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8月に読んだ本たち~晴れ過ぎる日々の中で~

とにかく暑いし、とにかく雨が降らない。
梅雨の時のあの豪雨はどこ行った???ってくらい、この夏は雨が降らない。

これ大変な異常事態。なんたってここは雪国。つまり雪の季節以外は雨が常駐している地域なのに。
この1ヶ月ほぼまとまった雨がない。そして熱い。もう暑いではなく「熱い」

田舎=涼しいの特権どこ行った?

そんな8月に暑い、熱い、部屋でなんとか読んできた本たちの紹介(ちなみに冷房なし・・・・です・・から)


女が死んでいる(貫井徳郎)

二日酔いで目覚めた朝、寝室の床に見覚えのない女の死体があった。玄関には鍵がかかっている。まさか、俺が!?手帳に書かれた住所と名前を頼りに、女の正体と犯人の手掛かりを探すが―。(「女が死んでいる」)恋人に振られた日、声をかけられた男と愛人契約を結んだ麻紗美。偽名で接する彼の正体を暴いたが、逆に「義理の息子に殺される」と相談され―。(「憎悪」)表題作他7篇を収録した、どんでん返しの鮮やかな短篇集。

しょっぱなにザワザワするタイトルだけど、私の何かに引っかかってしまったのだから仕方がない。「爽やか」「希望」「感動巨編」などに常日頃憧れているはずだか、結局私の好きなものは正反対に位置している。

しかしミステリーな「どんでん返し」の短編集だけど、最後の「レッツゴー」は題名からしてこの短編集に入っているた作品と雰囲気が異なるし、終わり方もある意味「爽やか」だったのではないだろうか。意外な気もしたけど、思わぬ爽やかにも救われた。いや、見る人によっては爽やかか?なのかもだけど。

エゴイスト(高山 真)

「母が死んで、『死にたい』と思っていた僕の何かは死んだ」。14歳で母を亡くした浩輔は、同性愛者である本当の自分の姿を押し殺しながら過ごした思春期を経て、しがらみのない東京で開放感に満ちた日々を送っていた。30代半ばにさしかかったある日、癌に冒された母と寄り添って暮らすパーソナルトレーナー、龍太と出会う。彼らとの満たされた日々に、失われた実母への想いを重ねる浩輔。しかし、そこには残酷な運命が待っていた・・・。

龍太と母を救いたいという浩輔の思いは、彼らを傷つけ、追いつめていたのか? 僕たちは、出会わなければよかったのか? 愛とは、自らを救うためのエゴだったのか? 浩輔の心を後悔の津波が襲う。人は誰のために愛するのか。賛否両論渦巻く、愛のカタチ。

映画化された作品。映画はまだ見れていないけど気になりすぎたところたまたまブックオフで発見したので即買い。

あらすじでなんとなくの不穏、結末はハッピーエンドじゃないんだよな(映画の予告にしてもだけど)と想像できるが、そうきたか。
やっぱり、映画も観たいなあ。

家日和(奥田英朗)

会社が突然倒産し、いきなり主夫になってしまったサラリーマン。内職先の若い担当を意識し始めた途端、変な夢を見るようになった主婦。急にロハスに凝り始めた妻と隣人たちに困惑する作家などなど。日々の暮らしの中、ちょっとした瞬間に、少しだけ心を揺るがす「明るい隙間」を感じた人たちは……。今そこに、あなたのそばにある、現代の家族の肖像をやさしくあったかい筆致で描く傑作短編集。

「我が家の問題」「我が家のヒミツ」に続くシリーズ。続くというか実際、続いているのは小説家の主人公とその家族(おもに妻関連)をめぐるお話のみ。そして私の読む順番がめちゃくちゃだから「家日和」は順番でいえば2番目だけど。まあほとんど関係なくそれぞれ短編なのでサッと読める。

1話目の「サニーデイ」はネットオークションにハマっていく主婦の話。今はメルカリしかしていないが、一時期は私もヤフオクを出品、購入ともに多用していたので「それ、わかる~!」があるかなあ、と思いきや、小物、小銭のやり取りがほぼだった庶民中の庶民:私。と違って、何気に高価な物の出品をしている主人公とそのお金の使い道、ひとりで特上寿司を食べる、フレンチのランチ、エステに使う等は、なんだか違うなあと共感できず。

かといって、私はオークションの売り上げを何に使ったのだろうか?と考えるも、それも思い出せず。それもどうかと思うが。

言い寄る(田辺聖子)

これが日本の恋愛小説の底力。田辺聖子「最高傑作」3部作
30年の時を経て復刊第1弾!
愛してないのに気があう剛。初めての悦楽を教える大人の男、水野。恋、仕事。欲しいものは手にいれた、31歳の乃里子。でも、唯一心から愛した五郎にだけは、どうしても、言い寄れない。
女たちに読み継がれ男たちを震撼(?)させた快作、復刊!

「苺をつぶしながら」が思いのほか面白かったので、その話が実はシリーズの3冊目と知り、残りの2冊も早速ゲットしてしまった。装丁がこのシリーズのものが良かったので、あるかなぁと半ば諦め気味だったが、意外と探せば単行本でこの装丁もすぐに見つけられた。ネットバンザイ。

これはシリーズの1番目。見る順番がまるっきり前後してしまったが、結末?を先に知って読むのもなかなか良かった。

ハンカチの模様的にはこの本の柄が一番好きかな(なんの感想?そして感想は??)

私的生活(田辺聖子)

辛く切ない大失恋のあと、剛から海の見えるマンションを見せられて、つい「結婚、する!」と叫んでしまった乃里子、33歳。結婚生活はゴージャスそのもの。しかし、金持ちだが傲慢な剛の家族とも距離を置き、贅沢にも飽き、どこかヒトゴトのように感じていた。「私」の生活はどこにある?

引き続きの。

この柄も好きである。要するにこのシリーズの装丁は全部好き(何度言う)

装丁によってはたぶん読まなかったんだろうなあと思うと、私の本の趣向って装丁によってだいぶ左右されているなあと、つくづく感じる。随分もったいない事もしてると思うけど。

シリーズは中間の2巻目。読む順番を間違えたが、あとから「言い寄る」「私的生活」を読む事によって、「苺~」を読んだ時に単純に感じた「なんで別れたのにあの感じ悪い元旦那と、、、、」がスッと無くなっていく。

全部読めてよかった。

わたしたちは銀のフォークと薬を手にして(島本理生)

「どこへ行きましょうか」 「どこへ行くか」

30歳の私は、あの日、夕方の春の海辺で、どこへ行けるか分からない恋を始めた。限られた時間の中にいる男女の行く末を描いた、渾身の恋愛小説。

年上のエンジニア・椎名さんと仕事先で出会った知世。美味しいものを一緒に食べる関係から、少しずつ距離が近くなっていったある日、椎名さんは衝撃の告白をするが……。

古本屋で2冊並んでいた島本理生作品の単行本。題名や装丁にも惹かれたが、目次がなんだかよかった。

蟹と、苺と金色の月
雨の映画館、焼き鳥、手をつなぐ
日曜日のお好み焼き、紅葉、夫婦だった

など。
その章ごとの話の内容を想像させる題材。

この人の書く文章や構成はやっぱり好きだなあ。

2020年の恋人たち(島本理生)

ワインバーを営んでいた母が、突然の事故死。落ち着く間もなく、店を引き継ぐかどうか、前原葵は選択を迫られる。同棲しているのに会話がない恋人の港、母の店の常連客だった幸村、店を手伝ってもらうことになった松尾、試飲会で知り合った瀬名、そして……。楽しいときもあった。助けられたことも。だけどもう、いらない。めまぐるしく動く日常と関係性のなかで、葵が選んだものと選ばなかったもの――。直木賞受賞後長篇第一作。

古本屋に並んでいたもう一冊。ひょっとして同じ人が出したのかなあ???と思いを馳せてみる。

こっちの本にはちょっとした「おまけ」が付いていた。

購入時のレシートである。
私は古本特有のちょっとした思わぬ「おまけ」が好きである。
レシートの情報だと、私の知っている書店(田舎なので限られているけど)で購入したのは2年前のまだまだ寒さが残る春先、時間は20時過ぎだった。

こんなの読み取って何が楽しい?と思われそうだが、その情報だけでもちょっと妄想?出来る時間が楽しい。

仕事終わりにこの本を買って、併設されているカフェでカフェラテ片手に数ページ読んだのだろうか?

それとも、ひとり暮らしのアパートに帰って、ペヤングソース焼きそばでもすすりながら黙々と読んだのだろうか

などなど。

なぜそこでペヤングなのかは、全く不明だが・・・
あー焼きそば食べたいなあ久しぶりに。かんすいダメだから食べれないけど(泣)

感想は?

永遠のおでかけ(益田ミリ)

いつまでもそばにいてくれると思っていた人がいなくなってしまったら...?

悲しい経験をした人も、そしていつか辛い別れをするかもしれない人も、どんな人の心も震わすであろう益田ミリさんの新境地となるエッセイです。読み進めるうちに何気ない日常のふとした瞬間がこの上ない宝物に思えてきて、人は誰でも自分だけの人生を生きていることをあらためて実感させられます。

すーちゃんシリーズで知ってから、大好きな作家のひとり。
そのすーちゃんシリーズで、すーちゃんのお父さんが亡くなるくだりがある。

すーちゃんはそれを母からの電話で知らされる。

急に倒れたから、、、という電話の後、空港で実家に向かうところで再び「亡くなった」事を知らされる。父親が亡くなったと知った後で食べる空港でのおにぎりの場面。

なんだかリアルに感じた。

実際にご自身の経験をもとに描かれたかは分からないけれど、「永遠のお出かけ」では、ガンを患っていた父親の訃報も母からの「もう2、3日かもしれない」からの立て続けの「亡くなった」知らせを受ける。

実家に向かう途中で悲しくても腹は減るとサンドイッチと稲荷ずしを大量に買う。

「悲しみ」に空腹を強制してはならない。

と言う言葉が印象的だ。

そして

自分の到着を待たずに、亡くなってしまった事に対し、生きて待っていて欲しかったと思う反面、それは違うと思いなおし、これは父の死なのだから父の人生だったのだから、誰かを待つ待たないなどではなく、父個人としてとても尊い時間だったのだ。待ってほしいと願う事はおこがましい事なのだと綴っている。

悲しくてもいろんなことを並行して考えている自分がいる。とも。

原稿を早めに送ってよかったなと思ったり、そういえば話がきていた、おもしろそうな旅の仕事受けてみようと思ったり、今来た車内販売のコーヒー、飲みたいと思ったり。

生きているから、ひたすら悲しい、ばかりは浸っていられない。だけどすぐに前向きになれる訳でもない。

父が好きだった場所、事、モノ、の突き当たる度、悲しさや後悔が襲ってくる。

その中でも日々は通り過ぎていく。

いつかわたしもきっと親しい人の別れを迎える。そんな時にそんな風に思える日が来るのか分からないが、その時はきっとこの本を思い出したい。



まだまだ元気でいてよね。

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