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初めての彼と父ちゃん

「そんな話お父さんにしたら可哀想だよ。」
と、娘を持つ男性に言われたことがある。

「そんな話」というのは所謂‘‘恋バナ’’だ。
私はよく父に恋愛話をする。
自分より人生経験が豊富で、尚且つ私のことを良く知る異性、こんなに都合の良い相手が他にいるだろうか。

私が初めて異性と交際の約束を交わしたのは高校2年生、16歳の頃だ。
彼とは1年生の頃同じクラスだった。バスケ部の彼にマネージャーにならないかと勧誘を受けたのがファーストコンタクトだった。他人をサポートしようとすると蕁麻疹が出てしまう(比喩)性格故、丁重にお断りしたがそれがきっかけでよく話すようになった。

私は人前で戯けられる人が好きだ。且つ行事に真剣に取り組む人が好き。彼は正にそんな人だった。そして彼はクラスどころか全校生徒の面前であってもいつも堂々としていた。人前に出たいが人の視線が怖く、あがってしまう私は彼を異性としても人間としても尊敬していた。

高校2年生になり、彼と別のクラスになった時、彼の居ない教室はなんだかもの淋しかった。用事がなければ話すこともないと思うと切なかった。

私は自分に好意を持っている異性に惹かれる傾向にある。何故なら自分のことが大好きだからだ。彼はなんとなく私に好意があるような気がしていた。
その直感は当たっていて、クラスが離れて2ヶ月が経った頃、彼から交際を申し出てくれたので付き合うことになった。

その1週間後、私は家に彼を招いた。彼に、両親と会って欲しかったし、両親に彼を会わせたかったからだ。
10年が経った今顧みると、当時17歳の彼に与えたプレッシャーは大きかったのではないかと思う。
当時は彼氏を親に会わせるということがそれ程重大なことだとは思っておらず、大好きな人と大好きな人たちを搗ち合わせたら楽しそう!という軽い考えだった。当時は、とは言ったものの現在もそこまで重大なこととは捉えていない。

彼は私の両親も、友達も、誰もが認める誠実な男だった。「漢」がしっくりくるような。初めて両親と会う日、彼は挨拶の練習をしてくる程真面目な人だった。両親が彼を大好きになるまでそれ程時間は要さなかった。

毎週金曜日は彼が部活終わりに私の家に来て家族に混ざって夕食をとるのが定例になっていた。父はたくさん食べる彼を見るのが好きで、彼と食卓を囲むと嬉しそうだった。
彼が来る日は夕飯が焼肉であったりお好み焼きであったり鉄板で大量に生産できる料理になった。

こういった話を友達にすると、
「私はお父さんに彼氏がいることすら話してない。」
「お父さんと彼氏会わせるなんて絶対無理!」
と言われる。
中には姉が父によって交際相手と別れさせられているのを見たから私は絶対に会わせない。という子もいた。

「父ちゃんはなんで彼氏連れてくるって言った日、OKしてくれたの?」
父に問うてみたことがあった。すると父は
「俺が育てたるいが選んだ相手に間違いはないと思ったからだよ。」
と答えた。
なんだか誇らしい気持ちになった。そうやって父が信じてくれているからこそ下手な真似はできないなとも思った。(後にたくさん間違えている為気まずいが)

父は私の高校時代、毎朝弁当を作ってくれていたのだが、たまに彼の分も作ってくれた。
この話を書くために高校時代使っていたスマホを引っ張り出して彼とのやりとりを見返していた時、
「ロッカーに父ちゃんのおいなりさん入れといたよ。」
というメッセージがあり、一瞬なんの話かと目を疑ったが、あぁそんなこともあったなと思い出した。

彼との一年記念日には父が3と6と5の形をした蝋燭を立てた手作りケーキを用意してくれた。

月日は流れ、高校3年の2月。
自由登校の時期がやってきた。彼は教師になるために教育学部を受験し無事に合格した。私も就職が決まった。
二人で卒業旅行をしようという話になった。初めての旅行だった。
しかし、それが最初で最後の旅行になった。
旅館での夜、彼と大喧嘩になってしまったのだ。

夕飯を終え、部屋に戻ると、女将さんが布団を敷いてくれていた。
初めての旅行。ピタッとくっついて並ぶ布団。
私は何事もなく朝を迎えたいと願った。
このままでは大人の雰囲気になってしまう、なんとか回避せねばとテレビをつけるとさんま御殿がやっていた。火曜だったのだろう。

さんまさんの引き笑いが畳に響く。
私の心が凪いでいく。これで大丈夫だ。

そう思いながら片方の布団に入ると、彼もふざけながら同じ布団に入ってきた。
「なんでこっち入ってくるの!?!?」
と追いやってしまった。この時点で微妙な空気になっていた。

さんまさんの引き笑いだけでは心許ないと思い、矢庭にリュックから乾くるみのリセットを取り出して読み始めた。読んだと言っても文字を目で舐めているだけだった。

すると彼が
「真剣な話したいからテレビ消していい?」
と言ってさんま御殿が消された。
部屋に静寂が訪れた。

「るいはもう俺のこと好きじゃないの?」

勿論、好きじゃないということはない。めちゃくちゃ好きだった。
だが、性的な触れ合いをしたいと思えなかったのだ。
若さ故だったのか、今でもよくわからない。異性として触れ合いたくないということは好きじゃないということなのだろうか。今でもわからないのだから当時の私にもわかるわけはなく、

「そうなのかなぁ。」
と口に出してしまった。

その瞬間彼は浴衣を脱ぎ捨てて
「帰る。」
と言って立ち上がった。

「好きでもない奴となんで旅行なんか来たんだよ!」
おかしいよね〜。普通来ないもんね〜。でも好きじゃない訳じゃないんだよ〜。

この後どうにか仲直りをして就寝したが、次の日撮った写真は全部ホルマリン漬けフェイスで写っている。(号泣した為)

旅行から帰宅し、家族と夕食をとる際に喧嘩してしまったことと、経緯を全て話した。同じ布団に入ることを拒否した話を。

「え!?そうなの!?俺はあいつだから任せたぞって気持ちで送り出したのに。」と父。
「なんでわざわざ旅行で小説読むんだよ。熟年夫婦ならまだしも。初めての旅行でしょ?意味わかんないだろ。彼氏が可哀想すぎる。」と兄。
二人とも笑っていたが、内心彼を憐んでいたと思う。

そんなことより、と
「私は学生の頃彼氏と旅行なんて許してもらえなかったのにるいはいいな。」
と言う姉に、父は
「だってお姉ちゃんの彼氏とは一度も会ったことないんだもん。どんな奴かもわからないのに外泊OKなんて言えないでしょ。」
と返した。
父にもそういう感覚はあるのか。と驚いた。
確かに姉は歴代の彼氏を誰一人として家族に紹介したことはない。
私がなんでも大っぴらに言い過ぎなのは置いておいても姉はとっても秘密主義だ。足して割れたら良いのに。

そして、この旅行の件から2週間ほどが経った、卒業式の前日。
彼から連絡が来て、会うことになった。
私と彼が付き合ったのは29日だった。
当時私の周りは記念日の概念が年ではなく月毎だった。
私たちは付き合ったその日に、
「毎月29が付く日にお祝いしてたら大変だから、1年記念と、4年に1回だけ祝える2月29日は会ってお祝いしたいね。」
と話していた。
2016年の2月は閏年だった。

私たちはその日、別れた。
滑稽である。

次の日の卒業式、母が見に来てくれた。
彼は学年代表で答辞を読んだ。
私の入場シーンでは何も感じなかった母は彼の姿を見て涙が溢れたという。

「最後にご両親にご挨拶させて。」
と彼が家に訪れ、
「お世話になりました。」
と深々頭を下げた。
玄関から家を出ようとする彼を母は見送りにきた。
彼は母の顔を改めて見て涙した。母も涙した。言わずもがな私は馬鹿みたいにずっと泣いていた。
父は玄関に居る彼に「またね。」と声だけで告げ、居間から出てはこなかった。

「もう家に彼氏を連れてこないで。るいは別れて、さあ次!かもしれないけど、母ちゃんはそんな簡単に切り替えられないんだよ。」
と、言った母は本当にこの先2年後くらいまで、酔っ払った時に家族の誰かが彼の名前を出すと、しくしくと涙するくらいに引きずっていた。

そしてこれは私もだいぶ時が経ってから聞いたのだが、父のFacebookの「知り合いかも」に彼が出てきたのがきっかけで連絡を取り合い、彼の二十歳の誕生日を祝いに会いに行っていたらしい。
父は彼のことを娘の彼氏としてではなく、一人の人間として大好きだったのだろう。

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