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わき汗おもいでぽろぽろ ❸ 【パニック発作】


こんばんは。

この わきぽろシリーズ をわき仲間に届けたいけれど、自分のSNSで共有するほど脇が甘くない まる三角です。


▼ わき汗と格闘しまくっていた学生時代と、そこから得た処世術


さて、


きょうはちっとも笑えないはなし。
脇汗が引き金で浪人生のときに突然起こった、精神トラブルについて。

パニック発作を経験したことがある方は、思い出してしまうかもしれません。
そっとページをお閉じくださいな。


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高校を卒業後、家の近くの予備校? 塾? で1年間浪人をした。

わたしが進学希望の学部は、学力より実技試験が採点のウェイトを占めるため よくある ○○学院とか、そういう大手の予備校ではなく。木造平家の塾で、実技試験のための修養の場であった。

小規模だけど同い年の浪人仲間は15人。

男女比は 2:1 、同じ分野を目指すだけあって皆んな気が合い、講師もユニークで笑いころげた1年だった。それと裏腹に浪人の生活リズムにやっと慣れてきたころ、18年生きてきた中で1番ショッキングな出来事が!!



環境の変化と脇へのまなざし


浪人という時間は「自分と向き合う作業」でもあった。

中高生の時は日が暮れるまで部活、土日も試合、そんなんだから寝るか活動するかという生活で慌ただしかったのに。かたや浪人はスローペース。自分のペースで実技の探究をして、日曜も休み。

今までの学生生活は「みんなと同じ授業を受け、正しい答えが必ずあるテストを受け、成績(数値)を上げる」ため学習の方針が明確化されていた。

けどわたしが受験する学部は違う。試験課題の中で自分の技とカラーをだしていくことが評価のポイントだった。そのため浪人生になってからは「自分はどうしたい?」「自分はどう進めばいい?」「自分の表現とは?」などと、有り余る時間の中で「自分の精神」にばかり目を向けていた。

見つめすぎて、神経が一層研ぎ澄まされたんだと思う。ちょっとでも脇の汗を感じたら「あれ?わたしおかしいのかしら?」と。脇のことも見つめていたんだよね笑

実習の時はみんなで実技材料を囲むので密になるんだ。自意識過剰がたたって、もう針のような神経で、脇の汗を監視していた。病的だったよ。

脇汗問題 × HSP or エンパス
はニオイは(多分)バレないけれど気を使いすぎて精神磨耗するのよね。



どうしよう! 狂う!!!!!


浪人生活にも慣れたころ。それは動けば暑くて半袖に衣替えするころ。

12時からのお昼休憩の時間。みんな外に食べにいったり 惣菜をスーパーに買いにいったり。わたしは父が作ってくれたお弁当を食べ終わり、ミスドでカフェオレを買って、のこりの休憩時間を塾の図書室で過ごしていた。

大きなテーブルに添えてある椅子に座って、こう、よく学生が居眠りするスタイルで伏せていた。重ねた手にオデコをつけると脇は開いた状態になる。自分の腕と脇につつまれた暗闇の空間のなか「あー....汗はかいてるけどまだクサくはないな....」とあれやこれや考えていると



急に 世界が変なんですよ。ガラッと。


心臓がバクバクして、首の後ろがサーっと冷たい。そして「ココにいるのに人物としてココにいない」ような? そしてこの延長で狂ってしまうかのような感覚。

わたしは本能的に正気をとりもどす何かをしなくては!とメインの教室に急いで戻って、そこには最近入塾したばかりの話したこともない女の子が。

「昼休み何してた?」とか「お弁当なに?」とか、内容は忘れたけど 女の子の隣に座って話しかける。この緊急事態に人見知りもくそもない。その子はちょっと戸惑っていたような印象。

とにかく、外側に向けて日常を保たないと狂ってしまいそう。


それでも変な感じは拭えなくて、荷物も持たないで、無断で塾をぬけて、すぐ近くの駅に常駐しているタクシーに飛び乗る。タクシーの中でもやたらと運転手に話しかけまくってた気がする。


これ 後から知るんですが、パニック発作というもの。


さあ、自宅に着きました。

発作がおきてから、ここまで20分くらい。
やっと現実感が戻ってきたけど、冷や汗かきすぎて服はびっちょり。もはや脇汗どころじゃない笑 

そして発作の余韻なのか、脳がショックをうけたのか、そのあと数日は記憶が霧の中にいるようにモヤってた。次の日はさすがに塾に行ける気がしない。かと言って自宅で一人でいることも耐えがたい恐怖だったので、遠方に住む母方の祖母に「助けて」とヘルプした。藁にもすがる思いってこういう心境をいうんだろうな。

翌日、親はいつも通り早朝から出勤。
9時ごろ目を覚ましてシーンとしている自宅が怖い。


すると「ピンポーン」と、1時間かけて祖父母が車できてくれた(泣)
その車に乗り込んで、ドライブした気がする。


もう頭が上がらない。祖父は亡くなってしまったけど。
忙しい母に代わって、祖母とはしょっちゅう電話でやりとりしていた。学校であったことや、親の愚痴、自分の思考。そして脇汗案件もずーっと祖母に相談していた。

「まる三角ちゃんは、わきがじゃないよ。なんで薬局にスプレーが並んでいるかわかる? みんな汗に困るんだよ。」

と祖母の話を聞くたびに ホッとした。


発作はそれから浪人の年にもう一度起きた。
わたしは異世界にいってしまわぬよう、ガラにもなく父親の手をぎゅっと握り夜間救急にいった。

これ脇汗気にしすぎなこともあるけど「カフェイン」も原因だったんじゃないかと思ってる。あの発作の日、初めてコーヒーというものを (カフェオレだけど)フルで飲んだ。そして、2度目の発作のときも、ミスドに行ってカフェオレ飲んでた。
いままで体内に取り入れてこなかった物質によって、神経が混乱したんじゃないかな。んで脇汗とコラボしたんよ。

それから大学に入学した。「また変になったらどしよ」と、入学式や飛行機・高速バスなど逃げ場のない閉鎖的な空間に入る前には心療内科でもらった頓服を1粒飲んでた。クスリは常飲しなかったけど、お守りみたいなもので数年間は肌身離さずもっていたよ。


もうずーっとそんなことは起きてない。だから発作の「あの感じ」を思い出すことが難しいし、思い出したくもない。


▶︎ つぎは  わき汗おもいでぽろぽろ ❹【手術決意】

注射でさえ涙する筆者が、手術を決意した年は2020年でした。
明日から子守があるから更新が遅くなるかもです。

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