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砂の城 【創作大賞2023】

~あらすじ~
【短歌】
抗えぬ 朧月夜に 可か不可か
いびつ純愛こころ いなと知りつつ

自作の短歌をもとにしました。29歳の青年と41歳の女性の恋愛小説です。
愛情と執着は表裏一体。ストーカーと紙一重の曖昧なゾーンで彼女を
一途に愛する彼と、枯れた花が通り雨で甦るように花開く彼女。
禁断の果実をかじった男女の物語です。
主人公の彼は、Hey! Say! JUMPの中島裕翔さんをイメージしました。とても整った顔立ちの中にも子供っぽい無邪気さと、女性を魅了するセクシーさを持ち合わせているとても魅力的な俳優さんだと思うので、ピッタリでした。


~本編~

朧月夜の下、儚げに散る花びらの中、ひとり佇む光る君。
愛しいひとを待つ、凛々しくて、美しいその姿は、
そこだけまるで、平安絵巻の世界が現世にタイムワープを
したかのように、得も言われぬ美しさだった。
かじってはいけないその禁断の果実から逃れようともがいても、
到底、抗う術などあるはずもなかった・・・。
恋に落ちた女は、彼のもとへ駆け寄り、抱きつき、口づけをする。

彼女の名前は、澤井ゆかり。
大手文房具メーカーに勤める41歳のシングルである。
とりわけ文房具か好きだった訳ではなかったが、幼いころから本の虫だったせいか、ブックカバーやしおりには、かなりこだわっていた。
自分のお気に入り探しを楽しんでいるうちに、次第に文房具にも興味を持ち始め、大学を卒業後、いくつかの内定通知の中からこの会社を選び、
入社後は、持ち前の生真面目さのおかげか着実に実績を積み上げ、
今では企画開発部の課長である。

一部上場企業の課長ともなれば、華やかなプライベートかと思われがちだが彼女は、お酒も飲まなければ、、タバコも吸わない。
お洒落やメイクも必要最低限の範囲で、ブランド品にも疎く、二十歳の時にチェック柄と土星と王冠のようなモチーフが気に入って買った、
ヴィヴィアンウエストウッドの財布を20年以上も使い続けている。
特に気を付けているわけではないのだが、お財布しかり、バックしかり、
洋服・靴しかり・・・と、とにかくなぜか彼女は物持ちが良いのである。
プライベートではあまりSNSなどはしないため、コミュニティーが狭いと
自覚はしているが、腹を割って話せる親友がいてくれる。
唯一自分をさらけ出せる親友との付き合いは、かれこれ30年以上にのぼり、こちらも長持ちである。

容姿はと言えば、すれ違う人が振り向くほどの美人ではないが、華美ではないそこはかとない美しさと、心に沁みるような温かさを感じさせる。
恋愛遍歴は華やかではないが、人並みに恋もし、結婚を考えた人もいた。
けれどなぜか、常に誰かと一緒にいることが幸せではなく
窮屈と思ってしまう節があった。
悪気はないのだが、自分から積極的に連絡やデートもしない、
可愛く甘えたり泣いたりして弱みを見せないなど、どこか後ろ向きな、
素っ気ない態度に次第にギクシャクし始め、
「俺って何?君は結局ひとりでいたいんでしょ。」と、相手が去っていく。恋愛の終わり方は決まっていつもそうだった。

無駄遣いや衝動買いなどはせず、二年前には貯金とローンでマンションを
購入した。何かを決断する時も、あまり人には相談したりせず、
一人でご飯も食べに行ける。
いわゆる〈おひとり様上手〉なのだ。
となると、パートナーは必要なくなっていった。が、愛だの情がわからないわけではなくて、逆に溢れるほどの優しさと愛を持ち合わせている。
その証拠に、彼女が頑張るのはいつも人のため、誰かのためばかりなのだ。しかも産まれた時から溺愛する可愛い甥っ子がいるので、溢れる母性の
行き先だってちゃんとある。

世間ではそんな40代を負け犬だ、というけれど、
彼女は道行く誰よりも楽しく、自分らしく生きている。
時折訪れる得体の知れない寂しさや、孤独との付き合い方も心得ている。
ただ、恋をすることを卒業しただけのこと。
単純に1人でいるのが心地いい。それだけのこと。
それを不幸だとは捉えていない。ただ、それだけのこと。
これが彼女のストーリー。

そんなある日、彼女の前にずいぶんと年の離れた青年が現れる。
彼は29歳。かなり容姿端麗、そこそこ頭脳明晰、なんとも言えない
魅力的なオーラを放っているけれど、子犬のような人懐っこさと、
ふっと見せる美しい横顔がとても印象的な青年だった。
そんな彼が、なぜか自分に好意を表すようになる。
運命のひとに出逢ったかのように。
前世からのえにしがあるかのように。
突然ラブストーリーのヒロインになったかのような状況が、
自分の世界に起こりだした信じがたい状況に、
「えっ?ドッキリとかですか?」
「誰かにやらされてます?」
と、彼を前にして、つい口に出してしまった。
************************

そして、そんな彼にもストーリーがある

東京のオフィス街のビル群に囲まれた中に、ポツンとある小さな洋食屋。
とても居心地がよく、誰もが懐かしさを感じる古き善き雰囲気を残す
この店は、水・木・金曜の週に三日、わずか昼の3時間しか営業せず、
メニューはオムライスのみの、風変わりな店である。

そんな店にいつも一人で来店する女性がいる。それが澤井ゆかりだった。
彼女はいつも、空いていれば窓側の端の席に座る。
どうやらそこが、お気に入りのようである。
オムライスとアイスティーを氷少なめで注文し、料理が運ばれると
皆がやるようにスマホを出してパチパチと、またパチパチと。
そんな風に写真など撮ったりはしない。
スッと両手を合わせ、小さな声で
「いただきます」
と言う。
そして美味しそうに、リズムよくオムライスを頬張っていく。
途中でスマホをいじったりせずに、しっかりと食事を楽しみ、
食べ終わるとカバンの中からから本を取り出して、時間の許す限り
静かに読書をしている。彼女が読む本のラインナップは多岐にわたり、
恋愛小説のほかにも、エッセイや、短歌集のほか、東野圭吾のミステリー、藤沢周平の時代物、時には童話や絵本の時もある。本当に本好きなのだ。
そんな彼女の姿を厨房から見ている一人の男性がいる。
それが彼だ。
頭脳明晰で、しかもアイデアマンの彼は、学生時代に会社を立ち上げ、
的確に時世を捉え、会社を大きくしていった。
今では事業も多岐にわたる中で、右肩上がりの業績を誇る
都内に5店舗も展開する人気のおしゃれカフェ、
【cafe・Noisette  (カフェ・ノワゼット)】
を擁する今注目の会社の社長である。
ちなみに、ノワゼットとはフランス語でヘーゼルナッツを意味する。

そんな彼がなぜ小さな洋食屋のオーナーシェフとして厨房にいるのか。

彼は幼くして両親を事故で失くし、叔母の家で育てられた。
そう聞くと、とても苦労をしただろうとか、不幸な生い立ちのように
思われがちだが決してそうではなく、叔母夫妻を心から親のように慕い、
三つ年上の従兄と本当の兄弟のように育ち、その後に産まれた妹と5人で、本当の家族のように仲が良く、笑いの絶えないとても温かい家庭で、
幸せに育ってきた。

今や社長となった彼が厨房にいる理由。
それは、天国にいる両親との思い出を守るためである。
彼の記憶にもっとも鮮明に残る家族の思い出は、
母親が作ったオムライスを前に手を合わせ、3人で声をそろえて
「いただきます」
と言って、口いっぱいに頬張るシーンだった。
叔母夫婦を実の親のように思ってはいるが、やはり亡くなった両親を
心で感じていたいという思いもあり、オムライスを作り続けている。
そしてこの小さな洋食屋は、家族3人で過ごした大切な家だったので、
いつか彼に引き継ぐ為にと、叔母夫婦が残しておいてくれた場所だった、。

わずかな営業時間の中、日々たくさんのお客様が訪れている中で、
唯一彼女だけが料理を前に手を合わせ、
「いただきます」
と、オムライスを頬張る。
そして、食べ終わったら、また手を合わせ、
「ごちそうさまでした」
と、笑顔で言う。

そんな彼女の姿がどこか母親の面影と重なっていた。。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」

至極当たり前ながらも、とかく忘れてしまいがちな何気ないこのシーンが、彼の心をグッと掴んだのだ。
そんな彼女に次第に興味を持ち始め、いつも美味しそうにオムライスを
食べてくれることに、嬉しさを覚えたことにはじまり、
いつしか視線が彼女を追い続け、ひと時も目が離せなくなり、
もっと、もっと知りたくなっていった。

彼女が来る時間までは、必ずお気に入りの席に座れるようにと
【使用中】のプレートを置き、彼女だけの特等席にしておいた。
色々と策を弄し、彼女の会社が自分のオフィスの近くだと知れば、
退勤時間に合わせて会社の前で待ち、絶妙な距離感で最寄りの駅まで
歩いたこともある。
自分のcafeに彼女が来店していると知れば、大胆にも店員に扮し接客をし、
アンケートにお答え頂ければ次回お好きなドリンク一杯サービスします!
などとありもしないキャンペーンをでっちあげ、コーヒーよりも紅茶が好きなこと、アップルやベリーなどのフレーバーティーも好きなこと、
クリーム系よりも、チーズケーキやシフォンケーキの方が好きなこと。
なにより最大のミッションである、彼女の名前のゲットに成功した。
「ゆかりさん」 素敵な名前だな。そう思った。
その後も、気付かれないように接客をしたり、客を装い背中越しに座ったりと、彼女を見続けていた。

そして彼はついに行動を起こす。

自分の会社と彼女の会社とのコラボレーションを自ら企画し、
社長として彼女の前に現れたのだ。いつも通り名刺交換をし、
よろしくお願いいたします。と挨拶をした彼女に

「こんにちは、ゆかりさん。あなたに会いたかったですよ。」

そう言って、いきなり手をとり握手をし、そのまま引き寄せてハグをした。そんな彼の衝撃的な行動に、彼女はフリーズしてしまった。
彼女にしてみればコラボ企画のためにやって来た、初めましての社長なので「?????」なのは当然といえば、当然のこと。デスクに戻り、
「ずぶんフレンドリーな社長さんですね。しかも超イケメンでしたよね!
なんか、ゆかり先輩には特にリアクション熱くなかったですか?」
と、部下に声をかけられて冷静になり、もう一度名刺に目を落とす。

「桜井春馬」

名刺にはそう書いてあった。
これが2人の物語の始まりである。

こうして始まったコラボ企画の担当責任者に彼女を指名し、
彼が企画チームを統括するリーダーに就任して一緒に働き始めた。
彼女の会社の中に今回の企画のための部署を設けもらい、仕事を理由に
わずかな時間でも会いに通っていた。
時には、アイデアを煉るためにと彼の会社のカフェや、雑貨屋などへ頻繫に足を運ぶなどした。彼からしたら職権乱用のデートである。
いつも二人だけで行動する状況に、少しいぶかしく思いながらも、彼女は仕事に集中することに徹した。

何度目かの企画会議で、彼女がいくつかのアイデアを出してきた。
コルクのコースターをめくると可愛いメモ帳になっていたり、
ホットミルクに溶かしていくチョコレートスティックをペン型にして
コップのふちに掛ける・・・・・など。
紅茶と本好きな彼女ならではのアイデアもあり、童話や絵本のように見える可愛いらしい本を開くと、いろいろなフレーバーの紅茶のティーパックと
焼き菓子が入っている。そんなステキな提案だった。
ただ既存の商品に、カフェのロゴを入れるだけでなく、日常を少し楽しく、使うたびにちょっぴりhappyになるような物を作りたい。
そう話す彼女の仕事への姿勢や、同僚やチームの部下への接し方、
会議のたびに自らメンバーの好みのドリンクや、時には軽食を手配したり、部屋の空調にまでさりげなく気配りをする。
いつも彼女を見続けている彼は、もちろんそういった細やかな優しさや
気遣いを見逃すはずもなく、当然ながらさらに彼女に惹かれていった。

社長として彼女と接している間も洋食屋でのオムライス交流も続けていた。
まさか厨房にいるのが彼だとは知る由もない彼女は、相変わらず営業日には来店をし、いつも通り美味しそうに頬ばっている。
そんなある時、彼のなかでふっと疑問が浮かんだ。

「この店が開いていない日は、どうしているんだろうか?」

どうしても気になった彼は、午後から会議の予定を入れた休業日の昼に
彼女の会社へ行ってみた。
すると社員食堂で同僚と楽しそうに食事をしている彼女を見つけた。
「時間が空いたので少し早く来てしまいました。」などと、
取ってつけたような言い訳をし、さりげなく彼女の向かいに座ろうとすると

「お昼がまだでしたら、一緒に何か召し上がりませんか?
 よければごちそうさせて下さい。」

そんな願ってもない彼女の申し出に、少し上ずった声で、
「はい。お言葉に甘えて」と、一緒にメニューを選びはじめ、
「お嫌いなものはないですか?」 「これオススメですよ。」
なんて言いながら、あれやこれやとしている時間は、
当然ながら彼を幸せの絶頂にいざなった。
向かいに座り、目を落とした彼女のランチは、手作りのお弁当だった。
覗き込んだお弁当は、美味しそうな玉子焼き、こんがり焼けた鮭、
プチトマトにほうれん草の胡麻和え、雑穀ご飯の上には、
実家から送られてきた自家製の梅干しがのせられていた。
ザ・お弁当というラインナップの中で、端のほうに手作りの煮豆があった。あまり目立たないが手の込んだこの煮豆が、彼女の人柄の良さと、
温かみを感じさせた。
「いつもお弁当なんですか?」
そう白々しく聞いた彼に、やたら可愛い子オーラをだす後輩が、
「いつもじゃないんですよ!お気に入りの洋食屋さんがあって、
週に三日は行ってるんですよね。ゆかりさんそこのオムライスが、
めっちゃ大好きなんですよね!」
と口をはさんだ。
他の店でランチをしていなかったことにガッツポーズ!をしそうになる
衝動を必死で抑えつつ、なぜ週に三日も、しかもその店だけに通うのかを
聞いてみた。すると彼女は、

「あの店のオムライスだけなんです。母の味に似てるのは。」

その言葉と、優しく微笑む笑顔に完全に射抜かれた。

もう、コラボ企画をしているだけの社長ではいたくない。
厨房からこっそり見つめるだけでは嫌だ。
彼女の向かいでなく、隣に座る唯一の男になりたい。
そう思い立った彼は、慎重に告白の準備をしていくことにした。

好きなら好きだ。と言ってしまえば済むことのように思えるが、
振り返ると、今まで彼がしてきた行動の数々は、どう考えても
ストーカーと紙一重の、曖昧なゾーンだったからだ。

こっそり厨房から見つめ、退勤時間に待ち伏せして駅まで後ろを歩く。
カフェで店員や客を装ったり、挙句の果てには、コラボ企画を持ち込んで、計画的に近づいたのだ。思うに、愛情と執着は表裏一体。
誤解を恐れずに言えば、彼がしていた数々の行動を彼女が知った時に、
ときめきを感じてくれたらおそらくセーフだろうが、
恐怖を感じたら、完全にアウトなのである。

ただ、告白する場所は決めていた。初めて出会った洋食屋にすると。
コラボも終盤に差し掛かり、続々とサンプルが出来上がってきた。
そのサンプルを使い、次に彼女が店を訪れた時に決行した。

いつもの様にオムライスとアイスティーを注文した彼女に、
コルクのコースターメモ長を使った。
「いただきます」と手を合わせ、食べ始めようとした時に
コースターが目にとまった。
まさかと思いアイスティーをどかすと、自分が作ったサンプルが現れた。
「なぜ、これがここに?どういう事?えっ、どうして?どうして?」
混乱する彼女は、ひとまず店員を呼び止めて訳を尋ねたが、
厨房にいるオーナーの指示ですので。としか返ってこない。ならばと、
彼女はサンプルのコースターを掴んでそのまま厨房へ駆け込んだ。

「勝手に入って申し訳ありません。オーナーはどなたですか?
なぜ、これがここにあるんですか?」

その問いかけに
「僕がオーナーです。オーナーシェフの桜井春馬です。」

そう振り向いた彼を見て、当然ながら彼女は息をのんだ。
目の前の状況がまったく飲み込めない・・・。
しかも、頭の中は「????????」完全にバグっていた。
まぁ、それもそのはず、無理もない。
彼にしてみれば満を持しての登場も、彼女にしたら青天の霹靂級なのだ。
混乱する彼女に彼が声をかける。「コースターをめくって!」
かろうじて聞き取れたその言葉に促され、少し震える手でめくってみた。

「あなたが好きです。僕とお付き合いをしてください。」

そう書いてあった。


冷静になり、正気を取り戻したのは会社のデスクだった。
コラボ会社の社長が洋食屋のオーナーシェフだったこと。
しかも、私を好きで付き合いたいと告白されたこと。
あまりの衝撃に何も答えず、全力で走って逃げてきたこと。
おまけに驚いたとはいえ、食事代を踏み倒してきてしまったことも・・・。
当然ながら生真面目な彼女は、愛の告白をされたどうのこうのよりも、
まずは食事代を渡さなければと思い、業務上を理由に交換していた
彼の携帯に電話をした。
「今日の仕事終わりにお時間ありますか?お会いしたいのですが。」
もちろん時間を作った彼と洋食屋で会う約束をした。

夕方、時間どおりに店へ行くと、明かりがついているのを初めて見た。。
見慣れぬその光景に少し緊張をし、ふぅ~と、息を吐いた。
カランコロン🎵と、いつものようにドアを開けると、そこにはスーツを着た社長モードの彼がいた。会社帰りなので当然といえば当然なのだが、
いつもの席に案内をされ、いつものアイスティーを出す彼の振る舞いに、
本当に同一人物なんだと理解をした。

重苦しい空気を感じながらも、「あの~。」と彼女が口を開いた。
「昼間は思いがけない状況に驚いたとはいえ、お食事代をお支払いせずに
帰ってしまい申し訳ありませんでした。まずお支払いさせてください。」
そう言って封筒に入ったお金を彼に差し出した。
こんな状況でも、まずは無銭飲食をしたことを気にして謝る姿に、
「あ~やっぱりこの人ステキだなぁ~。すっこい好きだぁ~。」
という感情に彼は思わずニヤついてしまった。
以前ランチをごちそうしてくれたお礼に断りたいところだったが、
彼女の性格上受け取るほうがいいだろうと推測し、
「わかりました。頂戴します。ありがとうございます。」と受け取った。
その瞬間、彼女の表情がふっと和らいだのを彼は見逃さなかった。
すかさず彼はこう口を開いた。

「昼間は驚かせてしまいすみませんでした。
ただ、軽い気持ちやその場の勢いで告白をしたのではありません。
あなたを好きな気持ちは真剣ですし、本当に心からお付き合いをしたいと
思っています。どうか僕の話を聞いてもらえませんか?」

真っすぐに見つめて話しをするその姿に、彼女は「はい。」と答えた。
そして、会社の社長でありながらなぜこの洋食屋をしているのか。
その理由は自分の生い立ちにあり、オムライスが天国の両親との
大切な思い出だということ。
彼女が幸せそうに食べる姿に母親の面影を感じて興味を持ち、
いつしか心惹かれていったことも。
さらには、もっと近づきたくてコラボ企画を持ち込んだことや、
一緒に仕事をしていくうちに、さらに好きになっていったことも。

彼が次々とする話を彼女は真摯に聞いていた。
今までの傾向や性格を考えれば、そこまで話を聞いたとしても
速攻で断るはずだが、なぜか彼女にはそんな感情は微塵もなかった。

初対面の時のアクションに風変わりな青年だな?と驚かされはしたが、
不思議と嫌悪感などはなく、一緒に仕事をしていく中で彼の誠実で
チャーミングな人となりや、周りの人への接し方に好感を持っていた。
ただそれは、あくまでもビジネスの相手、企画チームの仲間としてで、
色恋沙汰となると話は変わってくる。とりあえず話を聞き終え、

「お話はよく分かりましたし、真剣な告白だということも理解しました。
でもあまりにも突然のことですし、何より今はコラボ企画が大詰めを迎えています。大切なこの時期に仕事に支障をきたしたくはないので、
企画が終了してからお答えをさせていただけませんか。
それに、真剣にお気持ちを伝えてくださったのだから、私も、
よくよく真剣に考える時間を頂きたいです。それでも構いませんか?」
と、真面目に答えた。が、さらに、
「一応、念のため聞きますけど、ドッキリじゃないですよね?
誰かにやらされてるんですか?どこかにカメラが隠されせるとか?」
という緩急の落差がすごい彼女の言葉に、必死で笑いをこらえた。

おそらく、断るためにここへ来るのだろう。
が、それでも諦めず何度もアプローチをすると決めていた彼からしたら、
答えの先延ばしは前進のようにさえ感じた。
思いがけない彼女からの提案に、
「もちろんです。ゆかりさんの答えが出るまでいくらでも待ちます。
まずはおっしゃる通り、明日からも企画の成功に向けてラストスパート
かけて頑張っていきましょう!」
そう言って手を差し出した彼と握手をして帰宅した。

次の日は、朝から定例会議が予定されており、少し気まずさを感じていた。どんな顔で挨拶をしたらいいのか、この先の距離感がわからない。
緊張する彼女の心配をよそに、何事もなかったようにいつも通りの笑顔で、「おはようございます!今日も頑張りましょう!」と彼が入ってきた。
見慣れた人懐こい笑顔に、少し心が軽くなった。

企画は順調に進み、いよいよ販売を開始する前日になった。
「明日はカフェに見に来ませんか?」彼の誘いを受け店舗へ駆けつけた。
グッズの出来もさることながら、元々人気のカフェだったこともあり、
売れ行きは好調で、あっという間にSNSで話題になりSold Out、
追加の製造が追いつかないほどだった。
グッズの大ヒットをもって今回の共同企画チームは解散することとなり、
今までの労をねぎらうためと、彼の会社がパーティーを開いてくれた。
すっかり仲良くなった両社のメンバーは、企画成功を喜びながらお互いを
讃えあい、最高のチームだったと別れを惜しんだ。
楽しい会もお開きになる頃、彼女はすっと彼に近づき、

「明日の土曜日はお時間ありますか?
先延ばしにしていた件についてお話ししたいのですが。」

彼女の提案を快諾し、昼間にお店で逢う約束をした。

その日彼は、時間よりも早く店に来ていた。
そして時間の10分前に彼女もやってきた。
いつも通りカランコロン🎵と鳴るドアを開けた彼女を待っていたのは、
スーツをビシッと着た見慣れた社長ではなく、この店のシェフでもない、
29歳の等身大の 「桜井春馬」 としての彼だった。
いつもの席に案内をされ、いつものアイスティーが出てきた。
彼が向かいに座るのを待ち、彼女が話し始めた。

「昨日はごちそうさまでした。チームのみんなも喜んでいました。
最高の仕事ができて、とても嬉しかったです。ありがとうございました。」と相変わらず律儀に挨拶をしてから話を続けた。

「今日までお待ちいただき、ありがとうございました。
まさか、桜井社長から告白をされるなんて想像もしてなかったことなので、正直ものすごく驚きました。
こうしている今も、にわかに信じがたい状況なんです。」

そして、大きく息を吐いたあと、こう続けた。

「実は・・・・・恥ずかしながら少し胸がときめきました。
おそらく、あなたに告白をされたら、世の中の女性なら誰もが迷わず
喜んで交際をすると思います。とても素敵な方だから。
断る理由なんか、何ひとつないだろうと思います。
でも、世の中の女性にはなくても、私にはあるんです。
どう考えても年齢が違いすぎます。
29歳の思いに、41歳が答えてはいけないと思うんです。
それにこの先、私なんかよりもっとふさわしい人に出逢うチャンスは
必ずあるし、いくらでもあるはずです。
今の一時の感情に流されて、私なんかでつまづかないでください。
真剣にお気持ちを伝えてくださったので、こちらも真剣に出した答えです。交際の申し出はお断りさせてください。

さらに言えば、今さら色恋沙汰で一喜一憂する人生を求めてはいません。
本当に申し訳ありません。ごめんなさい。」

そう言って深々と頭をさげた。

告白を断られれば、多少の苛立ちや往生際の悪さはあるにせよ、
頭のいい彼ならば理解はしてくれるだろうと思っていた。

ところがである。
一筋縄ではいかないこの男は、断られるなんて最初から織り込み済み。
その理由も、年齢が違いすぎる、今さら恋をするつもりはない、
もっと相応しい人が現れる。そんなところだろうと読み切っていた。
なので引き下がる訳もなく、断る理由を全てつぶしにかかった。

まず年齢なんて単に数字に過ぎない。
29歳と41歳が付き合っちゃいけないなんて誰が言ったのか?
いったいどこにそんな決まりがあるのか?
分厚い本をめくっても、そんなルールなんか書いてないのだから、
その理由は却下!

「この先僕にはもっと相応しい人が現れるはずだ」
君は預言者でも占い師でもない。未来が見えるスペックだって持ってない。
だから、根拠のない不確かな話なんか絶対に信じない。
なのでこれも却下!

色恋沙汰で一喜一憂する人生を求めていない。って言うけど、
僕は一喜に収まらず【無限大喜】させるし、一憂すらもさせないから、
この言葉は当てはまらない。
なので、もちろんこれも却下!

思ってもない方向から展開される彼の話に、
訳が分からず目を丸くする彼女にさらに畳みかけた。
「なんだかんだと理由を並べても、ときめいた。ってことは、
少しは気持ちが動いたんですよね。好きじゃないが断る理由にないし。」
「だったら僕のことは嫌いですか?」
「どうなんですか?嫌いですか?嫌いなんですか?」
と前のめりに詰め寄られ、うっかり
「嫌いではないです。」と答えてしまった。
彼にとっては、嫌いじゃないイコール少し好き。となるので、
この先もアプローチを続け、必ず僕の恋人になってもらうから!
と、押し切られ、店を後にした。

宣言通り、次の日から彼のラブラブ♥アプローチ大作戦は、
アクセル全開でスタートした。
退社時間になれば会社の前で待ち、一緒に歩いて駅まで送るのはあたり前。
車で来た日は、夕飯やショッピングに誘ったりした。
おそらく彼女の性格上、きっと洋食屋へ来なくなるだろう。と見越して、
「ランチに来なくなったら僕が会社に届けちゃうよ。」などと半ば脅しか?ともとれる強硬策で先手を打つ。
「おはよう」のスタンプから始まり、「おやすみ」まで、一日に何度も
LINEが入り、筆不精ならぬLINE不精な彼女には追い付けないほどだった。
休日だからとデートに誘っても、やんわり断られるだろうと思い、
週末のお客さんが多い日に、グッズの売れ行きや、評判を見に来ませんか?と、仕事をからめていつものカフェに連れ出した。
最初は少し警戒をしていた彼女だったが、作った商品を楽しそうに使い、
笑顔であれこれ選んでいる人たちを見て、自然と気持ちがほぐれていった。
そうなれば、もう完全に彼のペースである。
他にもこんなアイデアはどうかとか、ここをこうしたらどうか?と、
仕事の話に始まり、趣味や学生時代の話、休日の過ごし方や、
肉よりもお魚が好きなこと、親友の名前や家族構成に至るまで
あっという間に聞き出してしまった。
それだけ取調べをされても、アイスティーを一杯と、チーズケーキ一個で
三時間が過ぎたことに気づかなかった。
「良ければ他のお店も偵察に行きませんか?」
彼の誘いに乗っかり、そのままうっかり車にも乗ってしまった。
ドライブデートに持ち込んで、二人きりになる作戦だ。

彼の好きな音楽を聴きながら、学生時代に聴いていた曲や、
卒業式songのジェネレーションギャップに驚きながらも、
笑いが絶えない車内だった。
二店目に着いた頃にはすでに夕方になっていた。
彼はあえて一番遠い店を選んだのだ。軽く偵察を終え、やはりここでも好評だった商品に上機嫌な彼女をすかさず夕食に誘った。

そこから20分ほど車で走り、着いたのはおしゃれな小料理屋だった。
少し離れた駐車場に車を止め歩いて行き、のれんをくぐり入ると、
「いらっしゃいませ」という女性の声のあとに、
「おう!春馬!」という声がした。
声の方へ視線を向けると、カウンターの中に若い大将がいた。
その男性は、彼が兄と慕い兄弟のように育った従兄で、一年前、結婚を期に独立して店を持ち、おかみさんを務める奥さんと二人で切り盛りしていた。
あまり広くはない店内だったが、お客さんでほぼ満席だったので、
きっと腕がいいんだろうなぁ~。と思っていると、カウンターに二つだけ
空いている席に案内された。勘のいい彼女は事前に彼が連絡を入れていたのだとすぐに気づいた。座るやいなや、
「春馬がいつもお世話になってます。兄の和也と妻の春香です。
今日はよく来てくださいました。」
と言われ、慌てて立ち上がり
「初めまして、澤井ゆかりと申します。」
と、深々と頭をさげた。律儀で生真面目な彼女の行動に、
「まぁまぁそんなに堅苦しく思わずに、楽しく食べて行ってください。」と、おかみさんが優しく声をかけてくれた。
お酒を飲まない彼女においしいお茶をだし、続けて
「彼女をちゃんと家まで送るんだから、お前も今日はこれな。」
と彼にもお茶を出した。
兄のアシストで、彼女を家まで送ることが決定である。
好き嫌いはないので料理はおまかせでお願いし、魚を中心に出してくれた。
目の前に運ばれる料理は案の定どれも美味しく、しかも手寧な仕事をしているのがよくわかる、美しくて素晴らしい一品ばかりだった。
美味しい料理に自然と会話も弾み、気付けば暖簾をおろし四人だけとなり、さながら家族の食事会の様になっていた。
根掘り葉掘りと二人の事は聞かずに、この料理が美味いという彼女に
コツを教えてくれたり、実は5つ年上の姉さん女房で、結婚したらそんなの気にならなくなるのよ。旦那のほうがおっさんぽいしね。
などと笑い話で盛り上がった。さらに、
いつもビシッとスーツを着こなし、何をしても様になるイケメンな彼が、
子供の頃は父親に怒られるたびに泣いて、可愛がってた小鳥が死んだときも大泣きするような泣き虫だったこと。
スボーツ万能なのになぜか自転車には乗れなくて、傷だらけになりながら
猛練習をしたとか、次から次へと兄から暴露される小童こわっぱなころの自分のエピソードに、恥ずかしくて赤面する彼を見て、
不覚にも可愛いと思ってしまった。

時計が日付をまわる頃、必ずまた訪れる約束をし、店を後にした。
駐車場まで戻る夜道に、「暗くて危ないから、イヤじゃなければ掴んで。」そう言ってスッと差し出された腕に、
「じゃあ、お言葉に甘えて。」とつかまり、並んで歩いていった。

車に乗り込み自宅の住所をナビに入れ、一時間ほどの深夜のドライブを
スタートさせ走り始めるとすぐに、「兄貴から聞いたガキの頃泣き虫だった話は忘れてほしいんだけど・・・。」と、少し照れくさそうに言い出した。
その可愛らしさに思わずクスッと笑いながらも、
「はい、わかりました。」と答えた。
いきなり兄夫婦の店へ連れていったことを心配し気遣う彼に、
とっても素敵なご夫婦だし、すごく楽しかったと伝えた
車内でもずっと話は尽きず、あっという間に自宅へ到着した。
「今日はありがとうございました。それとお食事もごちそうさまでした。」そう言って降りようとする彼女を呼び止めて、
「明日の日曜日もお時間ありますか?
うちの店で一緒にオムライスを食べませんか?
実は月曜日から出張があって、週末までお店は休業するんです。
冷蔵庫の中を片しに行くつもりなので・・・。」そう誘われ、
「時間があるので行こうかな?」と答えた。
午前中は店内の掃除をするからと、お昼を少し過ぎた一時頃に約束をして
車から降りた。
エントランスの前で振り返り、軽く会釈をしてマンションへ消えていく
彼女を見送り、5階の角部屋に明かりが付いたのを確認して帰路についた。
彼がベッドに入ったのは二時をまわっていたが、今日の楽しかった時間と、明日も会える高揚感でいつもより寝つきが遅くなったが、
幸せに包まれて夢へと落ちていった。

日曜日、彼は約束の時間よりもかなり早い10時半には店に来ていた。
彼女が来る前に掃除を済ませ、ランチの準備をするために、早速始めた。
店前を掃き、フロアに掃除機をかけ、拭き掃除をしようとしたとき
カランコロン🎵と店のドアが開き、驚いて振り向いた視線の先には、
彼女が立っていた。
「お掃除をなさると聞いたから、何かお手伝いをすることがあればと思って早めに来ちゃったんですけど・・・。」
彼女は昨日ごちそうになったお礼のつもりで来ただけだったが、
彼はまさかの展開に大喜びだった。掃除をするつもりなので、
デニムにパーカーという初めて見るラフな格好の彼女にドキドキしながら、
「明日から会えないから、少しでも長く一緒にいられて嬉しいです!!」と、素直にそう伝えるあたり、なんとも魅力的な男である。

テーブルやイスの拭き掃除と、観葉植物の世話を頼み、二人で手際よく掃除をしていき、最後にカトラリーと紙ナプキンの整理をして完了した。
ランチを用意するので待っていてください。と言われ、指定席に座った。
厨房から嗅ぎなれた匂いがしてきた後、すぐに彼がお皿を運んできた。
目の前に並べた料理は、いつものオムライスと、アイスティーだったが、
それ以外は見慣れぬ光景だった。
「このテーブルにオムライスがふたつ並ぶのも、向かい合いあって
誰かと食べるのも初めてです。なんか不思議な感じがします。」
と彼女がいうと、「実は、俺もです。」と言った。
最初は少しぎこちない二人だったが、いつも通りの美味しいオムライスと、昨日の話をあれこれするうちに、にぎやかで楽しいランチになっていた。
一緒に食器を片し、厨房もきれいにしてから帰る支度を始めた彼女に、
「家まで送らせてください。」と言った。
彼女はただ「はい」とだけ答え車に乗り込んだ。

車中では、明日からの出張の場所はどこで、帰りはいつなのか。
お店はいつから開けるのかと、彼女の方から聞いていた。
出張は木曜日までで、間に合えば退勤時間に会社へ迎えに行けること、
お店は金曜から開けるつもりだと、詳しく教えてくれた。
ランチのお礼を伝え車を降り、いつもの様にエントランスで振り返り、
無意識に手を振っていた。
使いきれずに残ってしまった食材をもらったので、冷蔵庫にしまいながら
手にした卵を見て、なぜか胸がチクッとした。

いつもと変わらない月曜日の朝を迎えていたつもりだったが、お弁当の支度をしながら一抹の寂しさを感じていた。
そんなときに、ピココーン♪とLINEが鳴った。
「おはよう!これから出張に行ってきます。お仕事頑張ってくださいね。」
と、元気なスタンプと共に送られてきた。すぐさま彼女も、
「おはようございます。桜井さんもお仕事頑張ってください。
いってらっしゃい。」と返した。ほんの数行のやり取りで不思議とさっきまでの寂しさは消えていた。
それからというもの、出社確認や、ランチに食べたものを、今はどこで会議をしている、今夜は会食の予定がある、退勤時間には寄り道せずに気を付けて帰るようにと、LINEで何度もやり取りをした。
そして、寝る前は決まって彼から電話をくれ、長話しをしておやすみなさいと締めくくる。そんな一日が火曜日も、水曜日も続いていた。

ところが、木曜日の朝に、おはよう!とスタンプだけが送られてきた以降LINEが鳴らなくなった。出社しても、ランチを終えても。気になってはいたが、とにかく忙しいのだろうと思い、間に合えば迎えに来るという退勤時間まで待つことにした。
しかし時間が過ぎてもお迎えどころか、LINEすら鳴らない。家に帰り夕飯の仕度をしていても、LINEが鳴ったか気になって、うっかりお味噌汁を吹きこぼしてしまう始末だった。夜が更けても相変わらずLINEは鳴らず、
いつもの電話もない。うとうとしては気になって目を覚ます。そんな夜を繰り返していくうちに金曜日の朝を迎えた。
朝の挨拶の時間を過ぎても、もはやスタンプすら来なかった。
寝不足と不安とで仕事が手につかず、珍しくミスを連発し、普段とは違う
彼女を心配する部署の仲間からのランチの誘いを断り、
「金曜日にはお店を開ける。」その言葉を頼りに駆け出して行った。
久々の全力疾走に息を切らし、お店に着いた彼女の目に飛び込んできたのは、closeのプレートだった。
ダメだとわかっていても、もしかしたら・・・と手をかけ扉を引いたが
開くはずもなく、落胆して会社に戻りデスクに座ったまでは覚えていたが、気付けば退勤時間になっていた。
当然彼が迎えに来るはずもなく、わずかな希望を胸にもう一度お店へ行ってみた。すると、店に明かりがついており、夢中で駆け込んで行った。
力いっぱいドアを開けた彼女の視線の先にいたのは・・・彼ではなかった。

言葉を失った彼女に、「こんばんわ。澤井さん。」と、声をかけてきた
この男性は、彼の秘書だった。彼は普段から業務中は割とひとりで行動するタイプなので、コラボ企画の時に数回会った程度だったが、面識はあったのですぐにわかった。
「突然すみません。明かりがついてたのでつい・・・。」と近寄り、
「実は桜井さんと連絡が取れないのですが、今どこにいるか秘書さんならおわかりですか?何か良くない事でもあったのかと気になって・・・。」
そう不安げに尋ねる彼女に、「う~ん・・・。」と前置きをし、
「実は秘書の僕もわからないんです。」と答えた。
今回の出張は大きな業務提携を見据えたものだったが、ほぼ決まりかけていた話が頓挫をした後から、スマホの電源を切って連絡が取れず、どこにいるかも分からないと教えてくれた。
社長はとても強い人だからきっと大丈夫だという秘書の言葉を信じ、
連絡があったら教えてもらいたい、明日は土曜日だけど臨時出社なので
会社にいることを伝え店を出た。
家に帰り、LINEをしたがやはり既読にはならなかった。
土曜日の朝ももちろん連絡はなかった。
出社をし、昨日ミスを連発した残骸の残るデスクを見て、連絡がないだけで仕事が手につかなくなった自分に情けなくて腹が立ってきた。彼の行方は
今も気になってはいるが、まずは自分がやるべきことをちゃんとしよう。
こんな事じゃダメだ。そう自分に言い聞かせ、目の前の仕事に集中した。
テキパキとこなし、さすが予定よりも早い三時には終了した。
デスクを片付け相変わらず鳴らないスマホを握りしめ会社を出た。
その時ピココーン♪と音がした。期待せずにスマホを見ると、
彼からだった。
「ただいま」
画面の文字にくぎ付けになっていると、「ただいま」と声がした。
視線を向けると、退勤時間に迎えにきてくれるいつもの彼が立っていた。
彼の姿をとらえた瞬間、夢中で駆け出し、胸に飛び込み、人目もはばからず子供のように泣いていた。泣きじゃくる彼女に戸惑いながらも、彼の視線の先でグットサインをする秘書と目配せをして、優しく抱きしめた。

実は今回の失踪劇は、二人を取り持つために秘書が仕掛けたものだった。
業務提携の話は本当だが、話がとんとん拍子に進み、調印式のために急遽渡米することになったのだ。木曜日の朝、おはようスタンプを入れてから
飛行機に飛び乗った。
秘密裏に進めていた提携なので、マスコミへの情報漏洩を防ぐため、
到着後は調印式の模様を配信で発表するまでは、双方の関係者全員が
スマホをセキュリティーボックスへ入れ、徹底した管理下に置かれた
スマホを使うことになっていた。
当然、通話も通信も制限され業務以外の電話は禁止だった。
なので、業務連絡をする流れで、しばらく彼女に連絡ができないことを
伝えるように秘書に頼んでいた。
金曜の夕方、店で業者の納品を済ませてから伝えるつもりだったが、
連絡が取れなくなり、心配して駆け込んできた彼女の様子を見て、
とっさに思いついたのだ。いわゆる、

【大切なものは失って初めて気づくもの】作戦だ。

秘書くんの思惑通り彼女は感情を爆発させ、彼に抱きついた。
成田空港に着いてからやっとスマホの電源を入れられた彼に、ことの経緯を説明しながら休日出勤している彼女の会社まで送ってきた。
だからの、グットサインと目配せである。

突然登場したこの出来る秘書くんは、彼が学生時代に会社を立ち上げた後、彼に憧れ入社してきた信頼できる男なのだ。
実は一緒に洋食屋でも働いているので、最初からふたりの事をすべてを見ており、彼のラブラブ♥アプローチ大作戦を陰ながらサポートしていたのだ。
ナイスな秘書くんの活躍により、彼女は彼の存在の大きさに気づいた。

泣きじゃくる彼女をなだめて車に乗せて、ひとまず店に移動した。
指定席に座りアイスティーを一口飲み、「大丈夫?落ち着いた?」の声で
やっと正気に戻った。
「取り乱したりしてごめんなさい。なんか気持ちがぐちゃぐちゃになってしまって・・・。」そう言う彼女に、
「俺の方こそごめんなさい。仕事の都合とはいえ急に連絡が取れなくなったら驚きますよね。予定が一日延びるだけだから、戻ってすぐに会いに行けばいいだろうと勝手に思っていて。本当にごめんなさい。」
そう頭をさげて、事の経緯を説明し始めた。
ただ、できる秘書くんの作戦はもちろん隠し、つじつまを合わせながら
丁寧に話しをつづけた。

これまでに彼がくれた純粋な一言、一言、熱い心と真っすぐな愛が、
道端の枯れた花ような自分に沁みわたり、瑞々しく蘇り花開いていくのを
改めて感じていた。
が、進めばきっと彼の未来を奪ってしまうことになるだろう。
そのことも痛いほど分かっていた。
私が先に生まれた・・・。ただそれだけなのに、確実にその事が、
私に後ろめたさを植え付け、彼に無用な責任感を負わせるだろうと。
受ける傷はおそらく致命的級になることも分かっていた。ならば、
もう恋をする気なんて無かったのだから、
誰かにときめいたり、ドキドキすることも必要なかったじゃないか。
そう自分に言い聞かせ、今ここで踏みとどまれば、
素敵な青年に告白されたなぁと、いい思い出にできるはず。
だから、彼に落ちまいと、あらがって、抗って、抗い抜かなければと必死でブレーキをかけていた。
けれど、彼の前で感情を爆発させてしまった状況に、もはやその術はなく、引き返せないところまで来てしまったのだと分かった。
そのことに気づいた彼女は、小さく震える声でこう言った。

「桜井春馬さん。私もあなたが好きです。・・・大好きです。
あなたの恋人にしてください。」

そう言って、彼の頬にキスをした。
「好き」という二文字を口にするのにずいぶん葛藤をしたが、
心のままを伝えたことで胸が熱くなる思いを感じた。
大胆な行動に急に恥ずかしくなり、逃げ出そうとする彼女の腕を掴み、
彼は自分の腕の中に引きよせて思いきり抱きしめた。
夢にまで見た瞬間が訪れた彼は、
「俺も大好きです。すごく大好きです。」
そう言って彼女の頬に優しく触れて、口づけをした。
思いが溢れだしたように唇を重ねる彼の手が、ほんの少し震えていたことに彼女は気づいていた。

交際をスタートさせてからも、彼のラブラブ攻撃はさらにパワーアップしていき、あまりにもストレートな愛情表現に彼女が少し困ったり、
少しは手加減してほしいと頼むこともあったが、交際初日に決めた、
「はるくん」 「ゆかりん」
と、二人きりの時は、そう呼び合うという約束は守っていた。
彼女的にはかなりこっ恥ずかしいのだが、子犬のようにすがる目で、
どうしてもと彼に頼み込まれて承諾してしまった。

まずは、一番の功労者であるデキる秘書くんに報告をし、
その後お兄さんの小料理屋を訪れ交際を報告をした。
そうなるだろうと思っていた兄は、二人が真剣なら早いうちに一度両親に
会っておいた方がいい。と、土曜日の昼間、夜からの営業時間の前に、
彼の両親との顔合わせの場を店で開いてくれた。
いきなりの展開に戸惑ってはいたが、おそらく交際にあたり桜井家に対して後ろめたさや、気まずさを抱いているだろうと思いやり、
取り計らってくれたのだと気づいた。
彼はド緊張している彼女の手を、スッと握りしめ店へ入っていった。

待っていた桜井ファミリーの前に行き、

「初めまして。春馬さんとお付き合いさせていただいております、
澤井ゆかりと申します。今日はお時間を頂きありがとうございます。」

そう言って深々と頭を下げ、挨拶をした。顔を上げると彼の話しのとおり、優しそうな両親と、可愛い妹さんが微笑んでいた。席に着き、
「初めまして、春馬の父と母と妹の真央です。今日はいらしてくださり
ありがとうございます。」という母親の言葉を聞き、
「ご家族みなさん和菓子がお好きと伺ったので。」と、
持参した手土産の【たねやの最中】を手渡した。
「わぁ~!やったぁ~!真央モナカ大好きぃ~!!」
という無邪気な妹のおかげで、一気に場が和んだ。

それからお兄さんが腕によりをかけて作った料理が次々と運ばれ、美味しい料理とお酒のおかげで会話も弾み、笑いが溢れる楽しい食事会になった。
女性陣でわいわい言いながら片づけを終えると、せっかくだから頂いた
お菓子をたべましょうよ。という母親の提案でお茶を入れ始めた。

会社からの電話で彼が店外へ席を外したすきに、
彼女はどうしも言っておきたかった話を始めた。
「ご両親からしたら、ずいぶん年上の自分が恋人だなんて、驚かれたでしょうし、ご心労をおかけして申し訳なく思っています。それでもこうしてお会いしてくださり、温かく接してくださり、本当にありがとうございます。」
と頭をさげた。すると、

「そんなこと誰も気にしてませんよ。春馬の幸せそうな顔を見れば、
いかにあなたを思っているかが良くわかります。
確かに最初に話を聞いたときは、驚きました。
けれど、あなたの事を話す春馬は本当に幸せそうなんです。
兄夫婦が事故で亡くなってからしばらくの間は、ショックであまり笑顔を
見せなかった時期があったんです。時間が経つにつれ本来の明るい性格に
戻りましたが、今もあの時の記憶が心の傷とし残っているはずなんです。
だからあの子の人生が、いつも愛にあふれた世界になることだけを願って
見守って来ました。なので、こちらの方こそ感謝しているんです。
今日、あなと一緒にいる時の幸せそうに笑っている顔を見て、
兄から託された大きな宿題をやり遂げた気分です。
あの子を愛してくださりありがとうございます。
これからも春馬をよろしくお願いしますね。」

母親のその言葉に家族全員がおおきく頷き微笑んでくれている姿に、
ずっと張りつめていた緊張から解放され、大粒の涙が溢れてしまった。
罪を犯しているとういう罪悪感が、彼女の中でいつもあった。
今日だって反対され、なじられて、別れろと言われる覚悟で来ていた。
予想だにしなかった交際への通行手形をもらったことで、彼女を
閉じ込めていた倫理や秩序、道徳というガチガチの檻がぶち壊れたのだ。
「はい。大切にします。」
そう言うのが精一杯だった彼女を母親は優しく抱きしめた。。

電話を終えて戻ってきた彼は、涙ぐむ彼女を見て何事かと驚いたが、
「なんか、嬉しくて。」と、泣きながら笑う彼女と、同じように泣き笑い
しながら彼女の涙を拭う母親。二人を見ている桜井ファミリー全員が、
もらい泣きしているホームドラマのワンシーンのような光景に、
なぜか彼も、もらい泣きしだした。

今日のお礼をし、次は実家にお邪魔することを約束し丁寧に頭をさげて、
少しお酒を飲んだ彼とタクシーに乗り込んだ。
彼女のマンションに着き、酔い覚ましのコーヒーを淹れるからと、
彼を部屋へ招いた。
きれいに整頓され、余計なものがないシンプルな部屋だったが、彼女の人柄そのままを感じさせる居心地のいい、温かみのある空間だった。
部屋着に着替え、以前父親が泊った際に用意したスウェットでよければと、窮屈なスーツから着替えるように促した。
ソファーに座り、コーヒーを飲みながら、今日の事を話していると、
自分が通話中のあのときに、何があったのかと彼は尋ねた。
「う~ん。ナイショです。 ただ・・・あなたの事をよろしくって。
そう言われたから・・・。」
と言って、彼女の方からキスをした。
そのまま座っている彼にまたがり、求めるようにキスをする彼女に、

「このまま続けたら、俺、止められなくなるよ。」と言った。

「私だって・・・・・。」

そう言って抱きついた彼女を抱え上げ、優しくベッドへ運んだ。
「愛してる・・・。」
そう言った彼の唇が彼女のすべてに重なり、最愛のふたりになった。

あくる日、彼に頼んで両親が眠る場所へ連れて行ってもらった。
おそらく春は桜、夏は新緑、秋には色とりどりの紅葉に包まれるだろう
素敵な所にあった。
墓前に花を手向け、手を合わせ、心の中で話始めた。

「初めまして、春馬さんとお付き合いしております澤井ゆかりです。
こんな年上の私に驚かれたと思います。
けれど、恋愛は年齢でするものじゃない事を彼が教えてくれました。
彼を愛しています。ご両親の分まで愛して、大切にします。
春馬さんを産んでくださって、ありがとうございました。」

そう話して立ち上がると、
「父さん、母さん、また来るね。」
と、手を握り帰路についた。

家族の応援もあり交際は順調で、時折感じるジェネレーションギャップや、小さなイザコザも笑って消化できるほど楽しく過ごしていた。
けれど彼女の中には、やはり禁断の果実をかじった罪人だという葛藤も、
しこりとして残り続けていた。
そんなピンクとグレーが混在する心を、彼に悟られないように必死だった。
そんな彼女に、追い討ちをかけるように世間は断罪しようとする。

ある人からは、騙されてる、きっと何か目的があるはずだ。と言われ、
ビジュアルも条件も良い彼のことを狙っていた、年下の肉食女子たちには、若い男に溺れた恥知らずなおばさん。だとか、
その反対に、男といえば中年太りが始まった亭主にしか接点のない同世代の奥様たちからは、若い男をたぶらかした図々しい女だ。などと・・・。
中でも、どうせすぐに飽きられて捨てられるに決まってる。なんて言葉は
聞き飽きるほど言われ、積み上げれば東京タワーくらいにはなるだろう。
そろいも揃ってとにかく言いたい放題。
まるで大罪を犯してると言わんばかりである。

けれどそんな言葉に怯んだり、泣き崩れるような彼女ではもはや無かった。

どうせ後ろ指を指されるだろうとわかっていても彼の手を取り、
その胸に飛び込んだ時に、心無い言葉をあびせられる覚悟はしていた。
きっと悲しいエピローグになるだろう・・・。その覚悟もしていた。
だから交際を始める時には、
「もし、他に好きな人ができたら、隠したりせず正直に話してくれれば
黙って別れるから。騒ぎ立てたりせずに終わりする。
それであなたを恨んだりなんかしないわ。」
そう言って彼の逃げ道を作っていたのだが、心変わりの気配がないどころか
なんと彼は、一日でも早く結婚する気満々のようだ。


時折、彼女は考える。
これはきっと、誰かがうっかり結び間違えてしまった縁なのだろう。
愛の女神アフロディーテの気まぐれや、悪ふざけかもしれない。
だが、たとえそうだとしても、これも確かに運命の赤い糸のはず。
ならばと、神の怒りに触れる覚悟で禁断の果実を口にした。
そのことで罰を受けるのが、自分だけならそれで構わないと。

世間が教科書通りの【ものさし】で決めたモラルやルールなんてものは、
ありきたりのことしか言わない肩書きだけのコメンテーターや、
文化人を気取ってるタレントにでも言わせておけばいいのである。
二人の物語が、風に吹かれただけで吹き飛び、雨に打たれただけで
全てが脆く崩れ、跡形もなく消え去っていく・・・。
そんな、儚い【砂の城】のように思えても、逃げたりしないと・・・。

細くて長いきれいな指を絡めて繋いだ、温もりと安心感。
背中にまわし、ひと時も離さないとばかりに抱きしめられた腕の強さ。
時に甘く、時に奪うように重ねた唇から伝わる熱い思い。
ひとつになるたびに感じる底知れぬ愛と、女としての本当の幸せ。
彼がくれる愛を、五感すべてで感じるたびに、彼女の中に溶けていった。

心を決めた彼女には、もう迷いなどなかった。

ただ人を愛しただけ・・・。それの何が悪いんだと。
ただ人に愛されただけ・・・。それの何が悪いんだと。

繋いだ手を離さないことが、最愛のふたりでいつづけることが、
気まぐれなアフロディーテの悪ふざけへの復讐になるだろう。
「世界一素敵な彼に愛される、この世で誰よりも幸せな罪人つみびと
これからは、これが私の肩書になるのね。」
そう口にしたら不思議と気持ちが楽になった。


ある日の彼女の日記にはこう書いてあった。
「 あなたにとって彼はいったい何なのか?」
いつか神にそう問われたら、迷わず私はこう答えるでしょう。

【 共に生きたいと願うよりも、人生のすべてを懸けて愛して、
一緒に死んでもいい。そう思える唯一のひと】・・・だと。

だって、彼のいない世界では、きっと生きてはいけないから。


真っ白なページが、彼色に染まり続ける日記を閉じて、
今日も逢いに行く。
彼が好きなルージュをさして、お気に入りの靴を履いて。

朧月夜の下、凛々しくも美しく佇みながら、私を待つ光る君。
彼女は真っすぐに彼のもとへ駆け寄り、
抱きしめて口づけをする

❁  ❁  ❁  ❁  ❁  ❁  ❁  ❁

ご拝読いただきありがとうございました。

#創作大賞2023  

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