Maruko

とある地方都市に住んでもう30年になります。このままでいいのかなと思いながら過ごすこと…

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とある地方都市に住んでもう30年になります。このままでいいのかなと思いながら過ごすことも多いのですが、ちょっとした会話の中からとか見えたり聞こえたりすることなどを通して自分の目で社会の観察をしています。そんなことを深掘りできなくても書いていこうと思います。

最近の記事

ツツジの花

ずっと昔、春の庭にはピンクや赤や白のツツジの花が鮮やかに咲いていた。そしてこどもだった私は、その蜜を吸って遊んだものだった。それは甘くて美味しかった。美しく楽しい季節だった。 自分がこどものときは、自由がなくて早く大人になりたいと思っていたのに、大人になってからは、こどもに戻りたいと思うのはなぜだろう? あの頃に戻ってやり直したいなあと思ったりする。でもきっと同じことをしてしまうんだろう。。

    • キンカン

      キンカンは冬にも成っていたが、今も少しずつだけどずっと成っている。すごいなあと思う。時々、ヒヨドリに突つかれているようだが。。。 私はここの土地に来てすごく変わったところがあるなと思ったことがある。 馴染めないところというべきだろう。共通の知り合いを介して近所に住む人に初めての挨拶をした時に(彼女は確か同じぐらいの年齢の子供のいる女性だった)、「オタクのご主人はどこの大学のどの研究室のご出身?」と聞かれたことだった。私のことではなく、彼女が会ったこともない私の連れ合いの出身

      • チューリップ

        シダとは違ってこのチューリップは主張が強い。華やかだけど。 私は、久しぶりにばったり出会った人のトーンが濃くて少し疲れた。この感情はなんだろう?ざわざわしている。その攻撃性は何に向かう? ひっそりとではなくしっかりビッグワードを使いながら主張してその場を支配しようする空気を肌で感じながら、自分は我関せずとシダのように振舞うこともできなくて、またしても逃げ出したい気持ちになった。 そして気がつくとシダのように見えた人が静かに恥じらったような面持ちで優しくその人に言葉を返して

        • シダ類など、ひっそりと

          その日は、所属しているグループの集まりで久しぶりに私も顔を出した。初めて来てくれた人たちが数人いた。 私は、前回のような違和感を感じることなくそこにいることができた。その日集まった人たちとの会話はシダ類の混ざった藪のような柔らかな印象だった。なぜかな?どこが違ったんだろう。 私は普通に話をすることができたし、立ち上がりたくなるような強い衝動に駆られることもなかった。 初めて出会った人は淡々と自己紹介をして自分がこの街で何をしたいか真っ直ぐに語っていた。それは私の心にもスーと

        ツツジの花

          すっかり春になっていた

          前回、投稿してから一週間前ごろまで急に忙しくなっていた。2ヶ月くらい経っていた。寒かった季節が春になっていたことに改めて気がついた。 たった1日のイベントだったが、その準備や後処理がちょっとたいへんだった。しかしとても楽しかった。普段はあまり顔を合わせることができない人たちと一緒にイベントをやり遂げた。それは本当に不思議な充実感だった。なんて久しぶりの喜びだろう! つまり普段、こういう喜びを感ずることがなかったのかなあ〜

          すっかり春になっていた

          社会活動

          ある女性と話した。 志を持って活動をしているとても聡明な人だと思う。 「社会にとって大切なこと、それを求める人がいること」その活動を自分で決めて一人で手弁当でしている。 しかし、その活動のための費用は? 生活していくお金はあってもそれ以外の活動にもお金はつきもの。 多くの時間を主婦として稼ぐことができなかったこと。 そしてこれから活動資金の為に稼ぐこととこれからも安定して活動を続けていくことの現実的な困難さ。 それを贅沢な悩みというのだろうか? とても苦しそうな顔だった。

          社会活動

           違和感

          先日、30代から60代まで5人の女性と会った。 そして他愛ないお喋りをした。 でも、夫たちの話になった時、急に私は立ち上がりたい衝動に駆られた。 「何にもできないの。できないのよ。わかってないのよ。男って!」 と言いながら、軽く嘲笑しながら、皆で頷きながら、そういう夫たちを受け入れて、称賛しているようにさえ感じてしまった。 私の夫もそうかもしれない。 でも私はそういう話を楽しそうにする気にはなれない。

           違和感