見出し画像

もう親には会わないと決めた日。

私の結婚式に実親は来なかった――。

子どものころはまさか親が自分の結婚式に出席しないなんてことを想像したことはなかった。きっとあんなに私に冷たい家族でも私のドレス姿を見たら泣くだろうと思っていた。綺麗にお化粧して、誇りに思ってくれる(褒めてくれる)かも……、と。

しかし、母は私が結婚すると知ったとき「今? じいちゃん死んでからにして」と言い、父は「じいさんの墓に砂かけるようなことする」と罵った。じいちゃんは当時、癌が見つかったところだったので両親はとにかく葬式のことばかり考えていたのだろう(だが喪主ではない)だからこそ、じいちゃんに結婚の報告をと言っても聞き入れず我儘と言い、義母に結婚を止めるように!という手紙を書いて送り付けた。ちなみに兄はこの少し前に結婚して奥様は妊娠しているがおめでたいこととされ祝福されており、ハワイのプライベートウェディングに夫婦でアロハで出掛けている。

私が死ぬほど悩んで、結婚式をしたいから出席してくださいと頼んだら母は「結婚式なんてどうしてするの? しなくていいじゃない」と言い、既に決まっていたドレスと引き出物は自分が選びたかったと駄々をこねた。そのほか色々なことが自分で決められないと分かると「それならこっち側の親族は出ないようにさせる!」と電話でキレた。私が罵声で泣きそうになっているのを見、そこで私の夫の堪忍袋の緒が切れた。「出て頂かなくて結構です」と言って両親が式に出席しないことが決まった。

私はそのころ自分の発達障がいのことで仕事を辞めたばかりだったので、合わせて落ち込んだ。毎日自分の境遇を呪った。夫とその親族に申し訳ない思いでいっぱいだった。しかしどうしても両親を式に呼ぶことはもう出来なかった。夫が、「結婚式はしてもしなくてもいいようなものなんだから、自分たちの結婚を本当に祝ってくれる人だけ呼ぶことにしようよ」と言ってくれたおかげて式をすることができた。

結婚式には遠方から祖母がかけつけてくれた。(祖父は式の一年ほど前に亡くなり、私の結婚報告と白無垢姿(写真スタジオで撮ったもの)を見て本当に喜んでくれた。)姉と兄は表情を固くして出席していた。父母に言われたのか一度も私に声をかけてくれることはなかった。写真撮影の時は二人して雲隠れしていた。

結婚式は本当に楽しく、出席してくれた私の味方の親族、友人、何も聞かずに出席してくれた義両親は心から祝福してくれた。

だからこそ、私はこの日を生涯忘れることはないだろうと思った。両親がとうとう私を認めなかったこの日を――。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?