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「パターソン」のような日常はありそうでない。アートでポエムで白黒な私のお気に入り映画。

以前にちょこっと書いたハンニバル記事の題名でもある
【「は」で始まる映画をひたすら繰り返しみたい時期がある】
の時に書こうと思って、書きそびれた映画の一つが
「パターソン」である。

ちなみにそのハンニバル記事(なんだか、、、)は実はnoteデビューとして書いていたのだが、デビューでいきなりハンニバルて、、、と躊躇して、無難な猫の記事を最初に出して(大変失礼である。猫に)ハンニバルは2番目に出したものだった(それでも2番目)
そうはいっても、それほどハンニバルに関して語っていないので、また別の機会に(まだ語るんか・・・・)

ちなみに「ハリーポッター」も、もちろん「は」で始まるひたすら繰り返し見たい映画である。シリーズ全部をひたすら繰り返し見ていたら、とんでもなく時間泥棒であるが。盗まれても構わないくらいである(暇人)

私とて、「は」に特別何かのくくりがあってひたすら見たいわけではなく、何故だか気が付いたら「は」で始まる映画をやたら繰り返し見ていた時期があった為、思いついた記事だった。
ちなみに最初は「は行」にしていた。
羊たちの沈黙、ファーゴ、フィフスエレメント、ファントムスレッド、フェイスオフ、ブラックスワン、プラダを着た悪魔、ブルージャスミン、、、、あれ「ふ」で始まる映画もなかなか多いぞ、、、

あ、そういえばバットマ・・・・(もういい、きりがない)

前振りが長くなったが

今回は「パターソン」である。
これは、もう本当に何度見たか分からないし、もちろん劇場でも見ている。

映画のはじまりかたも、よい。
途中の音楽や、詩や、ワンコや、barのくだり、、、、あれもこれも、あげだしたらキリがない。
そして、おわりかたも、もちろんよい。なにもかも心地よく観ていてまさに癒される。
そんな映画。

大きな山場はないし(ない事も無いが)派手なアクションもない(派手ではないがすこしは、、、、ある?あるうちにはいるか??)
そう、観ている人を不用意にハラハラさせないしドキドキさせないし
とにかく、しずかな時間の流れにプカプカと浮いているような、だけど決して退屈させない魅力を持っている作品。

評論家でも何でもない、ただのいち映画好き人間のただの感想をとにかくダラダラ述べるので、もっとちゃんとしたネタバレや感想、考察を知りたい!という方は、別サイト様の記事をご覧いただきたい(今更の注意書き)

パターソンはバスの運転手。
毎日月曜日から金曜日まで、決まった時間に起床し、決まった朝ごはん(シリアル、コーヒー)を食べ、決まった時間に決まったルートを運転する。

お昼休み?もいつものお気に入りの滝が見える場所で、いつもの昼食(白黒好きな妻が作った白黒カップケーキ:美味そうではない)を食べ、いつも顔を合わせる同僚からはいつも家族の愚痴を聞き、仕事が終わるといつものルートをいつもの時間に帰ってくる。
白黒妻の個性的な夕食(クスクスのなにか、芽キャベツとチーズのパイ等々)の後は、いつもの散歩コースを愛犬マーヴィンと夜の散歩をする。

散歩の途中に立ち寄るバーもいつものお店。店主に「時間通りだな」といわれ、いつものビールを飲みながら会話を交わす。ビールは常連らしく言わなくても、パターソンが入ってくると店主が同時に注いでくれている。

抑えた演技がまた、いい。

そして、また朝がくる。

同じように朝から始まり、1週間の繰り返す日常が描かれている。
同じと言っても、もちろん微妙に違う。微妙に違うがパターソン自体はほぼおなじ「パターン」を繰り返している。

周囲の人間、状況が、その日その時により、変わっているので、まるでパターソンもそれに合わせているかのようだが、彼自身は実はささやかに流れに逆らっているかのように感じる時もある。

しかし、対照的に自宅に居ながらも白黒妻は群を抜いて、日々変化が激しい。なんならこの1週間がたまたま濃いだけ?いつもこんな感じなの??くらい、パターンでは動いていない気がする。

朝はいつもパターソンの出勤時間にはだいたい起きて来ないが、たまにはフラリと起きてくる事も。
「もう起きたの?」とパターソンが聞くと「いいえ」と首を振って、また寝に戻る(起きないんか)
かと思えば、珍しくパターソンよりも先に起きて山ほどカップケーキを焼いている日もある。
カーテンを塗ったり(カーテンを塗る、、、??)カーテンを塗るくらいだからもちろん家具や壁は当たり前に塗っている。なんなら服も塗っている(服を、、、、塗る???)
ギターの才能があるんじゃないかと、ネット通販でギターを買い、カップケーキを作り倒したキッチンそっちのけでパターソンに披露する為、一生懸命動画を見ながらなぜか「線路は続くよ」を途中までマスターしている。
妻の日常・・・・なんだか、いいな。

ところで、よけいなお世話だがパターソンの食生活は健康的に大丈夫なのだろうか。
朝食はシリアル(やや少なめ、体格の割には。。。私だったらその3倍は食べる)
昼食は果物と白黒妻お手製らしき毒々しい色合いの(もちろん白黒)カップケーキ
夕食は、やたら味が濃そうな(すごい水を飲んでばかりいるから)謎のパイだったり、テイクアウトのピザだったり(これは何気に嬉しそうだった)副
菜が見当たらぬ。。。。
まあ、夜のビール1杯(多分)くらいは、許容範囲だとしても、、、、、。
フィクションとはいえ、この1週間の食事内容。気になるわ。

妻、ほんと、白黒好きな。

パターソンは静かに日々を繰り返す。

パターソンの大切なもの。
愛しい妻
愛犬マーヴィン

そして
自作の詩のノート

白黒妻にもたぶん滅多に見せないであろう「詩のノート」に一日に何ページもの頭に浮かぶ詩を綴っている。

朝食を食べている時にも、頭に浮かぶのは詩の事。
運転前のほんの一時でも、手元にはノートを携えている。何なら運転中も詩が浮かんじゃっている。お昼休みなどはもってこいの詩の瞑想タイム。

浮かんじゃって。

マッチ箱をみても、時計を見ても、滝を見ても、待ちゆく人々を見ても、
そしてもちろん独創的な妻を見ても

次から次へと、頭の中は詩で埋め尽くされる。

毎日書き溜めている詩を、白黒妻は是非、世に出すべきだとしきりに勧め(脅し)ている。彼女は芸術的な感性が強く、自分の才能にも自信満々だが、夫の才能をも、褒めに褒めちぎっている。しかし、なんだかんだとパターソンはかわしている。

いつも同じを愛するパターソン(たぶん)
できれば世に出ず、静かに、日々を繰り返したいパターソン(たぶん)

しかし、彼にも事件は微妙に起きる。微妙に。
マーヴィンの夜の散歩中に、ちょっとラップな?輩たちに
「その犬は高そうだ。誘拐されちゃうぞ」と軽く脅されかけたり
(何かの伏線?いいえただの通りすがりの犬好きの輩です)
バスがゆっくり故障しちゃったり(電気系統の故障:ゆっくり止まる:「スピード」的な大爆発なんてしない)
行きつけのバーで、痴情のもつれ(久しぶりに聞いたな)から銃を構えて「君を殺して僕も死ぬ!」と突っ走る、はた迷惑な若人を、とっさの動きで封じたり(結果所持物:モデルガン:おもちゃ)
その後、そのはた迷惑BOYとは、道端でたまたま会って
「あの時はごめんね」と謝ってもらえる(平和)

しかし、最大の事件は週末に起こる。

パターソン史上最大級の事件が起きてしまう。

大事に大事に、日々書き溜めていた詩のノート。
なんども白黒妻に「コピーしたら」「あわよくば世に出したら」と言われ続けていた詩のノート。
肌身離さず、持ち続けていたパターソン臭漂う(たぶん)そのノートを、愛犬(主に妻寄り)マーヴィンにずたずたに引き裂かれてしまうのだ。
それはもうズッタズタに(一番の山場:静かなる山場)

そうかーーーー、あのノートが伏線だったのかーーーー(違う)

その日は実は、白黒妻の多才なる才能の一つのお披露目の場「カップケーキ販売」の日で、市場でカップケーキはそれはもう大繁盛した。らしい。
らしいというのは、その場面は出て来ないから。
映画の特徴?として、パターソンが存在しない場所などは一切映らない。
もうパターソン中心。パターソンを絶賛監視中(我々が)

なので、自宅、通勤路、バス車内等職場回り、夜のお散歩コース、行きつけのバー、そして妻様とのお出かけした映画館などは出てくるが、他の誰それのみの場面は出て来ない。
急に「その頃マンハッタンでは・・・・」みたいな場面ももちろんなし。
観ていて疲れない、ゆったりした気分になるのは脳内移動(見てる側)が少ないからもあるのか?
なので、妻大活躍の市場にはパターソンは土曜日で休みだったらしいが
意外にも行っていないのか?その場面は全く出て来なかった。

ともあれ、
「めっちゃ売れたんですけどーーーー!!(言い方雰囲気ね)」と上機嫌で帰ってきた妻とパターソンが、たまには出かけようかと、ディナーと映画を楽しんできた(ここでようやくまともな食事が、、、、見てないけど)
その帰宅時に事件は起きた。

お留守番をしいられたマーヴィンは、うっかりソファーに置きっぱなしになっていたパターソンの詩のノートを、これでもかと引き裂いてしまったのだ。

お留守番をさせられたワンコあるあるである。

しかし、パターソン的には超悲劇的事件である。

おまへ!!なんだその顔!!可愛いぞ!!

日曜日。

さすがにへこんでいるパターソン(かわいそう)
せっかくの休日なのに、詩のノートを失ったパターソン。

いつも物静か、ニコニコと妻の話に耳を傾けるパターソンだが
さすがに「ちょっとひとりになりたい」と、気分転換にあてどなく近所を散歩し、たどり着くのはやはりいつも休憩していた滝の場所。
しかし、今日は詩のノートが無い(しょんぼり)

すると、突如謎の日本人観光客が現れ、初対面のパターソンに
「私はポエマーなのですよ」とカミングアウト(なんの)
詩が好きで、偉大な詩人の出身地であるパターソン市に訪れたのだそう。

そう「パターソン」は「パターソン市」のバスの運転手さん。名前一緒。

彼とちょっとした会話を交わし、別れ際になぜか一冊のノートを渡される。

白紙のノート。
ちょっとよい事を言い残して謎のポエマー観光客は去っていく。

新たなノートを手にしたパターソン。

すると、また浮かんでくるのである。詩が。

ちょっとした、いつもと違う一週間が終わり、また月曜の朝を迎えるところで映画は終わる。

ポエマー氏の手のけがの設定気になる。

これは、繰り返し見たくなる映画すぎる。
月曜で終わるところが、またよい。
静かに終わるところがまたよい。

なんでもない、いつもの繰り返しのような日常だけど、同じ繰り返しなんて実はなくて、大なり小なりささやかな出来事は起きていて、それでもまた時間は繰り返す。少しずつ変化しながら。

私たちの日常もきっとそうなんだろう。

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