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大人になってから、食物アレルギー発症:私だけのとっておきのスイーツを見つけるきっかけに。

前にも、食物アレルギーの事を書いたけれど、大人になってからの「今まで食べていたのに食べられなくなった」は結構キツイ。

まず、コンビニやスーパー、街中のスイーツショップには、私がもう食べる事の出来ない魅惑的なお菓子があふれている。まさしく目に毒である。

その中から、始めの頃は必死にパッケージ裏の材料名などをくまなくチェックして(明らかに使っていそうなものは例外だが)「これはいけそうだ」とか「ああ、ダメかあ・・・」とか、一喜一憂していた。アレルギーになってから発見したのだが、明らかに入ってなさそうな和菓子にも「乳」表記があるから驚いた。

次第に、食べれそうなものと、そうでない物の区別もついてきたが、新商品好きだった私は、やはり新しいものが出てくると気になってしまう。そしてうっかりチェックしては落胆する。

逆に昔ながらの、ロングセラー的な変わらぬお菓子は一度確認すれば、次からはもう表示を見なくとも、食べれる、食べれないは分かるので楽である(源氏パイ=大丈夫、ホームパイ=ダメなど)

その為か、やや古風なお菓子に偏りがちであった。
コンビニに行くより、地元のお年寄りが好む商店にいつも置いてある物の方が、割合に大丈夫な物が多いという、コンビニヘビーユーザーだった私には考えれれない逆転現象が起きている。

次に切ないのは、なんと言っても外食系である。
特にカフェ。外食なんてもともとめったにしないが、ちょっとしたカフェは大好きだった。
地元にもあるスタバやタリーズを始め、都会に住んでいた時は、出勤前にサンマルクカフェに行き、中でも必ず食べていたチョコクロは大好物(今思い出してもヨダレがでる)仕事の途中休憩に毎日スタバに通っていた時期もある。

スタバといえば純粋に「本日のコーヒー」を嗜むべきなのだろうが(決まちゃいないが)あの頃の私は、〇〇マキアート的な甘々なもの、もしくはラテとその日の気分でケーキ類をチョイスしていた。

行く前まで、「今日こそコーヒーだけにするぞ!」と気合を入れて行くのに、たやすく流されてしまうカフェの陳列されたスイーツの魅力、いや魔力は何なんだろうか。

とはいえ、アレルギーである。

現在のわたしは、状況もだいぶ変わったので、スタバにはドライブインにてテイクアウトするのみ。そして、注文するのは決まって「本日のコーヒー」一択。

かつて憧れた?コーヒーのみを嗜む粋な大人になった・・・訳ではなく、単に乳製品がダメだから。はじめのうちはラテが恋しくて、ソイラテを頼んでいたが、次第に行くたびに「本日のコーヒー」が気になりだして、いつしかそっちが主流になっていた。

スイーツに関しても、だんだんと思いが変わってきた。

あれこれ探して見つけるのではなく、自分で食べれる、自分が食べたいお菓子を作ればいいのだと思い始めた。

手間は大なり小なりかかるが、作って食べ、また食べたくなれば作るだけ。買いだめできないから、なんとなく体にもいい気がする(作りだめしない限り)

作っていると、意外と砂糖を使っているとか、こんな単純な材料でできるんだとか、いろいろ発見もある。そして、作りたてのスイーツは、失敗しようが何だろうが美味しい。

「乳」を使わない分、種類も狭まるのだろうがそのくらいがちょうどいい。

それに、世の中には意外と乳の代替品も存在する。それらをうまく使って、私は私だけの極上スイーツを作って食べれる幸せを見つけた。

そして、それを時々おすそ分けすると、お世辞かもしれないが、アレルギーが無い、普段美味しいスイーツで慣れた人たちにも驚かれるくらい美味しいと言ってもらえる。

なんだ、乳製品が食べられなくても、失望することはないし、世界は終わらない(当たり前)乳も、小麦も、卵も使わなくても、味わいのある魅力的なスイーツはまだまだあふれている。

負け惜しみ(なんの)に聞こえるかもしれないが、ものは考えようだ。上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。

アレルギーになった事で、今あるもの、こと、自分のできる事、できない事、いろいろ見たり、考えたりする視点が広がった気がする。

食べれるものは減ったのに、おかしな話だけど。

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以前書いたこちらの記事もよかったら、見てみてください(o^―^o)


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