月なんて一緒にお酒飲んだのに。嘘であってほしかったのに嘘じゃなかった。

全部起きたことは本当のことでまぎれもない現実だった。

「なんで、なんでだよ!」
「落ち着いて。お前がしっかりしなきゃしょうがないだろ」
「だってこんなの嘘じゃん!」
「お父さんだってつらいんだ。みんなつらいんだ。でも一番つらいのはのんちゃんなんだ。お前が泣いてたらのんちゃんが不安になるだろ」
「……のんちゃんしんじゃうの?」
「そうだな、夏は、無理かもな」
「……」
「泣いてもいい。でものんちゃんの前では泣かないでくれ。のんちゃんはお前のことが一番心配なんだよ」
「うん、うん」
「のんちゃん、家に帰りたいんだって。来週帰るからさ」
「うん」
「一緒にがんばろう」

次の日にもう一度お見舞いに行った。約束通り今度はちゃんと笑顔で、過ごせたと思う。


「来週には退院なんだって?のんちゃんよかったね」
「病院より、家がいいね」
「そうだね。一緒に帰ろうね」
「外の桜はきれい?」
「うん。川沿いはもう満開だったよ」
「そっか。そっか。」
「なにかしたいことある?」
「お兄ちゃんの結婚式には、出たいな」
「……あと一か月半じゃん。すぐだよ。いいホテル予約したんだから、行こう」
「ルームサービス頼んじゃおうね」
「うんうん。お父さんのお金でこっそり豪遊しちゃお」

笑えたと思う。ちゃんと笑って、病院を出たあとに思いっきり泣いた。
満開の桜の下で笑って騒いでた花見客が怪訝そうに見てたけどそんなんどうでもよかった。泣いて、泣いて、泣きまくって。泣きつかれても涙は出て、そんな中私は決意したんだ。

最期までずーっと一緒にいるって。

すぐに職場に連絡を取って話し合いの場を設けてもらった。
結果、退職は保留で今後は在宅勤務に切り替えてもらえることになった。

そうして今、私は自宅で仕事をしながら介護をしている。

慣れない介護は本当に疲れる。歯を磨くのも布団を直すのも一苦労で、浮腫んでパンパンになった足をマッサージしている間に寝落ちしたこともあった。兄二人が交代で休んでくれて、夜は基本、父が看てくれている。家族総出での介護だ。昼間は介護と仕事に追われてやることがたくさんあるから元気でいられた。
看なくてもいいと言われても夜は不安で眠れない。考えると涙が出て止まらなくなる。暗闇とともに圧し潰されそうな後悔がやってくる。

今日は父がゆっくり休んで、と言ってくれたのでこれを書く余裕ができた。

のんちゃんは痛み止めの効果で時々夢の世界に入ってしまう。
突拍子もないことを言っては笑ったり、怒ったり。こういったらなんだけど、一番自由にいま過ごせている気がする

昨日の夜。
この先どんどん意識は薄れていく。伝えたいことは早めに伝えてほしいと父に言われた。
よし、と思って寝る前にのんちゃんに「大好きだよ」と伝えた。

「なーに言ってんの。のんちゃんだって、のんちゃんのほうがね」

そう言って抱きしめてくれた。温かい腕だった。私はこの腕の中より優しい場所を知らない。うれしかった。ほんとうに。どう我慢しても涙がでてきて止まらなかったので花粉症のせいにしてティッシュで顔をかくした。のんちゃんになら多分、ばれていたかもしれないな。これを書いている今も実は涙が止まらない。

いつかはきっと話すこともできなくなるだろう。

近い将来、きっとのんちゃんはいなくなる。

昔見た「帰ってきたドラえもん」でのび太が言っていた、「ドラえもんが安心して未来に帰れないんだ」とジャイアンに立ち向かう気持ちが今ならすごくわかる。

のんちゃんが安心して過ごせるように、泣き虫な私はぜーったいに泣かないんだ。のび太のように、私だってのんちゃんがいない未来に立ち向かうんだ。だってのんちゃんのことが大好きだから。
だって、のんちゃんのことがずっと大好きだから。

あの時こうしたらよかった。という後悔は波のように私を襲ってくる。でもきっとそれは私だけじゃなくて、家族全員そうなんだと思う。戦うしかない。のんちゃんだって、癌と戦って生きてくれている。

こうしたらよかった、ごめん。

そうじゃなくて。

こうしてくれたよね、ありがとう。

を伝えていきたい。後悔は残される自分らの罪悪感を消したいが為に襲ってくるだけだ。受け止めて、これからどう過ごすかを大切にしたい。

どうか、一日でも永く一緒にいれますように。


※トップ写真はのんちゃんが元気な頃に実家でモデルしてもらった写真です

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