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坂本龍馬と菊川茶の深イイ話

このイラストに見覚えのある方はいるでしょうか。
累計発行部数1500万部を記録している『お~い竜馬』武田鉄矢(原作)小山ゆう(作画)の竜馬のイラストです。
幕末の英雄・坂本龍馬の生涯を、虚実を交えながら時にコミカルに時にシリアスに描いた作品で、幕末の歴史人気に一役かっている作品でもあります。


歴史の人気は戦国と幕末の二大巨頭

作画の小山ゆう先生は静岡県菊川市出身で地元の名産、菊川茶の為に様々な作画を提供してくれています。


菊川駅にある小山ゆう駅広ギャラリー


左側の茶娘はちゃこちゃん、人気のオリジナルキャラクター

かくいう私ヒデKINGもこの静岡県菊川市出身で小さい頃から菊川茶を飲んで育ちました。私の血液は菊川茶で出来ていると言ってもいい!
菊川茶ってとにかく深蒸しで味が濃くて、これぞ緑茶って感じで大好きなんです!
そんな菊川茶の魅力を面白い歴史を交えて今回は紹介したいと思います。

静岡県は横にながいよね~って迷惑そうに言われるのはなんでだろう

菊川茶の歴史

静岡県菊川のお茶の栽培が本格的に始まったのは奇しくも、坂本龍馬が活躍した明治維新が起きたことと、南アルプスに発し静岡県を流れる一級河川である大井川に橋が架かったことの二つが大きく関係しています。

武士の失職

一つ目の理由として明治維新によって武家社会は終りを遂げたことが挙げられます。明治政府は明治4年には廃藩置県を断行し、翌年には田畑売買禁止の解除など、封建的な土地制度を廃止、さらには同6年、地租改正が行われました。これは、これまでの年貢制度を廃止し、農民に土地の所有権を認めるとともに地価の3%を地租として納めさせるという納税の大改革でした。

 財政的基盤を失った旧藩では、士族を養いかねて農工商の職業につかせることを奨励します。また、士族結社などによる原野の開拓もあちこちで行われました。この事業に現在の菊川市を含む牧之原台地の開墾があったのです。つまり職が無くなった武士の救済事業として開墾が行われ、当時輸出商品として花形だったお茶の木が植えられることとなりました。

当時輸出されていたお茶のラベル

川越人足の失職


二つ目の理由として大井川に橋がかかったことです。
江戸時代には、江戸の防衛と、徳川家康の隠居城であった駿府城(すんぷじょう)の外堀の意味もあったことから、橋は掛けられず、渡し舟も禁止されていました。このため、大井川を渡るときは、川越人足を雇い渡るしかありませんでした。水量が増えると、河川を渡ることを禁じる川留めとなったそうです。その場合、旅行者は川をはさんでの宿場となる島田か金谷(かなや)の宿で逗留(とうりゅう)しなくてはならず、さらに経費がかかったらしいです。
※逗留(とうりゅう)とは旅先で一定期間留まること

金谷宿と島田宿の間に大井川が流れてます


橋で利用者は便利になりますが橋が掛かってしまったら宿場の売り上げも落ちたでしょうね。一番辛いのは職が無くなった川越人足の人たち。

女性は基本4人で担ぎ、人足代金、さらに輦台(れんだい)※木の台のレンタル料金もかかるため
この絵の人たちはお金持ちだったことが推測できます。
料金は水量によって違ったらしく人足一人、50文~100文だったみたいです。
現代価値に直すと1文=32円で、1600円~3200円の代金。ん~妥当なのか。
※余談ですが江戸時代の価格表なんか調べると面白くて自分は好きです(^^)
一般庶民はこんな感じだったみたい

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とは、川留めの苦労を表現したあまりにも有名な言葉です。川越人足は、幕末期に島田と金谷あわせて1200人ほどいたそうで、この人たちの職が無くなってしまったことが問題となりました。もうすでに予想がついてしまうと思いますが、職を失った川越人足達は菊川市を含む牧之原台地の開墾事業に従事することとなります。

こんな感じで職を失ったお侍さんと、川越人足の方々の努力によって
菊川を擁(よう)する牧之原台地の開墾が進み明治初期にはお茶作りが
はじまりました。

※日本における起源を知りたい方はこちらも合わせて読んでみてください

菊川茶深蒸しの起源

菊川茶の特徴の深蒸し茶は(深蒸しと一般的に言いますが菊川茶の深蒸しはとにかく蒸し度合いが強い!)明治初期当時はまだ深蒸し茶として製造されていませんでした。
深蒸し茶が製造されるようになったのは、文献によると昭和30年頃で山本平三郎さんが製法を確立したとされています。

かくいう私ヒデKINGの祖父、大正14年生まれで今年97歳になりますが
当時菊川でお茶の栽培と製造を行っており、深蒸し製法を研究した一人だったそうです。その当時の話を10年以上前に聞いて記録した記憶があり
色々資料を漁っていたら出てきました!


深蒸し製法の祖、山本平三郎さんが話に出てきています
恐らく、2010年頃に祖父に聞いた内容

こういう記録って結構貴重だと思いません??
当時の人たちがいなくなってしまったらわからない話です。

わかりやすくまとめると当時の菊川茶は肉厚な、特別渋みの強いお茶しか作れない土質で産地としては最下級の茶産地のレッテルを貼られてきた。
しかし様々な研究を重ね、深蒸し製法によって優良な商品として流通させることが出来ていったという経緯が書かれています。

文中にもありますが『もっと蒸せ』とあるように菊川茶は他の産地の深蒸し茶に比べて特に蒸し時間が長いんです。
(※明確な定義はないのですが一般的な深蒸し茶時間は60秒以上、
菊川茶はなんと300秒以上が多い)
自分としては同じ深蒸し茶として括られてしまうのが歯がゆいのですが、、

菊川の肉厚な茶葉だからこそ、長い蒸し時間に耐えることが出来て
あの濃厚で飲みごたえのある味わいに仕上がるんです。
羊羹や最中の甘い和菓子と合わせると最高で、これからの寒くなる時期に飲むと一段と美味しく感じる味わいなんですよ!!

どうでしょう?少しでもヒデKINGの菊川茶への愛を感じてもらえたでしょうか?興味をもってもらえたら嬉しいです。

職を失ったお侍さん、川越人足の方々、そして深蒸し茶の研究に尽力した先人に感謝しながら今日も菊川茶を美味しく頂こうと思います^^

ヒデKINGおすすめの菊川茶です♪