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大日本帝國海軍 《序章》

 戦争を礼賛するつもりは毛ほどもないし、それどころか平和を希求する気持ちは人一倍強いつもりである。思うに右側の人と左側の人はいつでもヤイヤイ言い合っているが、その心は『戦争を阻止したい』という思いから生まれた発言なのだろうと思っている(首をかしげる発言もあるが)。

 我が国に外国の軍隊が攻めて来られたらどうする? という質問に、ある左翼系党首は『そんなことにならないようにするのが政治だ』と、答えになっていない主張で返した。はぁ? 私は この人は日本語がわからないのだろうか? と思ったものだ。

 『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』というラテン語の警句があるらしいが、我が国でも同様に『本当の平和を知るためには戦争を知らなければならない』と『日本のいちばん長い日』の作家 半藤一利氏もなぞらえている。この言葉には私も全く同意見である。

 単純に『戦争はイヤだ!』とか『子供を戦争に送り出すな!』とか『戦争法案反対 !』といったイメージ論を大声で喚いているだけの集団も存在するが、歴史を振り返れば 先の大戦においては 国民全体が、無批判に同じ方向に流れたことが、日本が坂道を転がり落ちていく背景にあったのだと思っている。だから『自分の頭で考えない=自分にフィルター機能がない人』の集団は危険だと断定できる。その場の空気や流れによって、どのようにでもコントロールされてしまうし、人数が多ければ『数の力』を持ってしまい、しばしばそれは暴力となるからだ。

 私の父は長崎で原爆に半身を焼かれ、死の淵を彷徨った経験を持つ一号被爆者(直接被爆者=放射能の影響を最も大きく受けたとみなされる等級)である。子供の頃 体が弱かった私は 被爆二世であるせいで、体調を崩すと白血病を発症したのではないか? といつも父は心配していたらしい。

 子供の頃から折に触れ このような父の被爆体験を聞かされたことに加え、母方の大叔父は先の大戦において攻撃機の搭乗員として出撃し、空戦の末 敵戦闘機に撃墜され戦死した海軍軍人である。そんな自分の出自もあり、私は平和を心から求めているし、さらに であるからこそ戦争というものを知らねばならないと思っている。


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